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○0050 『死ぬことと見つけたり』 隆慶一郎
×0049 『奇跡の人』 真保裕一
△0048 『女子大生会計士の事件簿』 山田真哉
△0047 『銀行・男たちの決断』 山田智彦
×0046 『銀行・男たちの報酬』 山田智彦
○0050 『死ぬことと見つけたり』 >隆慶一郎/新潮文庫/2001.03.10
背表紙あらすじ:【上巻】常住坐臥、死と隣合せに生きる葉隠武士たち。佐賀鍋島藩の斎藤杢之助は、「死人」として生きる典型的な「葉隠」武士である。「死人」ゆえに奔放苛烈な「いくさ人」であり、島原の乱では、莫逆の友、中野求波と敵陣一番乗りを果たす。だが、鍋島藩を天領としたい老中松平信綱は、彼らの武功を抜駆けとみなし、鍋島藩弾圧を策す。杢之助ら葉隠武士三人衆の己の威信を賭けた闘いが始まった。 【下巻】鍋島藩に崩壊の兆しあり。藩主勝茂が孫の光茂を嫡子としたためだ。藩内に燻る不満を抑え切るには、光茂では器量が小さすぎた。老中松平信綱は、不満分子と結び、鍋島藩解体を画策する。信綱の陰謀を未然に潰そうと暗躍する杢之助たち。勝茂は死に際し、佐賀鍋島藩存続のため信綱の弱みを掴め、と最期の望みを託した。男の死に方を問う葉隠武士道をロマンとして甦らせた時代長編。
遂に50冊目である。記念すべき作品は2年前に読んだ『死ぬことと見つけたり』 ずっと名前に惹かれていて読んでみようと思っていたのだが、作者の急逝により未完となっていることを知っていたので手を出せずにいた。中途半端な終わり方であっても、先を読むことができないので、読むべきかどうかをずっと迷っていた。しかし、この直前に読んだ『影武者徳川家康』に触発されて文庫本を買ってしまったのだ。結果は大正解。確かにラストシーンはなかったが、3話を残すのみとなっており、しかもその3話で主人公たちが次々と死んでいくというのだから、読まなくてよかったかもしれない。歴史小説の辛いところは必ず主人公が死を迎えることである。死に触れずに物語を終わらせている例も多いが、それだと歴史小説として完結した感じがせず、ジレンマを感じる。
本書は葉隠の武士・斉藤杢之助とその莫逆の友・中野求馬を描いたものである。杢之助は「死人(しびと)」として生きる典型的な葉隠武士であり、「死人」であるがゆえの覚悟が素晴らしい。人間死ぬ気になれば怖いものはない。サラリーマンなど命を取られることはないのだから、いつでも辞めてやる覚悟で仕事に臨めば十分に腹が据わるのではなかろうか? そのためにも食いっぱぐれないよう、己の能力に磨きをかけなければならない。「意見」というのは諸刃の剣であり、採用されると有利に働くが、反発されるとしっぺ返しを食う。かといって「意見」を持たない人間にはなりたくないので、反発覚悟で言うときには言う。(現実にはあんまり言えてないなぁ) 杢之助はどちらかというと不言実行の人。しかし、今の世の中は有言実行が必要だ。発言力と実行力に磨きをかけたい。

>2003.04.19.SAT
×0049 『奇跡の人』 >真保裕一/新潮文庫/2000.02.10
背表紙あらすじ:31歳の相馬克己は、交通事故で一度は脳死判定をされかかりながら命をとりとめ、他の入院患者から「奇跡の人」と呼ばれている。しかし彼は事故以前の記憶を全く失っていた。8年間のリハビリ生活を終えて退院し、亡き母の残した家にひとり帰った克己は、消えた過去を探す旅へと出る。そこで待ち受けていたのは残酷な事実だったのだが…。静かな感動を生む「自分探し」ミステリー。
今日はネタバレなのでご注意を。☆記憶喪失に陥った主人公が、自分探しの旅に出るというストーリー。ありきたりかと思いきや、さすがは真保裕一である。「自分」を見つければ見つけるほど、「嫌な奴」だということが分かってくる。☆物語の発想は良いのだが、何となく後味の悪い結果で、あまり好きな作品ではない。
思うのだが、人間誰しも自分の中に「良い心」と「悪い心」とを併せ持っているはずだ。この割合によって、善良な人になったり、犯罪者になったりしていく。もちろん生まれつきの性格もあれば、育った環境など後天的なものもあるだろう。しかし、自分の気づかない「悪い心」にある日突然気づくことがあるかもしれない。それを「出来心」などと言うのかもしれないが、そういう魔の時間があるのだろう。本書は記憶喪失という極端な例を用いて、個々人に潜む「悪い心」を描いている様に感じた。
閑話休題。本書はテレビドラマ化されている。私はほとんどテレビを見ないのだが、妻は大のテレビ好き。ドラマの『奇跡の人』については、面白くなかったといっていた。原作の方も私としては好きな作品ではなかったので、そんなもんかなと思っていたら、エッセイ集『夢の工房』で真保が、あれはテレビ局が勝手に作った作品だと書いていた。局の人間と意見が合わず、勝手にしろと言ったら本当に勝手にされたそうだ。笑うに笑えない話だが笑ってしまった。「日テレ営業中、奇跡の人も営業中」というCMで自分の作品が映像化されているのを始めて知ったそうだ。挙句の果てにテロップには「奇跡の人をもとにしたオリジナルストーリー」と書かれていたそうだ。テレビ局したたかなり。

>2003.04.18
△0048 『女子大生会計士の事件簿』 >山田真哉/英治出版/2003.01.14
経理関連の仕事をしているせいか、最近「会計」に興味を持っている。1年ほど前にある仕事を通じて、自分の会計知識のなさを痛感させられ、それ以来少しずつ勉強している。大前研一が言っていたが、これからは英語・会計・ITの3つが分からないとダメだそうだ。全く同感であり、日々努力が必要だと感じている。また、知識ばかり詰めこんでも無駄なので、実務に応用できるよう、自分なりの解釈を加えることも必要だと思う。
冒頭から堅い話になってしまったが、そんな中でふと手に取ったのが本書である。タイトルが示す通り女子大生が活躍するという、非常に軽いストーリーだが、会計トリックはなかなか面白い。まず家具屋の架空計上の話。家具屋がある会社に、商品である家具を販売し、(借方:現金/貸方:売上)その会社から、家具を固定資産として購入する。(借方:固定資産/貸方:現金) こうすると、現金がほとんど増減することなく、売上高を水増しすることが出来る。また、SPC(Special Purpose Company)という言葉も本書で学んだ。本書を読み終えた翌日の日経新聞にSPC関連の記事が出ていたのでよく覚えている。ちなみに、SPCとは特別目的会社のことで、例えば固定資産をSPCに購入させて、その資産をリース料を支払って借りると、本社はB/Sを膨らますことなく固定資産を利用できる。B/Sの健全化が叫ばれて久しい中、この様な会計手法が生まれたのだろう。
会計ビックバン以降、日本の会計処理がことごとく否定されてきたが、果たして我々は間違っていたのだろうか? 最近でこそ、エンロン問題の勃発でアメリカの会計制度が絶対ではないことが証明されたが、一時期は全て「米国に倣え」であった。株式の時価評価にしても、含み益経営が100%正しいとは言わないが、未実現の利益まで時価評価をするのには少し抵抗がある。一方、日本式経営の曖昧さ、不透明さは批判されてしかるべきであろう。何事もそうだが、利点のみを吸収し、より良い方向へ進みたいものである。

>2003.04.17
△0047 『銀行・男たちの決断』 >山田智彦/文春文庫/2003.04.16
背表紙あらすじ:富桑銀行との合併工作に失敗し、三洋銀行を去り、機械メーカーの取締役におさまった石倉克己だったが、出口の見えない不況のただ中にある銀行界が、彼の才能と手腕を放っておくはずがなかった。スカウトに動きだしたのは富桑銀行。三洋銀行に残った石倉の同期長谷部敏正、松岡紀一郎も銀行と友情の間で決断を迫られる。
『男たちの決断』を読了。最近本を読むペースが落ちていたが、本書は700ページを越えるにもかかわらず、2日程度で読み終えた。内容は重くもなく軽くもなくといった程度。本には相性があり、相性が良いとすらすらと読める。しかし、読みやすいものが良い本だとは限らない。高村薫作品の様に読みにくいが心に残る本もある。良い本にめぐり合うのはなかなか難しい。
さて、本編であるが、今回は石倉が主人公であった。三洋銀行、富桑銀行に加え、太平銀行の頭取達から目をつけられ、常務取締役で迎えたいとのオファーを受ける。石倉確保のために色々と裏工作を行うのだが、このあたりの描写は少し冗長な感じがした。しかし、これだけの人物に見込まれるというのは小説の中の世界とはいえ素晴らしい。やはりこれからの世の中、社内は当然のこと社外からも認められる人物にならなければ生き残れないだろう。石倉は自宅に書斎を持ち、50歳を越えてもきちんと勉強している。日々の努力の積み重ねというのは、長い年月を経ると大きな力となる。例え一歩でも進まなくてはいけない。一歩×三年で千歩を歩くことができるが、ゼロにいくら掛けてもゼロのままである。
本書のもう一人の主人公は真知子である。キャリアウーマンとして本書で総合企画部の副部長に昇進しているが、現実の銀行で30代半ばの女性が副部長というのはあまり例が無いのではないだろうか? 作者の期待を込めての造詣かもしれないが、現実に女性の台頭が無いと日本企業はますます弱くなると思う。私はどちらかというと男女平等主義で・・・というよりも能力平等主義で、優れた能力を持つのなら女性が上司でも厭わない。最近は総合職・一般職という呼称も少なくなる傾向にあるのかもしれないが、女性の一般職のほうが、男性の総合職よりも仕事をこなしている例は枚挙に暇が無い。それでも男性の方が給料が多いというのはやはり不平等である。また、結果平等から抜け出し機会平等の制度に移行しないと企業はますます弱体化するだろう。
すっかり長谷部の影が薄くなってしまったが、石倉の発言が彼の性格をよく表している。「長谷部君は常に前向きに取り組む。やれるかやれないかを決めたり、迷ったりする前に、まず始める。全力でね。なにしろ彼には実行力がある。その結果、いつの間にか道が開けている」 いぶし銀と描写される長谷部だが、銀は磨けば光るのである。例え鈍くとも光を放ち続けたいと思う。

>2003.04.16
×0046 『銀行・男たちの報酬』 >山田智彦/文春文庫/2002.09.10
背表紙あらすじ:週刊誌の特集記事に危ない銀行として、三洋銀行の名前が。頭取から事態の収拾を厳命された総合企画部長の長谷部は、大学時代のつてを頼ってその記事をなんとか差し止めることが出来た。一方、同期の松岡は総務部長となり、念願の取締役の座を手にした。そんな二人は頭取から、ライバル行の富桑銀行の調査を命じられた…。
最近サラリーマンの鬱症状を話題にした雑誌などをよく目にする。世の中はそれほどストレスフルなのだろうか? 恐らく勤務時間だけで言えば戦後や高度成長期に比べると無茶というほどではないだろう。当時と決定的に違うのは、頑張れば給料・昇進など見返りが約束されていたことだろうか? 長引く不況の中、先が見えない不安が精神を更に不安定にしているのかもしれない。また、パソコンの普及により、仕事の密度は極度に増しているだろう。効率を上げよと毎日尻を叩かれていてはストレスも溜まる一方だ。ところで、日米では「ストレス耐性」の定義が違うように思う。日本でストレスに強いというと、我慢強いというイメージだが、米国ではストレスの発散が上手いということになるのではなかろうか? 我慢強い人ほど切れたときが怖い。日ごろから小まめにストレスを発散しておかなければならない。
さて、『男たちの報酬』だが、本作では松岡が取締役総務部長に昇進している。また、本筋では不良債権問題や合併問題に触れており、日々深刻化する銀行の経営を鋭くえぐっている。しかし、『男たちのサバイバル』が名作であっただけに、何となく見劣りしてしまうのは否めない。『サバイバル』はわずか300ページの中に物語が凝縮されていたが、本作は500ページを超えるにもかかわらず、少し散漫な感じがする。例えば外資系銀行が登場したりすると、もう一歩踏み込めて面白かったのではないだろうか? 魅力的な主人公たちには日本という枠を超えて活躍してもらいたいと思う。日本の銀行が大きな問題を抱えていることが周知の事実になってしまい新鮮さを欠いているのは筆者のせいではないだろうが、もう少し夢のある話を期待したい。現実の世界でソニー銀行が健闘しているように。

>2003.04.15.TUE
苗村屋読書日記 [10]

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