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◎0165 『亡国のイージス』 福井晴敏
○0164 『虹の谷の五月』 船戸与一
◎0163 『誘拐の果実』 真保裕一
△0162 『くっすん大黒』 町田康
△0161 『聖域』 篠田節子

◎0165 『亡国のイージス』 >福井晴敏/講談社/2000.05.18〜講談社文庫/2003.09.18

 いつか再読したいと思っていた作品。文庫化されたので、ちょうどいい機会だと思い手にとって見た。適度にストーリーを忘れており、再読ながら十分に楽しめた。しかも、前回は『Twelve Y.O.』を読む前だったのだが、今回は「辺野古ディストラクション」や「GUSOH」といったキーワードにも馴染みがあり、さらに楽しめた様に思う。

 登場人物の造詣がいい。主要な人物が3人登場するが、プロローグとエピローグでそれぞれに焦点を当てた構成が秀逸。如月行、宮津、仙石とそれぞれ立場は違うが、おのれの信念に忠実に生きる男たちである。中でも好きなのは仙石。「どれだけ一緒にいても他人を完全に理解することはできない。つまるところ自分は護衛艦クルーとして〇か×かという判断基準を通してしか他人を見ていなかった」と自分が接してきた相手のことがよく見えないと自己嫌悪に陥りながらも、持ち前の真摯な性格で、行の心を溶かしていく。肉体的には決して優れてはいないが、《いそかぜ》を自分の艦だと思う心は人一倍であり、自分の家のように知り尽くしている《いそかぜ》の中を縦横無尽に活躍する。

 本編もいいのだが、プロローグが非常に気に入っている。特に、沖を走る軍艦に手を振る行と、それに対して警笛で応える宮津。偶然と片付けてしまえばそれまでだが、ここに作者のロマンティズムを感じる。行の独白もいい。「海を見るのが好きだったせいもあるだろう。遊ぶ材料に事欠かないのは山の方だったが、嫌なことや辛いことがあった時、見たくなるのは決まって海の方だった。うるさいほど賑やかに生命を実らせた山と違って、海には物静かな茫漠とした海面の下に秘めた底深い生命のたぎりがある」 同感。

 さて、作中で北朝鮮のミサイル誤爆問題が実は米国の陰謀だったという説が出てくる。沖縄の在日米軍を維持するために、北朝鮮は必要悪だという説だ。どこかで聞いたことがあると思ったら、楡周平も同じようなことを作品で語っていた。この辺りの世界政治問題には疎いのでよく分からないが、結構一般的な説なのだろうか。イラク問題もまだまだくすぶっているし、今後、北朝鮮問題はどうなっていくのかと不安にもなった。

 最後に宮津の息子・隆史の論文を抜粋して締めたい。「ギリシャ神話に登場するどんな攻撃もはね返す楯、それがイージスの語源だ。しかし現状ではイージス艦をはじめとする自衛隊装備は防御する国家を失ってしまっている、亡国の楯だ。それは国民も我々自身も望むものではない。必要なのは国防の楯であり、守るべき国の形そのものであるはずだ」「日々が仕事で塗り込められていった時、何も考えずに生きてゆけそうな自分がいることが悲しい。誰もがしていることであるし、そうした方が自分自身楽なのだろうと思いはしても、やはり信念は捨てたくない。自分の国籍と職業に胸を張れる人間でありたい」 これらの言葉に本作品のテーマが集約されていると思う。重く長い作品だが、一気に読める傑作である。

>2003.09.18.THU


○0164 『虹の谷の五月』 >船戸与一/集英社文庫/2003.09.14

   フィリピン・セブ島のガルソボンガ地区で育つ、少年トシオ・マナハンの成長譚である。父親は日本人だが、フィリピン人の母親を孕ませた後、姿を消してしまった。母親はトシオを育てる為、娼婦となり、エイズで死んでしまう。そんな逆境にも負けず、ジャピーノ(日本人との混血)と呼ばれても気にせず、逞しく生きていく。そんな少年の13歳(1998年)から15歳(2000年)の5月にスポットをあてた作品である。

 虹の谷とはガルソボンガの奥地にある谷で、空を見上げると、まん丸の虹が出るという地。ホセ・マンガハスという元新人民軍のゲリラが住みついている。毎年5月に、この虹の谷へ行こうとすると、なぜか事件が起こってしまう。自分の失敗でホセを窮地に陥れてしまったりするのだが、それらの事件を通してトシオは少年から青年へと成長していく。最初は、「おいら」で始まる語り口調に若干の抵抗を覚えたが、慣れてくると気にならなくなった。そのうち、本書が成長譚であるなら、一人称も「おれ」に変わるのではないかと思っていたら、やはり、15歳のトシオは「おれ」に成長していた。また、ホセが少年への呼びかけを「ぼうず」から「トシオ」へ変えたのも印象深かった。

 本書のもう一人のキーパーソンがトシオの祖父ガブリエル・マナハンである。過去にはゲリラ活動の経験もあり、深い洞察力と時々見せる迫力はトシオの人間形成に大きく寄与している。祖父と孫、そしてホセという父親代わりの男が登場する構図を見て、漫画の『釣りキチ三平』を思い出した。三平は父親が行方不明、母親は水死しており両親が不在。祖父の一平じいちゃんに育てられる。父親代わりというよりも、兄貴のような存在として登場するのが魚紳さんである。この作品も「釣り」を通して、少年・三平の成長と、自然の大切さを描いた秀作で、小学生の頃、読みふけったのを思い出す。ちなみに、『釣りキチ三平』ではラストで一平じいちゃんが亡くなってしまう。その時、一平じいちゃんが、悲しいときや辛いとき、人前では泣かずにここで泣けと、作ってくれた「泣きブランコ」で三平が号泣するシーンが今でも忘れられない。本書では一体どうなるのかと、どきどきしながら読み進めていった。

 さて、物語を読み進めていて気になったのが、父親の忘れ形見であるセイコーの時計。至るところでトシオが時間を確かめるのだが、それがまるで、自分自身の成長を刻んでいくかのように感じた。もう一つ象徴的なのが「人喰い花」 正式にはタイタンアルムというらしいが、35年間種子として地中に眠り、発芽して1ヶ月で強烈な臭いを発する花を咲かせ、2週間後に萎れて枯れる。ホセはこの花を「暗示的な植物だな」とゲリラに見たてている。「ゲリラも地下に潜って耐えているときはいい。しかし、表にひきずり出されて強い陽差しを浴びると、たいていがイヤな臭いを放ち始める」と。

 ラストは爽やかである。悲しい死の一方で、明るい性を描き、「性」が「生」に通じていく。猿喰い鷲という鳥に名づけられた、アサム(希望)とダガン(誇り)。本書は、悲しくも誇り高き、希望に満ち溢れた作品である。

>2003.09.14.SUN


◎0163 『誘拐の果実』 >真保裕一/集英社/2003.09.10

   真保裕一がやってくれた。最近読んだ彼の著書には、ずっと厳しい点をつけてきたのだが、やっと素晴らしい作品に巡り合えた。一時期、自分の期待する方向に向いていないのかもしれない、真保裕一はミステリーとは違う別のベクトルを探し出したのかもしれないと思い、読むのをやめようかとまで考えた時期があったのだが、諦めずに読みつづけてよかった。とにかく、手放しでお薦めしたい秀作である。

 物語は3つの誘拐を軸に動く。1つ目の誘拐は1歳5ヶ月の工藤巧という幼児が被害者となる。2つ目は宝寿会総合病院の副委員長の娘、辻倉恵美が。3つ目は19歳になった工藤巧が再び誘拐される。1つ目の誘拐は幼児がすぐに発見されたため、正式には誘拐と認定されなかった。2つ目からの誘拐の脅迫内容が面白い。病院に入院しているバッカス・グループ会長・永渕の命を奪えというものと、そのバッカスの株7,000万円相当を身代金として差し出せというものである。両者の誘拐にバッカス・グループが大きく関与していると見て、警察は動き出す。

 (以下、結末には大きくは関与しませんが、読者をミスリードするための伏線に関してネタバレです) ☆私にとっては、株券による身代金の要求というのが非常に面白く感じられた。まず、7,000万円という大金を非常にコンパクトに持ち運ぶことが出来る。これは、身代金を宝石に換えて要求するのと同じ効果がある。しかし、株券による身代金受渡には更なる効果が隠されているのだ。つまり、売買が可能な有価証券であることを利用し、善意の第三者に身代金を受け取らせることが出来るというのである。つまり、犯人は第三者に被害者の家族から受け取る予定の株券の代金を要求し、第三者は被害者の家族から株券を入手するのである。善意の第三者とは、株券が誘拐の身代金であるという事実を「知らない」第三者のことであり、もっと言うと「知らない」振りをすることも可能なのである。以前、他の作品で競馬の当り券を身代金として要求する話があったが、金銭を伴わない誘拐というのは非常に興味深い。「現物」を伴わないネット・ビジネスが盛んだが、今後、このようなバーチャルな対価を要求する誘拐が増えてくるかもしれないと、嫌な予感がする作品であった。また、2つの誘拐にバッカスがからむところから、グリコ森永事件を模倣した株価操作的な事件かと思わせるところも秀逸である。

 最近読んだ作品の影響で、恵美と巧が兄妹ではないかなどと言う邪推もはさみながら読み進めたが、ラストは感激的であった。なるほど、この誘拐の裏にはこういう事実が存在するのかと嘆息してしまった。☆犯罪と言うと、普通はネガティブな結果しか残さないものだが、ポジティブな成果を残すことのできる犯罪もあるのだとはある刑事の言葉。さすがにそこまで計算しての犯罪だとは思いもよらなかった。☆ 二転三転するストーリー展開。長い作品だが中だるみもなく一気に読ませる。そして何よりも結末の爽快感が素晴らしい。

>2003.09.10.WED


△0162 『くっすん大黒』 >町田康/文春文庫/2002.08.01

 初町田康である。彼については、パンクロッカーの町田町蔵時代から名前だけは知っていた。「INU」というパンクバンドを率いていたのだが、高校生の頃、レコード店で何度か手にとっては見たものの結局買わなかった。というわけで、「INU」の楽曲は聞いたことがないのだが、元ロッカーということで、妙に期待を抱いていた作品。彼ならではの発想で、シュールな世界を描いているのだが、自分の感性とは合わなかった。こればかりは、好みの問題としか言いようがない。しかし、町田が目指している方向はいいと思うので、これに懲りず、次作も読んでみたいと思っている。

 さて、作品の方は、毎日酒ばかり飲んでいて、妻に出ていかれた男が、部屋に転がっていた「大黒」を捨てに行く話である。たわいもない日常から生まれるシュールな世界。いや、大黒は日常的か? そもそもなぜ大黒か? この手の作品を素直に楽しめないのは私の感性が鈍ってきている証拠かもしれない。そういえば、ある先輩に「最近の歌って、いいものが少ないですよねぇ。ちょっと昔の歌のほうが好きなんですよ」と言ったら、「お前がついて来れてないだけじゃないのか」と一刀両断。体型と感性と笑いのセンスだけはオヤジ化したくないと思う今日この頃。

 解説を読むと、本作は梶井基次郎の『檸檬』のパロディだとのことだが、そもそも『檸檬』を知らない。200ページにも満たない薄い本なのだが、私にとっては何となく存在感のある本である。とは言いつつも、結局、咀嚼しきれなかったので△とさせていただく。そうそう、筆者の名前は「康」と書いて「こう」と読む。ずっと「やすし」だと思っていた。失礼。

>2003.09.09.TUE


△0161 『聖域』 >篠田節子/講談社文庫/2002.04.20

 これぞ篠田節子の真骨頂とでも言うべき作品だろう。宗教色が強い反面、信仰心なんかくそくらえと言っているようにも感じる不思議な作品。物語はある編集者が、関わった者たちを破滅へ導くという未完の原稿『聖域』を見つけるところから始まる。この作中作で語られる物語が重厚で、作品の重みを一層増している気がする。ミステリーや歴史小説、SFといった限られたジャンルしか読んだことがなかった私には、衝撃的な作品であった。しかし、アクの強さに負けてしまい評価は△。

 さて、物語は『聖域』の素晴らしさに魅せられた編集者が、続きを書かせて完成品を読みたいという欲求をエネルギーに発展していく。姿を消した作中作の作者を追い求めて、東北まで赴くあたりはミステリーとも呼べそうだし、いたこが現れるあたりはホラーでもある。異端の作品というのは、なかなか受け入れづらいのだろうか。ヤン・ソギルの『血と骨』を読んだ時も似たような感想を抱いた気がする。

 ところで、異形の作品というのは何となく、いつまでも記憶にあるものである。私の中の三大異端話は、本作品の解説にも登場した、W・W・ジェイコブズの作品。確か『猿の手』というタイトルだった気がするが、記憶が定かではない。そして、小松左京の『くだんのはは』。最後に、作者もタイトルも思い出せないのだが、筒井康隆か阿刀田高のアンソロジーに載っていた、お猿の話。子供が猿になってしまう話だった様な気がするのだが、思い出せない。思い出せなさが一層、私の中の異端さ加減を助長させている。

 本作『聖域』も異端さで、私の記憶に居座るであろう。△だけどお薦めの作品。

>2003.09.08.MON

苗村屋読書日記 [33]

     



































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