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![]() ◎0005 『レディ・ジョーカー』 高村薫 △0004 『照柿』 高村薫 △0003 『てのひらの闇』 藤原伊織 ○0002 『非連続の時代』 出井伸之 ◎0001 『マークスの山』 高村薫 ◎0005 『レディ・ジョーカー』 >高村薫/毎日新聞社/1999.01.21・2003.03.11 合田シリーズの第3弾。完結編?にふさわしい、重厚なストーリー。全編読み通すのに10日以上かかってしまった。よほどの本でないかぎり2〜3日で読んでしまう私にとっては異例の長さ。通勤電車に揺られ、少し読み進めてはぼぉっとし、また読み進めては、うむと唸り・・・。とにかくさらっとは読めない作品であった。(もちろん褒め言葉) 『レディ・ジョーカー』も読むのは2回目であり、おおよそのストーリーは分かっているものの、再読の価値ある一品であった。しかし、前回の『照柿』で気になった、偶然がまたしてもひっかかってしまう。特に導入部分が気になって仕方がない。例えば、半田が秦野の自宅に聞き込みに行くという偶然、物井が西村を見かけるという偶然、半田が合田に掴みかかるという偶然。偶然なくして物語は動き出さないが、後半加速する展開を思うと、前半の安直さは残念である。「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、これはある種仕方のないことかもしれない。なぜなら、あまりにも「奇」な小説を書いても、それはないだろうと一笑に付されるのがオチだからだ。「奇」な現象は、事実だからこそ受け入れられるのである。 さて、いつまでも偶然にこだわってはいられないので、前作との比較をしてみたい。前の2作が、合田と捜査員、及び犯人を中心に展開しているのに対し、今回は城山をはじめとする企業から見た目、根来を中心とする新聞社から見た目の2つの視点が追加されている。これにより、物語は一層重厚なものに仕上がっている。前回読んだときは、犯人の視点と合田の視点で読み進めていたが、今回はなぜか経営者の視点で読み進めてしまった。近頃、高杉良などの企業小説をよく読んでいたせいか、サラリーマン生活が長くなったせいか? とにかく『レディ』は企業小説としても秀逸であり、まさに、最近声高に叫ばれているコンプライアンスがテーマとなっている。物語のアイデアは、かのグリコ・森永事件からきているそうだが、株価操作や政治献金なども織り交ぜた奥行きの深い物語となっている。 では、マーカー部分。「個人的には、俺は実って頭を垂れる稲より、実っても直立している麦になりたい」「合田は深呼吸をし、最近あまり見ることもなかった夜空を仰いだ。星のない曇天だったが、人間一名を包み込む天空の大きさにかわりはなく、この空の下で人間は独りだ、自分の声を聞くのも独りなら、己の理性も感情も、種々の価値観も独りだという、いつもの単純な思いをもった」「納得する必要はない。辛いことが、辛くなくなることはない。自分の腹に収める場所を見つけるだけだ」最後に、合田シリーズに私的ランキングを。1位『マークス』2位『レディ』3位『照柿』
△0004 『照柿』 >高村薫/講談社/1998.12.02・2003.02.24 『マークスの山』に触発されて、高村薫を読み直してみることにした。今までほとんど同じ作品を読み返すことはしなかったが、全面改稿の文庫本発売がきっかけとなり、再読を始めてみた。また、このホームページも再読のきっかけのひとつである。今まで読んだ中で良いと思った作品を、いつか再読するときが来るのではないかと押入れの中に眠らせておいたのだが、粗筋すら忘れているものも多い。どちらかというと乱読派で、駄本を多く?読まされているくちだから、名作ばかりを読もうと思うと再読しかない。ついでに、読書日記も更新できるので一石二鳥である。
さて、『照柿』である。どうしても『マークスの山』と比べてしまうのだが、結論から言うと『マークス』の方に軍配を上げたい。というのも、『マークス』がミステリーであり、警察小説であるのに対して、『照柿』は完全なヒューマン・ドラマだからだ。主人公こそ合田雄一郎という警察官であるが、中味はその幼馴染との女性をめぐる悶着である。などと言ってしまうと身も蓋もないのだが、さすがは高村薫であり、人間ドラマが重厚である。延々と続く工場のシーンは達夫の苦悶を良く表している。達夫と同じく読者にも我慢を強いているかのようである。
また、果たして達夫は殺人を犯す必要があったのか、という疑問も生まれてくる。前述のようにこれは人間ドラマである。本編の9割が合田と達夫の人間描写であるのだから、殺人が起こらなくとも小説は成り立つと思う。確かに「殺人」という異常な出来事を通じて起こるカタルシスはインパクトが強いが、このような地道な作品だからこそ、別の結末もあったのではないかと思うのである。 「淡々とアルコールを呷り続ける表皮の下に、びっしり張り詰めた無数の神経が透けて見えるような男。」→合田を端的に表している。次に加納との会話。加納「物事には引き際というものもある。登攀と一緒だ」合田「それは違う。登山は、退いても何も減らへんやないか。刑事の仕事は一つ退くたびに、確実に何かが減っていく」「何か、というのは」「地歩みないなもの…かな。手柄や地位の話やない。休みなく一歩一歩固めていかないと、己が立つ場所もないような感じだ」
△0003 『てのひらの闇』 >藤原伊織/文春文庫/2002.11.08 背表紙あらすじ:飲料会社宣伝部課長・堀江はある日、会長・石崎から人命救助の場面を偶然写したというビデオテープを渡され、これを広告に使えないかと打診されるが、それがCG合成である事を見抜き、指摘する。その夜、会長は自殺した!!堀江は20年前に石崎から受けたある恩に報いるため、その死の謎を解明すべく動き出すが…。 2日前に短編集『雪が降る』を読了。『紅の樹』という作品の解説の中、『てのひらの闇』はこの作品をもとに書かれたのだろう、というコメントがあり、比較しながら興味深く読むことが出来た。『紅の樹』はラストが悲しいので、少しハラハラしながら読むことになった。 まず、主人公の設定がいい。ヤクザを父親に持つ、大手飲料メーカーの広告マン。その主人公を取り巻く、会社の社長、部下、仕事を通じて知り合った女優、ヤクザ時代の番頭役。導入部分のビデオテープや、そこに隠されたトリックを見抜いてしまう主人公、それがもとで自殺してしまう社長。意外なラストとそこに隠された大きな哀しみ。(何だか私の文体までハードボイルドっぽくなってしまった)謎がひとつひとつ解き明かされていき、最後に最大の謎が明かされたとき、うーむと唸ってしまった。また、タイトルに隠された主人公の闇の部分も秀逸である。 ひとつだけ難点を言えば、いかにもなハードボイルドであること。日本人が主人公のハードボイルドはなかなか難しいのではないだろうか?自分がハードボイルドな小説をあまり好きではないからかもしれないが、ちょっと格好良すぎるような気がした。
○0002 『非連続の時代』 >出井伸之/新潮社/2003.01.28 背表紙あらすじ:“今”をいかに捉え、どう行動すればよいのか―一瞬にして世界を駆けめぐる情報、次々と生まれるビジネスモデル。激変する時代に求められているのは、明確なビジョン、そして大胆な変革だ。複雑系、統合と分極、平水産業など、キーコンセプトを駆使しながら、深く易しく解き明かす、この社会とは?そしてビジネスとは?ソニーのCEOがはじめて綴った、卓抜な経営の理論。 ソニーという企業がなんとなく好きで、盛田昭夫の『MADE IN JAPAN』をはじめ、『ソニーを踏み台にした男たち』『ソニーの法則』など関連書籍をずっと読んできた。特に最近は、創業者である井深大、盛田昭夫、大賀典雄らの後継者として非凡な才能を発揮している出井伸之に注目していた。そもそも何かの本で「繋ぐ」というコンセプトを目にして、非常に分かりやすい企業だと思ったのがきっかけだ。繋ぐというのは、いわゆるネットワークのことで、衛星放送で、SONETで、メモリースティックであらゆるものを繋ごうという発想だ。いまでこそ当然のことだが、当時私にはコロンブスの卵的発想に思えたのである。 さて、本書『非連続の時代』であるが、これは出井氏のスピーチを改めて纏めたものである。数年前のものが含まれており、雑誌などで何度も読んだ記憶のある内容が多かったにもかかわらず、出井氏の凄さを再認識した本であった。私の感じている出井氏の凄さを一言でいうと、「経済学をはじめとするアカデミックな理論を、経営に置き換え、分かりやすい言葉で世界に発信している」ことである。 例えば「収穫逓増の法則」。初めはなんのこっちゃと思いながら読み進めていくと、いわゆるソフトウェアの強さを言っていることが分かってくる。つまり、通常モノづくりというのは、一定の規模に達すると能率が落ちるものだが、コンピュータのプログラムは、どんどんコピーできるので、一度作ってしまえば後はぼろ儲けできるというのである。古くは書籍がそうであり、音楽・映画・ゲームソフトもヒットすればするほど、儲けは増える。最近ではマイクロソフトの躍進を知らない人はいないだろう。しかし、一度聞いただけでは分かりにくい「収穫逓増」という言葉を、ソフトウェアという身近な存在に置き換え、かつ、音楽・映画・ゲームといったビジネスに結びつけるというのは並大抵のことではない。 いろいろと刺激的な発想が多いので、記録しておきたい。
◎0001 『マークスの山』 >高村薫/早川書房/1997.03.01〜講談社文庫/2003.02.16 背表紙あらすじ:【上巻】「俺は今日からマークスだ!マークス!いい名前だろう!」―精神に「暗い山」を抱える殺人者マークス。南アルプスで播かれた犯罪の種子は16年後発芽し、東京で連続殺人事件として開花した。被害者たちにつながりはあるのか? 姿なき殺人犯を警視庁捜査第一課七係の合田雄一郎刑事が追う。直木賞受賞作品。 【下巻】殺人犯を特定できない警察をあざ笑うかのように、次々と人を殺し続けるマークス。捜査情報を共有できない刑事たちが苛立つ一方、事件は地検にも及ぶ。事件を解くカギは、マークスが握る秘密にあった。凶暴で狡知に長ける殺人鬼にたどり着いた合田刑事が見たものは…。リアルな筆致で描く警察小説の最高峰。 『マークスの山』が文庫化された。全面改稿というので手に取り読んでみた。旧作の単行本については粗筋しか覚えておらず、また、高村薫の凄さをあまり実感していない頃に読んでいたので、正直その面白さ、緻密さに圧倒された。合田をはじめとする刑事たちが地道に捜査を進め、1つ1つの事象から犯人像を組み立てていく。いわゆる名探偵こそ出てこないが、その推理の過程が克明であり、いたるところに張り巡らされた伏線が見事であり、これほど素晴らしい小説を「読み飛ばして」いたことを後悔さえした。 こうなってくると気になるのが、単行本の方だ。最初に読んだのが1997年3月だから、もう5年前。押入れを引っ掻き回し、文庫本との印象の違いを頭に描きながら読んでみた。 まずは、新旧対比をアトランダムに。【旧】文体が硬質。犯人の動機や物語の伏線が明確で分かり易い。【新】上層部や外部からの圧力、横槍が激しい。被害者の数などはより現実的に。合田の手帳をはじめ、捜査過程が緻密。 総括すると、旧作は荒削りではあるが、読者にとっては分かり易く読みやすい作品。新作は高村ワールドを前提とした、ややマニアックな作品といった印象を受ける。特に今回は新作から旧作へと読み進めたので、新作では分からなかった背景を、旧作を読むことにより理解することができた。例えば、畠山が殺された理由、真知子が撃たれた理由などが(新作では読み飛ばしてしまったのかもしれないが)旧作では明確に語られていた。また、些細なことかもしれないが、新作では名前に振仮名がなく、「林原」など、何と読むか最後までわからなかった。 ともあれ、今回2つの作品(と言っても良いと思う)を連続して読み比べたわけだが、前述のような相違点を意識して読み進めた為、両者とも非常に面白く読み進めることが出来た。いわばパラレルワールドのように2つの作品が絡み合い、1+1が3にも4にもなる作品だと感じた。この勢いに乗って、『照柿』『レディ・ジョーカー』で再び合田と合間見えようと思う。更には『我が手に拳銃を』と『李欧』の読み比べだ。 最後に、5年前旧作に引いたラインマーカーを。「自慢にもならないが、いつも始動は遅い。それでも、これまで重大な失敗は一度もしてこなかった。そのために人よりよく歩き、よく聞き、よく見てきた。そういう忍耐と努力を自分に課す意志力こそは、合田という男の骨だった。強い自制心は筋肉だった。人を畏怖させるのは、その骨と筋肉だ。」 「人に対する甘さは生来のものか。いや。日々自分自身が誰かから受けている労りや慰めを、折りにふれて人に返していかなければ、荷が重いのだ。それだけのことだと思った。」
苗村屋読書日記 [01]
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