

△0015 『勝者の資格』 野村克也
○0014 『覚悟の法則』 弘兼憲史
△0013 『ターン』 北村薫
×0012 『スキップ』 北村薫
△0011 『ホームページにオフィスを作る』 野口悠紀雄
△0015 『勝者の資格−ノムダス』 >野村克也/扶桑社/1995.12.07
阪神ファンである。野村が阪神の監督に就任したときは非常に楽しみであったが、どうもなじめなかったようで、残念である。まあ、今年の星野阪神に期待しよう。さて、この本を読んだのは野村がまだ阪神の監督に就任する前である。いろいろ悪評もあるが、結構いいことも言っているので、メモしてあったもの。
- 失敗それ自体をとがめないこと。むしろ若いうちは失敗して勉強するくらいに考える。成功して駄目になった人間はいくらでもいるが、失敗して駄目になった人間は極めて少ない。
- ぬるま湯に入るといつまでたっても出たくなくなる。人間は習慣の動物だから、長い間そうした思考を続けていると、それが必ず、仕事面に現れてしまう。 → プロとは当たり前のことを当たり前にできる人間をいう。
- もう駄目だの対極に位置するのは「なにくそ精神」であり、何とかなると、強いて明るく考える能天気精神である。もう駄目だと思わず、まだ駄目だと考えるべきである。
- 未熟なものにスランプはない:仕事を一生懸命やるものは、その仕事を深く愛し、仕事について四六時中考え、研究を怠らない人。→スランプとはつまづきをこじらせた状態。抜け出すには徹底的な原因究明。自分の欠点を正視し目をそらさない。
- メモが癖になると、感じることも癖になる。人より秀でた存在になる不可欠な条件は、人より余計に感じることである。メモを見直すこととは新しく感じることに他ならない。感じなければ連想が湧かず、想像力・創造力も生まれてこない。
- 「耳順」:完成された人間が他人のいうことを耳に逆らうことなく素直に聞く。→むさぼるように聞く、身を乗り出して聞く、顔を輝かして貪欲に聞く。聞き方:適度にうなづく、相槌を打つ、顔を輝かす、話し相手を正視する。
- 便利は弱い、不便は強い。器用は弱い、不器用は強い。
- 一流選手とはその本質−複雑さの中の単純さ−に早く気づき実践する人を指す。
- 理を持って戦うのは少数派だが、真理というのは常に少数派に存在するものである。
- 「すんません」の効用は、後に続く言い訳を自動的に断ち切る点にある。
- 朝聞夕改:人間は変わろうという意志があれば変われる動物である。
- 自分は皆とは違うという気持ちを忘れない。結局は自分も皆と同じだという判断を忘れない。
- 悩むことはむしろ、自分を一回り大きくしてくれるチャンスである。
- 幸運の女神というものは笑顔と謙虚さのある人間にしか微笑まない。
仕事のことで悩み、常にその事を考え、真摯に対応すれば、道は開けるということ。よく言われることだが、常に一つの事を考えていると、天啓のようにアイデアが閃くことがある。ほとんどそのような経験はないが、一つの事を徹底的に考えるというのは非常に大変なことだと思う。「言うは易く、行なうは難し」とはよく言ったもので、いいことを実践するのは難しい。野村監督など自分では実践した方だろうが、自分が出来る事を他人に求め出すと難しくなる。駄洒落で申し訳ないが、『敗者の死角』なんてタイトルで後日談を出せば売れるかも。結婚相手も悪かったね。

>2003.3.29.SAT
○0014 『覚悟の法則−自分の人生は自分で決める』 >弘兼憲史/PHP研究所/1995.02.01
入社直前の2月に読んだ作品。『課長・島耕作』をずっと読んでいたこともあり、何気なく手に取ったのだが、社会人になるに当たっての心構えのようなものを学んだと思う。今読み返しても面白そうだが、残念ながら必要な部分だけメモを取って処分してしまった。
当時メモしていた内容は次の通りである。
- 会議のたびに部長や課長はこの状況ならどういう決断をするかをシュミレーションし、自分なりの結論を持っておく。意見が異なれば、勉強になるし、一致していれば自信になる。
- 平社員でつらい目にあったとき、自分が上になったら絶対にそういう思いを部下にさせないと覚悟する。
- ライバルを作ってそいつに勝とうと考えるより、自分の仕事を自分自身で目標をたててきっちりこなす。
- 自分に強い男はいっぱいいるし、他人にやさしい男もいっぱいいる。しかし、両方兼ね備えたやつはそんなにいない。
- 人と群れるのが嫌なら、リスクを覚悟で自覚を持って仕事に打ち込めばいい。仲間と競いながら楽しく仕事をこなしたいというなら、他人のミスもきちっとフォローするという覚悟で頑張ればいい。
- いろいろな情報を自分でかき集めて、自分の言葉で意見を言いたい。間違っていると指摘されて納得できれば、さらに自分の考えが深まることになる。
- 叱られ方:(1)言い訳しない。(2)誠意を示す。(3)あまり多くの言葉を使わない。
特に、常に部課長の視点で物事を考える習慣や、叱られ方については、実践し、効果も出ているような気がする。弘兼憲史は数年間しかサラリーマン生活を送っていないが、当時の友人たちから話を聞くこともあるのだろう、ビジネスの世界を非常にリアルに描いている。個人的には『部長・島耕作』『取締役〜』よりも、『課長〜』やイブニングで連載中の『ヤング〜』の方が好きである。自分の年齢が30歳ということもあり、親近感を覚えるせいだろうか? サラリーマン生活は理想を追い求めすぎてもダメ、理想を捨ててしまってもダメ。自分がやるべきこと、自分でやれることをコツコツこなしていくだけである。

>2003.3.29.SAT
△0013 『ターン』 >北村薫/新潮文庫/2002.04.01
背表紙あらすじ:真希は29歳の版画家。夏の午後、ダンプと衝突する。気がつくと、自宅の座椅子でまどろみから目覚める自分がいた。3時15分。いつも通りの家、いつも通りの外。が、この世界には真希一人のほか誰もいなかった。そしてどんな一日を過ごしても、定刻がくると一日前の座椅子に戻ってしまう。いつかは帰れるの? それともこのまま…だが、150日を過ぎた午後、突然、電話が鳴った。
『スキップ』に比べるとややSF的な作品。特定の1日を繰り返すという設定、現世界と電話だけで繋がっているという状況など、アイデアが素晴らしい。にもかかわらず、主人公の行動が非常に日常的で、これも作者独特の風味といったところか? 個人的には『スキップ』よりも面白いと感じた作品。また、巻末には「付記」として作品中のトリックの矛盾点を作者自らが検証している。このあたりの緻密なところや真摯なところは非常に好感が持てる。
しかし、自分がこんな状況に陥ったらどうするだろうか? 例えばこのホームページも、明日になれば白紙に戻っているのだ。自分の記憶だけは更新されていくが、それ以外が全てリセットされる。人間というのは記憶だけでなく、記録を残して生きているんだなという感想を持った。自分が生きている、生きてきたという「記録」が全く存在しないというのは、非常に寂しいことのように思う。
『スキップ』『ターン』とも、時間というものの大切さがテーマではないかと感じた。偶然にもちょうど一年前に読んだ本から、コメントを始めたが、この一年果たして自分は何をしてきただろうか? それなりに忙しかったし、全社システムの導入などに携わり充実した日々では会ったが、最大限の努力をしたであろうか? 2冊ともつい最近読んだ本のように感じる。詳細を覚えているわけではないので、記憶力の問題ではない。時間の感じ方の問題だ。社会人になって、1日1日が忙しいこともあるだろうが、光陰矢のごとしである。毎日を大切にしたいものだ。

>2003.3.29.SAT
×0012 『スキップ』 >北村薫/新潮文庫/2002.03.27
背表紙あらすじ:昭和40年代の初め。わたし一ノ瀬真理子は17歳、千葉の海近くの女子高二年。それは九月、大雨で運動会の後半が中止になった夕方、わたしは家の八畳間で一人、レコードをかけ目を閉じた。目覚めたのは桜木真理子42歳。夫と17歳の娘がいる高校の国語教師。わたしは一体どうなってしまったのか。独りぼっちだ―でも、わたしは進む。心が体を歩ませる。顔をあげ、『わたし』を生きていく。
ちょうど一年前に読んだ『スキップ』について。17歳の少女が、一気に42歳の世界に突入してしまうという設定だが、作者独特のほのぼのした感じに仕上がっており、SF的な小難しさはない。主人公の心理描写を中心に物語は進んで行き、何とか現実を受け入れようとする努力が涙ぐましい。タイムスリップというと、ドラえもんのタイム・マシーンのように、自分の年齢を変えることなく、過去や未来に行くことであるが、この場合、当然ながら過去や未来の自分が存在する。しかし、この小説は、自分自身が「未来」の世界へ突如飛び込んだという設定である。どちらかというと、知らぬ間に「過去」の世界に居たという設定(つまり若返り)が安易に選択されそうな中、未来へ眼を向けた点が面白いと思う。
まったくシチュエーションは異なるが、東野圭吾の『秘密』と雰囲気が似ていると思った。SFといってもおかしくないのだが、SFではなく、主人公の感情を中心に物語を進めている点、特に主人公が現実を受け入れる努力をする点などはそっくりである。余談だが、『秘密』は最初コメディとして書き始めたという東野のエッセイを読んだ記憶がある。確かに笑えなくはないシチュエーションだが、よくもあそこまで文学的に仕上げたものである。

>2003.3.29.SAT
△0011 『ホームページにオフィスを作る』 >野口悠紀雄/光文社新書/2002.09.19
ホームページを更新していて、ふと、なぜこんな事をしているのだろうと思ってしまった。少し考えてみて、一応、目的らしきものが3つ思い浮かんだ。1つ目は、1,500冊を超える読書をしてきて、本の題名と作者だけはノートに記録してきたが、あまりにも覚えていないものが多く愕然とし、何か記録を残しておきたいと思った為。2つ目は、本を能動的に読む、つまり、自分の意見を持ちながら読むには、このような感想文を書くのが有効だと思った為。3つ目は、ほとんど趣味を持たないので、何か長期的に楽しめるものはないかと考えた為、である。
さて、ホームページを作るきっかけになったのがこの本である。(つい最近読んだと思っていたのだが、半年も前のことだった。最近、つくづく月日が経つのが早いと感じる) 何気なく本屋で手に取ったのは、『「超」整理法』など、いかに仕事の効率を高めるかを常に考えており、いつも共感を覚えながら読んでいる著者の作品だった為だ。ホームページは自分のために作るものという意見はもっともだと思い、誰にも読まれなくていいやとホームページを開設した。しかし、一度開設してみると、いろんな人に見てもらいたいと思うのは当然であり、こまめに更新するようになった。もともと飽きやすい性格なので、いつまで続くか自分でも楽しみだが、読書という趣味は20年近く続けてきているので、しばらくネタが切れることはないだろうと楽観している。
肝心の本書についてだが、期待していたほどではなかったけれども、まずまずの内容。大学教授で秘書やアシスタントを使える立場は、全くの個人である私と全然異なり、この本に書いてあるような運営は不可能だろう。もう少し、一般の読者、個人のホームページ作成者向けに書いてもよかったのではないかと思う。結局、巻末のサイト情報などを参考にした程度で、実際のホームページ作成時にはあまり参考にならなかった。まあ、ホームページ作成のきっかけとなったし、元は取れたかなという感じ。
余談だが、ホームページのアクセス数で最も多いのがポルノサイトだそうだ。どういうキーワードで検索しているのか、システム的なことは分からないが、ポルノポルノポルノアダルトアダルトアダルト、などと羅列したらアクセス数が増えるのだろうか? 明日の夜、自分のホームページを見て、アクセス数が急増していたら、大笑いである。

>2003.3.28.FRI
苗村屋読書日記 [03]

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