△0170 『「超」整理法』 野口悠紀雄
△0169 『「超」勉強法』 野口悠紀雄
△0168 『「超」勉強法・実践編』 野口悠紀雄
△0167 『川の深さは』 福井晴敏
△0166 『ゴサインタン−神の座−』 篠田節子

△0170 『「超」整理法…情報検索と発想の新システム』 >野口悠紀雄/中公新書/1996.11.18

 野口悠紀雄第三弾である。そういえば妻が、”野口悠紀雄というのは整理法の大家だと思っていたら、「超」シリーズの大家だったのね”と言っていた。私も最初は「チョー」というと女子高生の言葉のようで抵抗があったのだが、他によい言葉は無かったのだろうか? 「超」苗村屋日記、「激」苗村屋日記、「爆」苗村屋日記・・・うーむ

 さて、「超」整理法をまじめに検証しよう。まず主題として、「押し出しファイリング」という時系列での整理法を提唱している。これは、角ニ封筒に関連書類をすべて放りこみ、本棚に縦に並べておくだけのもの。ただし、使用した封筒は本棚の一番左側へ置いていくというルールがある。これにより、最近使ったファイルは左側に、使用頻度が低いファイルほど右側へ自動的に整理されていく。これを無理やり分類しようとすると大変である。筆者は整理=分類でないといい、分類には、どこへ分類していいかわからなくなる「こうもり問題」や、こうもり問題を解決しようとして、その他ファイルを作ると、何でもそこへ入れてしまう「その他問題」が発生すると主張している。

 「押し出しファイリング」は検索も容易である。人間の記憶というのは、どこへ分類したかはすぐに忘れてしまっても、いつごろ作業を行ったかという時間的記憶は割合強いそうである。「押し出しファイリング」では、最近使ったファイルほど左側にあるので、左から順に検索していけば、目的物を見つけるのにさほど時間は掛からない。結局、ファイリングや整理の目的とは、欲しい情報をいかに素早く入手するかだと思うので、検索の容易化という意味では最適な方法かもしれない。また、不要な書類ほど右側へくるので、何を捨てるべきかを判断するのも容易となる。

 筆者は「ポケット1つ原則」も提唱している。これは、どんな重要な書類でも、つまらない書類でも1つの場所に保管せよというもの。角ニ封筒に規格を統一し、重要な物は色分けにて区別して、1つの本棚に集約する。すると、他の場所を探す必要がなくなるのである。この、「他の場所を探さなくていい」という効用は大きい。本棚になければどこにもない、諦めるしかないのである。あるかないか分からないものを延々と探すのは時間の無駄以外の何物でもない。

 タネを明かせば単純な方法だが、単純だからこそ長続きするのだろう。また、整理に封筒を使っているのもシンプルでいい。筆者もいろいろなファイルや整理グッズを試したそうだが、「設計者の恣意的な判断で余計なものをつけると使用者はそれに束縛される。余計なものが一切無い、最低の機能に特化したものがもっとも使いやすい」と言っている。

 その他に、

  • 名刺は時系列に並べてコピーを取っていく。古い名刺は部署や肩書きが変わっていて使い物にならないので、一時的な情報と割り切る。
  • パソコンの情報はソフトのバージョンアップ問題を避けるためテキストファイルで管理し、検索しやすいタイトルをつけて、分類せずにどんどん保管していく。パソコンだと無作為に保管してもキーワードでの検索が容易である。
 など、数年前の著書だが、今でも十分通用する新しい発想が盛り沢山である。

 さて、誉めてばかりでは面白くないので少し批判をしながら、私流にアレンジした整理法を紹介したい。
 まず、「押し出しファイリング」であるが、これは大学教授という個人で仕事をしている人には有効だが、会社で仕事をしている者には実践できない。まず、個人用の本棚が無い為。次に、複数の人数でこなす共通の仕事については、ファイルの秩序の維持が困難な為である。そこで、共通の仕事については会社の規定に従い、そこから分担され個人レベルの仕事に落ちてきたものについて、机の引出しを利用した「押し出しファイリング」を実行している。

 机を利用してのファイリングとは、会社から与えられている3段のキャビネットを、1番上が文房具、真ん中が押し出しファイル、下段が参照ファイルというふうに区分するもの。中段の引き出しには、封筒の替わりにクリアファイルを使用し、縦に並べるのではなく上にファイルを積んでく。最近使った物は自然と上に来るし、クリアファイルであれば中身が何かも分かり易い。タイトルは大き目のポストイットに書いて、貼り付けておく。また、会社の書類はほとんどA3かA4に統一されているので、封筒でなくクリアファイルでも十分対応可能である。仕事を進めていく上で、必要書類がすぐに出てこないというのはストレスである。また、進捗中の重要案件については、ある程度頭に入れておきたいし、その為には案件を絞りこまなければならない。よって、私の「押し出しファイル」は常に5〜6件で、それらの案件に関する書類はすぐに取り出せるようにしている。

 「押し出しファイル」としての役目を終えたもの、つまり終了した案件については、会社として保管が必要な物は共有ファイルへ、個人の参照用に必要な物は参照ファイルへ保管する。参照ファイルには、今後の仕事に役立つと思われる不変的な情報だけをファイルするよう心がける。特にプロジェクトに関わったときには、大量の書類が発生するが、それらを個人的に取っておく必要は全くない。自分に残しておくべき物は2つ。その仕事を通して得た知識とノウハウだけである。

 さて、これらのファイルに加えて、色付きのクリアファイルを2つ用意し、「PENDING」と「WAITING」に分類。「PENDING」ファイルには自分で動かなければならないものですぐに出来そうなものを入れておく。いわゆる「すぐやるリスト」である。ちょっとした調べものや、誰々へのメール送信、と言ったたぐいもメモ帳に記入して「PENDING」ファイルに入れておく。また、すぐには出来そうにない「PENDING」については、先ほどの「押し出しファイル」に格上げするのである。

 もうひとつの「WAITING」ファイルは誰かに依頼してフォローしなければならない案件を入れておく。今まで、この「PENDING」と「WAITING」を区別していなかった為、未処理の案件が山ほど出来てしまい、非常にストレスを感じていた。しかし、「WAITING」という自分としては待っているだけの領域があることに気付き、自分でやらなければならない仕事が意外に少ないことに気がついた。もちろん、「WAITING」といえども忘れてはならないし、フォローは必要だが、自分であれこれするのに比べるとストレスは少ない。なお、「PENDING」ファイルには数時間毎に目を通して、やり残しているものがないかをチェックする。「WAITING」ファイルも一日一回(できるだけ朝一番で)チェックし、必要があればその仕事の担当者にフォローの電話を入れるようにしている。

 結局、整理法に絶対のものは無く、個人の適正や仕事の種類によって変わってくるだろう。出来るだけシンプルで長続きしそうな方法を選んで、継続していくしかない。本を読んだり、身近な人の真似をしたりして、自分なりの方法を確立すべきである。ちなみに、このホームページも整理法の一環。本から得た知識や会社で得たノウハウをテキストで記録しておくためのツールである。

 最後に、野口悠紀雄氏原案の「出張準備・備忘リスト」を紹介して終わりたい。

■出勤
□財布 (□現金 □クレジットカード □キャッシュカード □鍵 □免許証)
□定期 (□定期券 □名刺 □社員証 □テレフォンカード □プリペイドカード □メモ)
□ボールペン  □時計  □携帯電話  □ウォークマン  □ハンカチ  □ティッシュ
□本 (□小説 □テキスト □雑誌)

■日帰り出張
□スケジュール帳  □必要書類  □名刺  □電卓
□筆記用具 (□シャープペンシル □消しゴム □ラインマーカー □メモ用紙)
□切符  □旅程表(時刻表)  □地図  □連絡先電話番号  □土産

■宿泊出張
□着替え (□Yシャツ □Tシャツ □靴下 □トランクス □ネクタイ □私服)
□洗面具 (□歯ブラシ □歯磨き粉 □洗顔料 □タオル □シャンプー □石鹸 □髭剃り)
□常備薬 (□風邪薬 □胃薬 □頭痛薬 □酔い止め □ビタミン剤)
□保険証  □目覚し時計  □携帯充電器  □洗濯物袋(ビニール袋)  □予備バッグ
□折りたたみ傘  □ガイドブック  □帽子  □眼鏡

■海外出張
□パスポート  □航空券  □外貨  □クレジットカード
□辞書  □緊急連絡先カード  □クレジットカードNo一覧表  □予備財布
□パソコン (□変圧器 □電話線 □充電器)  □カメラ
□寝間着  □スリッパ(部屋履き)  □現地の気候に合わせた服装

>2003.10.10.FRI


△0169 『「超」勉強法』 >野口悠紀雄/講談社/1995.12.29

   実践編と前後してしまったが、今日は『「超」勉強法』について。やはりこちらから感想を書くべきだろうと探していたのだが見つからず、結局今日になってトイレから出てきた。なぜ勉強法の本がトイレに置いてあったのか、謎は深まるばかりである。

 さて、内容の方は実践編とさほど変わらないが、こちらのほうは受験勉強や大学での勉強を対象にしているようである。各章の最後のほうに、ビジネスマン向けの勉強法が少し紹介されている程度。確かに、受験にはテクニック的な要素が多く、ビジネスマンの勉強とは随分違うように感じる。受験勉強は大学などへ入学することを目的としているのに対して、社会人の勉強は資格をとって、それを仕事に活かすことが目的だからである。受験勉強についても、本当ならば、学校へ入ることがゴールではなく、自分の学びたい分野への登竜門をくぐる為のものだと思うのだが、今の日本にそれを求めるのは難しいだろう。同じように、社会人の中にも、資格を取ることを目的としてしまい、仕事に活かしきれていない人が沢山いる。資格取得を目標にするのはよいが、目的にしては駄目である。いわゆる手段と目的の履き違えが生じてしまう。

 筆者が提唱するビジネスマンの英語で必要なものは、「ディベート用の英語」である。仕事をしていく上では、人の意見を聞き、自分の意見を述べられなければ意味がないとのこと。特に欧米では、皆がどんどん意見を言ってくるので、自分の意見を最後まで主張しとおすのも一苦労とか。筆者がディベートに関して最初に覚えた英語は "Let me finish!" だそうである。

 最後に記憶術の章で出てきたコラムが面白かったので紹介したい。
 私は、1964年に大蔵省に入った。当時の大蔵大臣は、就任2年目、弱冠46歳の田中角栄氏であった。20人の新入生が揃って大臣室に挨拶にゆく。田中大臣は、訓示のあと、20人の名前を一人ずつ呼んで握手した。ソラで呼んだのである。驚くべき記憶力であり、感嘆すべき人心収攬術であった。岸信介氏は、パーティなどで会う人に、よく「君の名前は?」と聞いたそうである。「野口です」と答えると、「それはわかっているよ、野口君。名字でなく名前を忘れてしまったのだよ」といったそうである。どちらもユニークだ。そして、どちらも常人には真似ができない。

>2003.10.05.SUN


△0168 『「超」勉強法・実践編』 >野口悠紀雄/講談社/1997.01.20

   10/26の英文会計・中級の試験に向けて勉強中で、ちょっと更新もさぼり気味の今日この頃。ふと本棚に目をやると、本書のタイトルが目に入った。だいたい、勉強に飽きてきたり、行き詰ったりするとついつい手にとってしまうのがこの手の本である。ちなみに、過去の読書記録を見ると、実践編ではない『「超」勉強法』や『パソコン「超」勉強法』などにも手を出している。我ながらちょっと呆れてしまう。

 当時から積極的にインターネットやパソコンを活用しているところはさすがだが、1997年の著書の為、古さは否めない。しかし、「勉強は方法論が大事」という主張は今も変わらないだろう。大きなポイントとして次の3点を挙げている。(1)勉強は本来は面白い。だから、面白いことを勉強しよう。あるいは、勉強のやり方を工夫して、勉強を面白いものにしよう。(2)部分から積み上げるのでなく、全体から理解しよう。(3)8割できたら先に進もう。 言われて見ると当たり前のようだが、ついつい細部にこだわったり、完璧主義に陥ったりと、なかなか実践は難しい。

 本書のいいところは、章ごとに「まとめ」を作成しているところ。この点は見習うべきであり、会社でも少し長め文章を書くときは要点をサマライズするよう心掛けている。このまとめだけを読んでも十分な内容。章立ては、大きく分けて、英語、日本語、パソコンの活用となっている。以下、本書の勉強法と、私自身の勉強法を比較してみたい。

 まずは、英語。経済活動の国際化やインターネットの普及で英語の重要性が増してきていると主張した後、リスニングと、ライティングに主眼を置いて方法論を展開している。リスニングについてはFENのニュースを聞くのが良いとしているが、私も英語のニュースを聞くのには賛成。ただし、FENは音楽の時間が長く、ニュースの時間は限定されているので、いちいちタイマー録音しなければならず、面倒くさがり屋の私には長続きしない。そこで、スカパーでCNNを視聴できるようにし、ワールド・ニュースなどを録音して聞いている。CNNだと四六時中ニュースをやっているので、気が向いたときに録音すればよい。

 次にライティング。著者は書く英語の難しさについて触れているが、それは、手振りなどが使えない、文章はあとに残る、しゃべり言葉よりも評価が厳しい、といったことが原因となっている。確かにその通りであり、冠詞や前置詞の使い方も難しく、話し言葉だと適当にごまかせるものも、文章だとそうはいかない。決定的な解決策はなく、とにかく書いて、エイティブ・スピーカーに添削してもらうしかないとのこと。英文を書く訓練はほとんどしていないので、こちらは独自の勉強法は確立していない。  最近は、CNNのニュースを聞いていて、何度も繰り返し出てくる、意味がわからない単語をピックアップし、英英辞書を引くという方法を試している。時間があれば、英英辞書の例文を書き写したりもしている。英英辞書のいいところは、難しい単語を易しい単語に置き換えて説明しているところ。あまり難しい単語を知らなくても、平易な単語で説明できればコミュニケーションは可能なのだということを再認識させてくれる。また、ニュースで出てきた言葉を、実際に書き写してみることによって、頭に残りやすくなったようにも思う。なんだかんだ言っても単語力は必要。年とともに記憶力はどんどん低下していくので、丸暗記に頼らない方法が必要だろう。

 次に日本語の勉強法。少し前に「日本語ブーム」が起こっていたが、母国語こそ時間をかけなければ上手くならないのではないだろうか。よく、英語を話すためには日本語できちんと話せなければならないと言うが、確かにその通りである。日本語もろくに話せないやつに、外国語が話せわけがない。(除く帰国子女) また、重要なのは言い回しよりも内容だということも忘れてはならない。いくら英語が上手くても話している内容が薄っぺらでは意味がない。

 本書ではビジネスでの日本語の重要性に触れている。結論を最初に書いたり、箇条書きを心掛けるなど。電子メールが必要不可欠と成った今や、これらのことは普通に仕事をしていれば、身につくことだと思う。また、書く訓練も必要だというが、自分の考えを書くように心掛けているこのホームページがまさに訓練の場だと思っている。仕事でも率先して議事録を書くようにしており、仕事内容を整理するとともに、文章力の向上も狙っている。

 最後にパソコンでの勉強法について触れているが、これは随分とツールや環境が変わってしまっているので割愛したい。結局、会計の勉強法は出てこなかったが、まぁいいか。なんだが、時間をつぶしてしまっただけのようだが、ここでふと思ったのは、「最高の勉強法は、いかに勉強する時間を確保するか」ということではないかということ。とにかく、集中できる時間さえ確保すれば、何とかなるのではないだろうか。無人島で勉強のテキストしかなければ、人はそれを読むだろう。自分の興味を惹くようなものを排除した状態をいかに作るかである。というわけで最近は、必ずカバンに入っていた文庫本を持ち歩かず、会計のテキストしかカバンに入れない状態を作っている。そうすると、暇な通勤時間に嫌でもテキストに目が行くはずなのだが・・・。

>2003.10.04.SAT


△0167 『川の深さは』 >福井晴敏/講談社文庫/2003.09.24

   青い、と思った。青いとは、デビュー前の文章から漂ってくる青臭さであり、文中に流れる川の青さである。作者は『Twelve Y.O.』で第44回の江戸川乱歩賞を受賞しているが、本書『川の深さは』は、第43回乱歩賞の最終候補となった作品。『Twelve Y.O.』及び『亡国のイージス』の根本とも言える壮大な構想の作品である。「市ヶ谷」や「アポトーシス」といったキーワードも登場して、ファンの心をくすぐってくれる。ただ、人物描写や構成などには少し甘さが見え隠れするので、評価は△とした。

 95年の地下鉄サリン事件を彷彿とさせる、地下鉄爆破テロが無関係とも思える描写で語られていくが、その裏に隠された意図を知り、あっ、と思った。その目の付け所と発想の豊かさは新人離れしている。日本人の危機意識の低さに対して警鐘を鳴らす姿は、このころから一貫していたのだなと感じ入ってしまった。若き戦死・保をして、日本と北朝鮮を「考えることを捨てた国」と「禁じた国」と言わしめている。「考えることを捨てた国」とは強烈な言葉であった。作者の日本批判は続く。会えない時間が育てる人間関係を携帯電話が壊したといい、効率化が余暇より失業者を増やしてしまったと嘆く。そのストレートな批判が青臭さにも通じるが、この批判的精神が後の大作を生み出したのだろう。

 主人公・桃山は自分の信念を貫くため、警察を辞めて警備員となっている男。しかし、警察を辞めても「芯」は残っている。「長く警察の飯を食っていると、体の中に一本芯が通る。人の暗部に接し、見聞きしたくない本音を直面するうち、自然に固まってくる太い芯。それは視線、表情、ふるまいに表れ、物の捉え方、接し方にまで影響を与えて、そう簡単に消えはしない」という「芯」が。しかし、警察を辞めるときに見せた信念は死んでおらず、そのまっすぐさが、保や涼子の心を溶かしていく。

 最後に、本書のタイトルはある心理テストから来ている。「あなたの目の前に川が流れています。深さはどれくらいあるでしょう? 1.足首まで。2.膝まで。3.腰まで。4.肩まで」☆「これはあなたの情熱度を表している。足首:あんまり情熱のない人。膝:情熱はあるがいつも理性の方が先に立つ人。腰:何にでも精力的で一番バランスの取れている人。肩:情熱過多、暴走注意」 桃山も保も情熱過多であった。

>2003.09.28.SUN


△0166 『ゴサインタン −神の座−』 >篠田節子/文春文庫/2003.09.20

   何と言えばいいのか? 摩訶不思議な物語であった。あえて言うなら宗教ホラー。しかし、それだけではない奥深さの漂う作品。少し前に感想を書いた『聖域』以上に、迫り来る傑作であった。物語は、主人公の結木輝和がネパールから来たカルバナ・タミという女性を妻として迎えるところから始まる。日本人に似た容貌を持つ妻に「淑子」と名づけて、彼女との生活を始めるのだが、彼女がやってきた頃から結木家が狂い始める。飼い猫の死を皮切りに、両親が相次いで死んでしまう。同時に、妻が何かに取りつかれたような奇異な行動に走り始め、結木家の財産を次々に恵まれない人に分け与えていく。淑子は淡々と「捨てなさい」というだけだが、輝和は結木家が農民の血と汗を犠牲にして築き上げてきた財産を、彼らに返すべきなのかと悟りの境地に入っていく。

 しかし、この中盤にかけての散財、没落、堕落への過程が生々しすぎるのが玉に傷。輝和の自尊心をこれでもかと言うほどに叩きのめしていく様は、残酷ですらあった。中盤の濃厚な描写が、素晴らしいラストへと昇華されていくのだが、個人的には読み進めるのが辛いほど嫌な気分になる部分でもあった。というわけで、評価は△。素晴らしい作品で、山本周五郎賞受賞というのにも納得のいくものだったが、好き嫌いの問題なのでどうしようもない。

 さて、解説によると本作はちょうどオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった頃に書かれた作品だそうだ。宗教をテーマにしながらも、営利目的に強大化をめざす宗教団体にアンチテーゼを唱え、「弱いことは強いことよりいいことなのだ」と弱者としての信仰を謳っているのが面白い。淑子の説によると、強いというのは、人を食べて自分が大きくなることで、大きくなるからお腹がすいてもっと食べたくなって、食べるからもっと強くおおきくなるという。反対に弱ければ、だれも食べない。小さいからほんの少しの生命をいただいて、平和に、何も持たずに、毎日生かしてもらっていることに感謝しながら、生きていかれると。

 ラストシーンでは、輝和が失踪した妻を探して、神の山・ゴサインタンの麓にたどりつく。その過程で、ネパールの貧しい生活に体が慣れていき、今までの一見恵まれているように見えた日本での生活何だったのかと、輝和は自問する。たまたまマレーシアのランカウイというのんびりした町に滞在したこともあり、この言葉がやけに重たく自分にのしかかってきた。満員の地下鉄に揺られながらの通勤を異常だと思わなくなって久しい。豊かだと勝手に思いこんでいる生活を維持するために、会社へ通う日々。沖縄など南の島へ行った後は、常に考えてしまうのだが、東京で働くことの価値がよくわからなくなってしまうのである。

>2003.09.20.SAT

苗村屋読書日記 [34]

     



































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