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◎0500 『永遠の仔』 天童荒太
○0499 『刑事たちの夏』 久間十義
△0498 『中田語録』 小松成美
×0497 『小説 ザ・ゼネコン』 高杉良
△0496 『生首に聞いてみろ』 法月綸太郎


◎0500 『永遠の仔』 >天童荒太/幻冬舎

 背表紙あらすじ:【1.再会】霊峰の頂上で神に救われると信じた少女・久坂優希と二人の少年は、下山途中優希の父を憑かれたように殺害する。十七年後、再会した三人を待つのは……。文学界を震撼させた大傑作、文庫化! 【2.秘密】十七年後、優希は看護婦に、少年は弁護士・長瀬笙一郎と刑事・有沢梁平になっていた。再会直後、優希の過去を探る弟の行動と周囲に起きた殺人事件により彼女の平穏な日々は終わりを迎える……。 【3.告白】弟の行動に動揺を隠せない優希を悲劇が襲う。優希の実家が焼失。その焼け跡から母の死体が発見され、容疑をかけられた弟は失踪する。動転する優希を支えようとする笙一郎と梁平だが……。

 【4.抱擁】笙一郎と梁平の三人だけで母の葬儀を終えた優希は、悲しみを振り払うように再び病院に戻っていた。失踪を続けていた聡志は笙一郎の前に現れ、事件の真相と姉への思いを語り始めるが、捜査の手が伸びたことで再度逃走を図り、交通事故に遭い病院に搬送される。意識を取り戻した聡志に、優希は長年抱えてきた秘密を告白する決意を固めたが…。 【5.言葉】母に続き弟まで喪ってしまった優希、母と優希への愛情にもがき苦しみ続けた笙一郎、そして恋人を殺害されてしまった梁平。三つの無垢なる魂に最後の審判の時が訪れる―。十七年前の「聖なる事件」、その霧に包まれた霊峰に潜んでいた真実とは?“救いなき現在”の生の復活を描き、日本中に感動の渦を巻き起こした永遠の名作、衝撃の最終章。

 ついに500冊達成である。2003年の2月にHPを開設して約3年半。長いような短いような、多いような少ないような。月にすると10冊程度であるから、読書のペースは以前と変わらない。今や趣味であり、習慣となってしまった読書日記だが、一時期、感想を書くのが億劫になったり、感想を書くための読書となり本末転倒に陥ったりと、紆余曲折もあったように思う。それでもここまで続けることが出来たのはやはり「本」が好きだからであろう。

 いつも区切りのいい100冊目は好きな本を意図的に読むことにしている。今回は非常に迷ったのだが、結局、2000.05.04に読了した『永遠の仔』を再び手に取ることにした。(ちなみに、500冊目の候補としては真保裕一の『ホワイトアウト』と夢枕獏『神々の山嶺』を本書の他に挙げていた)

 さて、再読の際にはいつも物語の結末をあらかた忘れてしまっている私だが、本書に関してはかなりの部分を記憶していた。このミスにもランクインした本書だが、ミステリー的な要素としては次の3つの謎がクローズアップされる。(1)優希の父親を殺したのはだれか? (2)優希のトラウマの原因は何か? (3)連続殺人犯はだれか? という3つである。初読の際は、このミステリー的要素に惹かれて読み進めたのだが、今回は(めずらしく全て記憶していたこともあり)主人公たちの心情を中心に読み進めた。

 結果として今回の読み方のほうが正解なのであろう。本書はミステリーというよりも大いなる人間ドラマである。3人の主人公たちの生い立ちを丁寧に綴り、そして成人した今を哀しくも鮮やかに描いている。舞台は1979年と1997年を行ったり来たりするのだが、漢字で一九七九と一九九七と書かれると同じ年ではないかと少し戸惑ってしまう。これは、主人公たちの強烈な幼年時代がそのまま成人した今も忘れられず、過去の記憶の洪水に晒されてしまうさまを読者にも味わわせようとする筆者の意図であろうか。

 小学校6年生の子供たちがモウルだのジラフだのと呼び合う様には多少の違和感を感じなくもないが、傷ついた子供たちが自分たちの心を守る一手段だと思えば納得できよう。暗いところが苦手なモウル(もぐら)と身体に痣のあるジラフ(きりん) 最初は痩身の笙一郎が首の長いジラフで、ずんぐりした筋肉質の梁平がモウルだと混乱してしまった。

 男の子二人が固い友情で結ばれつつ、互いにライバル視しながら成長する様は、キクとハシが活躍する『コインロッカー・ベイビーズ』を彷彿とさせる。「あれ」をやったのがお互いに自分ではないことに引け目を感じながら、自分には資格がないともがき苦しむ二人。一方で、全てが自分のせいだと苦しむ優希。こんな三人が、三人であるがゆえ苦悩する様を、最後まで手を抜かずに描ききっている。

 結末を知りながらもラストは圧巻であった。遺書ともいえる母親の手紙によって明かされる真相。ハッピーエンドとはいえず、思い気持ちを引きずってしまう作品である。読んでいる最中はいろいろなことを考えたのだが、いざ感想を書こうとすると、なかなか筆が進まない。まぁ、たまにはこういう感想となってもよいであろう。

 最後に印象に残った部分を抜粋。

  • どんな奴だって、あんなふうに、こうなふうに育てられるんだ。誰かは、金持ちにへいこら頭を下げる野郎になる。誰かは、成績上げるためには、他人を蹴落としても平気になる。そして誰かは、他人を平気で殴れるし、殺せるようにもなる… みんな、そういうふうに育てられてゆくんだって。なかには、いい感じの大人になった奴もいるだろうけど、そういう人間は幸運なんだ。たぶん自分じゃわかってねえだろうけど、すっげえ幸運なんだ、恵まれてんだ。(ジラフからモウルへのセリフ)
  • 気をつかい過ぎるあまり、より深く、相手を傷つける場合もあると思うのよ。結婚しなくても、家族を持たなくてもいい。でもね、できれば、一緒に生きる相手は見つけてほしい。相手を認めることと、相手から認められることが、生きてゆくには、大事だと思うもの。ひとりで踏ん張ろうとし過ぎると、自分はもちろん、やっぱり誰かを傷つける気がする。すべてを、ひとりで背負って、解決しようとするばかりが、大人のやり方じゃない。人を信頼して、まかせたり、まかせられたりできるのも、ひとつの成長かなって思うし。ゆっくりでもいい、自分を開いてみたら、どう。人にすべてを託して甘えることを、自分自身に許してあげたら、どうかしら。(育ての母から梁平への言葉)

【1.再会】 【2.秘密】 【3.告白】 【4.抱擁】 【5.言葉】 >2006.09.26.TUE


○0499 『刑事たちの夏』 >久間十義/日本経済新聞社

 背表紙あらすじ:【上巻】新宿・歌舞伎町のホテルから男が謎の転落死を遂げた。被害者は大蔵省審議官。疑獄事件の容疑者に何度も名を連ねたことのある灰色高官だった。警視庁捜査一課刑事、松浦洋右は所轄署と連携して現場に向かうが、警視庁上層部は強引な捜査終結指令を出す。松浦はこれに抗し独自の捜査を始めた。警察腐敗をまっ先に予言したミステリーの問題作。 【下巻】事件の背景がつかめてきた。北海道を舞台に展開された、リゾート開発をめぐる不正融資に関連してひきおこされたものらしい。松浦は大学の同級で東京地検特捜部に籍を置く女性、古沢美由紀らの協力を得て、捜査を続行するが、真相追及を阻む勢力が立ちはだかる。そして松浦の周囲に危機が迫る。それは政財界を揺るがす大スキャンダルの予兆だった。

 「力作」という表現がしっくりくる作品。名作、傑作、秀作とまではいえないが、非常に力の入った作品である。久間十義氏の作品は東電OL殺人事件を扱った『ダブルフェイス』を読了済みだが、こちらも綿密な取材と独自の発想が面白かったと記憶している。ミステリー的要素では、本書の方が上だろうか。ちなみに、本書も再読。初読は2000.03.27

 主人公・松浦のキャラクターがいい。熱血漢だが寝技も使えるなかなかのやり手刑事。彼を取り巻く東京地方検察庁の古沢美由紀や同僚の赤松刑事、恋人のヒロコなど脇役もよく描かれている。さらには敵方である警察官僚たちもいい味を出している。

 最後には警察官僚と大蔵官僚を巡る謀略的な部分にまで話が入り込み、首相まで登場する白熱ぶり。一警察官に首相が面会するかな、と多少非現実的な部分があるのは否めないが、細かな描写が非常にリアリティにあふれている為、こんなのもありかなと思わせてしまう。政治がらみといえば「アンウピウカ」というキーワードが頻出するのだが、これは他の作品で描かれた事件なのだろうか。何となく「読者がその事件を知っている」前提で書かれているような気がしたので。ちなみに久間十義で検索すると『魔の国アンヌピウカ』という作品が刊行されている。

 さて、松浦の元上司・藤国の言葉に次のようなものがある。「上と接触するときは、現場の誇りを忘れるな、自分たちの目は犯人を追うためであって、上司の顔色をうかがうためにはない」 松浦自身、この言葉を信じ、実行し、そして壮絶な最後を遂げてしまった。死ななくてもよい人が何人か死んでしまったのが多少後味を悪くさせているが、一方でリアリティを増幅させてもいる。やはり「力作」と呼ぶに相応しい作品。

【上巻】 【下巻】 >2006.09.24.SUN


△0498 『中田語録』 >小松成美/文春文庫

 背表紙あらすじ:日本サッカー界の若きリーダーであると同時に、今や“世界のNAKATA”となった中田英寿。その言動の一つ一つがどんな背景から生まれたのかが語られた初の“公認”発言集。昨年の熱狂が記憶に新しいワールドカップ本選やペルージャ移籍後のエピソードも書下ろしとして収録。物議を醸した彼の言動の真意がここにある―。

 こちらもドイツW杯引退をきっかけに読んだもの。内容的には『文体とパスの精度』の方が面白かった。

  • 中田英寿という名前なんか意味を持たない、過酷なサッカーが"世界"にはあるはずだよね。ワールドカップを経て、海外でやってみたいという気持ちは固まったよ。もし、まったく歯が立たなかったら、すぐにサッカー辞める覚悟だってある。でも「絶対にやれる」っていう自信がなければ海外には行かないでしょう。
  • サッカーしか知らない人間になりたくないし、いつも好奇心を持っていたい。俺がサッカー選手として生活するの、あと何年か分からないけど、その先の人生のほうがずっと長いに決まってる。次にどんな仕事をしようか、自分にはどんなことができるのか、いろいろ考えるのって凄く楽しい。
  • 派手で美しいプレーを見せようと思ったら、地味な練習を死ぬほどしないと。基本があれば、1を100にだってできるんだから。基本がない選手は、いつか消えていくでしょう。ふたり一組になって、パスを出し合う練習。何度も何度も繰り返すこと。これが重要です。足のどの部分で、どれくらいの力で蹴ると、どういうパスになるのか、頭の中にインプットしながら蹴らなきゃ駄目。
 そういえば、彼の引退直後にブログの方で、感想を書いた。こちらのHPの方がメインなので、抜粋して記録を残しておきたい。

■2006.06.24:
 今回のワールドカップ。日本は惜しくも予選落ちとなったが、個人的には非常に大きな感動を得た。もともとサッカーにはあまり興味がないのだが、やはりワールドカップとなると熱を入れて見入ってしまう。普段興味のないスポーツでも、オリンピックだと応援してしまうのと同じ。

 さて、何に感動したかというと中田(英)のサッカーに賭ける姿勢である。ブラジル戦の後、ピッチに仰向けに転んでしまった姿。全てを出し尽くした男の偽らざる姿だと思い非常に感動したのである。ヒデに対する印象が大きく変わったのは、前回の日韓ワールドカップで。それまではただのナマイキな青年だと思っていたのが、色々とよく考えて行動していることを知り、好印象を持つに至った。しかし、今回の彼の姿勢には、当時を更に上回る共感を覚えた。

 少し話題は変わるが、彼のHPに記載されていたメッセージが印象的であったので、感想を。まず、WCで勝つ為に何をすべきかが明快になっている点に注目したい。がむしゃらな努力ではなく、計算されたたゆみのない努力が垣間見える。今の日本に必要なのは何よりも走ること、そして普段どおりの実力を出し切るメンタル面の強さだと彼は言う。そしてもう一つ印象的だったのが、ミスに対する考え方。挑戦の陰にミスはついて回るものであり、前向きなプレイから生まれたミスを責めてはいけないというもの。共感を覚えるとともに、今回の大会における彼の無言の怒りは、ミスを恐れて挑戦できなかったことに対するものではないかと推測する。

 自分がやるべきことを積み重ね、試合という舞台で今までの成果を出し尽くす。当たり前のようでなかなか出来ないことだし、頂点を目指して努力してきたものにしか味わえない悔しさがあると思う。自分が一生懸命取り組んでいるものに対しては、常にベストを目指すべきだし、常にベストを尽くすべき。そんな姿勢をピッチに横たわる彼から学んだような気がする。

■2006.07.07:
 サッカーの中田英寿選手が引退宣言。彼らしいと言えば非常に彼らしいのだが、残念でもある。しかし、スポーツ選手にとってピークの見極めというのは難しく、非常に重要なこと。彼自身が、理想とする自分と動かなくなっていく肉体のギャップに耐えられなくなるであろう。そういった意味では見事な引き際である。

 いろいろなニュースで彼のことを「孤立」「孤高」と表現しているが、あまり書き立て過ぎるのもいかがなものか。全くレベルが異なるので今の自分に置き換えることなどおこがましい限りだが、少しだけ気持ちが分かる気がする。自分ひとりが熱くなり、周りがついてこない状況というのは非常につらい。

 日本人というのは、なぜか真面目に取り組んでいる人を避ける嫌いがあるように感じる。日本人が勤勉と言われたのはいつの時代だろう。かといって不真面目な訳でもなく、非常に中途半端な感じがする。

 プロスポーツの選手というのは、身体能力に優れ、生まれつき運動神経が発達している人が多いのであろう。逆に言うと、あまり考えなくとも、持って生まれた能力である程度のレベルまで達する出来る人が多いように思うのである。そんな中、考えることの重要性・必要性を説いてきた中田選手が、浮いた存在になってしまったのは仕方の無いことなのかもしれない。

 ビジネスの世界でも、学歴重視が幅を利かせ「覚える」のが得意な人がまだまだ多いような気がする。考えること。これを実践していかなければ、スポーツであろうとビジネスであろうと、一流にはなれないであろう。中田選手の引退からそんなことを考えた次第である。

■2006.07.15:
 テレビで「緊急放送!中田英寿引退特別番組」を放送していたので、印象に残った言葉を抜粋。

  • どんな状況でも最高のパフォーマンスをやれるのがプロとして一番大事なこと。試合に出る出ないは関係ない。(控えとしてベンチを暖めることが多かった時期についてのコメント)
  • (ケガなどで)「痛い」と発言することは、「だからいいプレーが出来なくてゴメン」と言い訳しているようで嫌だ。
  • 「頑張る」とも言わない。なぜなら頑張るのはプロとして最低限の当たり前のことだから。そこから何が出来るかが重要。
  • (日本代表に対して)実力はあるが、その実力を100%出す方法を知らない。だから、実力を出せるよう4年間言い続けてきた。
  • 「誇り」=自分自身にやり残したことはないか。妥協したことはないか。

>2006.09.23.SAT


×0497 『小説 ザ・ゼネコン』 >高杉良/ダイヤモンド社

 背表紙あらすじ:バブル崩壊前夜、大洋銀行調査役の山本泰世は、大手ゼネコン・東和建設への出向を命じられた。拡大路線を走る同社社長の秘書となった山本は、建設業界のダーティーな実態を目にする。公共事業と政治献金、株価操作…莫大な利権をもとに政界・官界と癒着した業界は、徹底した談合体質を有し、闇社会とのつながりももっていた。建設業界を舞台に、日本の政治と経済の暗部に切り込み、組織と個人のあり方に鋭く迫った問題作。

 単行本を以前、古本屋にて500円で購入したもの。単行本は値段も高いし、持ち運びも不便なのでついつい敬遠してしまうのだが、たまに2冊で1,000円などという古本フェアがあったりすると買い込んでしまう。やはり好きな作家の新作はなかなか文庫化が待てなかったりするのだ。といいつつ、本書は既に文庫化済みのようである。せっかく単行本を買っても、積読状態が続くとあまり意味がなくなってしまう。

 しかしながら本書は高杉良氏のサインと花押入りであった。ラッキー…といえるのかな? 買うときは気付かなかったのだが、今般蔵書整理を兼ねて未読の単行本を一気に読もうと思い、手にとって初めて気が付いた。せっかく整理しようと思っていた蔵書だが、こういう本は売りにくく感じてしまう。

 内容のほうは少々古い。最初に主人公の入社年度が1972年とあるのを見て吃驚。私の生まれた年である。小説の舞台は1987年。まだ昭和の時代。バブル真っ盛りである。そんな中、銀行からゼネコンに出向した課長を描いた作品である。

 ゼネコンのワンマン社長に猫かわいがりされる主人公とそれをやっかむ生え抜き社員という構図。これに外資系ホテルの買収プロジェクトや政管との癒着、談合問題などが絡んでくるのだが、大半は社内の派閥争い的なストーリー。これはこれで、お話としては面白いのかもしれないが、私が経済小説に求めるのは、頑張る主人公を見て自分も発奮すること。そういった意味では本書は期待はずれであった。

 ところで本書は実話を元にしたものなのだろうか。高杉作品には、実話を少しアレンジしたものが沢山あるが、舞台となる東和建設以外のゼネコンは、加島、志水、大盛など、すぐにピンとくるものばかり。政治家の名前も竹山、曾根田、本橋など想像がつく。まぁ、どちらでもよいのだが…。

>2006.09.22.FRI


△0496 『生首に聞いてみろ』 >法月綸太郎/角川書店

 このホームページでは、このミスの国内版に限って1位から10位までを1988年当初から記録している。改めて歴代の1位を見てみると、流石にそうそうたるタイトルが並んでいる。ほとんどが既読であるが必ずしもHPにはアップしていない。『ホワイトアウト』や『不夜城』など、再読してからきちんと感想を書こうと取ってあるものが何冊か。船戸与一氏の作品はなぜか私にとって敷居が高く、なかなか手に取ることが出来ない。

 話がそれてしまったが、本書もそんなこのミス1位作品のひとつ。2005年度の第1位である。単行本を待ちきれず古本屋で入手し、期待して読み始めた。もともと「本格」はどちらかというと苦手な分野。筆者はその本格の雄であるが、代表格であるがゆえに、なんとなく敬遠していたのかもしれない。このミスなどのランキングは偏りがちな読書傾向を正してくれるので、あまり選り好みせず、積極的に読んでみようと思っている。本書はそんな経緯で手に取った一冊。

 私の場合、書評の前置きが長くなるのは名作か、今ひとつの時が多い。今回は残念ながら後者の方。ラストの謎解きやどんでん返しは流石であり、あっと言わせられもしたし感心もしたのだが…。何というか、物語に引き込まれなかったのである。彫刻の首が切断され、一方で登場人物の一人の生首が郵送され、とミステリアスな状況が続くのだが、読書中、なぜか冷めた私が「だからどうしたのだ」とささやき続けていた。

 面白いミステリーというのは謎解きもさることながら、登場人物たちの心理描写や人間関係など、泥臭い部分もしっかりと書けているものである。本書が「人間が描けていない」とは恐れ多くて言えないが、残念ながら表面的な描写が多いように感じてしまった。伏線もしっかりしており、一流のミステリーなのだろうが、好き嫌いの領域はどうしようもない。

 ところで、これは有名な話だが、本書では筆者=主人公として描かれている。つまり探偵役として法月綸太郎という人物が登場するのである。これはこれで非常に面白い試み。だがしかし、法月綸太郎の父親=法月警視が捜査上の秘密を息子にペラペラと話してしまうのはどうなのだろうか。法月氏の作品は『密閉教室』を読んだだけなので、他のシリーズを知らず、このようなシチュエーションが当然なのかもしれないが、生首が登場するような非現実的な物語だからこそ、それ以外の部分が現実的であった方が面白いように思うのだが。

>2006.09.20.WED

苗村屋読書日記 [100]

     



































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