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![]() ◎0180 『イリュージョン』 リチャード・バック ○0179 『坂の上の雲』 司馬遼太郎 ◎0178 『夢見通りの人々』 宮本輝 ◎0177 『Y』 佐藤正午 ○0176 『繋がれた明日』 真保裕一 ◎0180 『イリュージョン』 >リチャード・バック/新潮文庫/1998.09.06
初めて読んだのは中学2年生の時。不思議な世界に引きずり込まれてしまった。作品中に出てくるさまざまな格言は、今でも私の中に息づいている。いずれは原書で読んでみたい作品。
○0179 『坂の上の雲』 >司馬遼太郎/文春文庫/1996.04.19
非常に感銘を受けた作品。自分の生き方・考え方にも影響を受けたと思う。以下はマーカーを引いた箇所。
◎0178 『夢見通りの人々』 >宮本輝/新潮文庫/1996.05.08・2003.11.14 二重丸が続いている。というのも過去に読んだ作品で、ぜひとも読書日記に載せたいものを再読している為。今回は宮本輝の『夢見通りの人々』を取り上げたい。宮本輝は妻に教えてもらった作家。1996年というと妻と出遭った直後で、読書ノートを見ると宮本輝の名前が続いている。数々の名作を生み出している作家だが、その中で一番好きなのが本書である。 宮本輝というと長編作家のイメージが強いが、本書は連作短編集。「夢見通り」という大阪の一角に暮らす人々の日常を描いた作品である。ちょっとした事件は起こるのだが、それも日常の範囲の話。たわいもない話を、人々の内面を鋭く、それでいて温かく描き出すことによって、絶妙のストーリーとなっている。 本書に出遭った時期も良かったのかもしれない。高校生の頃に読んでいたら、「つまらない」の一言で終わっていたかもしれない。私自身、田舎から東京へ出てきて、心細い毎日を送っている日々の中で、同じように生きる主人公にはげまされもした。実を言うと、私が中学生の頃、父が入院した際に、どなたかからお見舞として『優駿』を頂き、ずっと家においてあった。しかし、タイトルと表紙から競馬の話だと思って読まずにいたのである。今回の再読では、人物の造詣の深さに、改めて感動を覚えた。涙滂沱の物語ではないが、心温まる綺羅星の短編集である。 何人もの人物が登場するのだが、その中で好きなのは肉屋の兄弟。若い頃はヤクザにまで身を落とした兄が、一人の女性により生まれ変わろうとする。その女性のことを、主人公も好きだったりして、ちょっとした三角関係になったり。最後は女性の意外な行動で幕を閉じるのだが、人間の気持ちというのは単純なようでいて複雑だという、当然のことを再認識させられた。結構、えげつない話もあるのだが、それでいて、後味は悪くない。これは宮本輝自身の生き方を反映しているのだろうか。
◎0177 『Y』 >佐藤正午/ハルキ文庫/2002.01.25・2003.11.10 「アルファベットのYのように人生は右と左へ分かれていった−」 解説によると本書の初刊本の帯タイトルに、こう書かれてあったそうである。本書のミステリアスでセンチメンタルな部分を旨く表現した、いいコピーだと思った。一方、「究極の恋愛小説」というコピーもよく目にするが、こちらは使い古された言葉。こういう、ありきたりの言葉では表現して欲しくないほど、素晴らしい作品だった。 特に冒頭のシーンに出てくる比喩が上手い。「午後から降りはじめた雨がその時刻になっても止まず、電車の窓という窓に雨滴がこびりついていた。無数の雨滴は、まるでグレープフルーツの透明な果肉が散らばって窓に降りかかったように見えた」 このグレープフルーツのよう、という表現は作者もお気に入りのようで、作中に何度も使われている。 物語の方は、自分のちょっとした不注意で、愛する女性を電車事故に巻き込んでしまい、そのことをずっと悔やんでいる男・北川健の半生を描いている。しかし、主人公は北川ではない。彼の幼馴染である秋間文夫が主人公で、北川健が残したフロッピーディスクに奇妙なストーリーが残されていたことをきっかけに、物語は急展開する。 北川は自分の過ちを何とか取り戻せないかと、時間を逆行することを日々夢見ているのだが、ある日それが実現してしまう。本書の中でも触れている『リプレイ』と同じ現象。しかし、時間をテーマにしたSFによくあるように、パラドックス的な人間関係のゆがみが生じてしまう。時間をテーマにした物語といえば、北村薫の3部作『スキップ』『ターン』『リセット』も有名だが、私としては『Y』に軍配を上げたい。 北川、秋間、そして3人の女性達。彼らの関係は偶然の様でいて必然であり、偶然嫌いの私をも唸らせる「縁」を感じさせられた。登場人物を数人に絞り、それぞれの内面を書き込んだことも、成功の一因であろう。SF的な物語の展開に加えて、ラブ・ストーリーとしてのエッセンスも入った秀作である。再読ながら、いや、再読だからこそ前回よりも楽しんで、深く読むことが出来たと思う。 さて、本書は会社帰りの電車の中で読み終えたのだが、途中で電車を乗り換える際に、駆け込み乗車をしてきた小学生の4人組のうち、1人がホームに取り残されてしまった。その電車が事故に遭ったわけではないが、デジャヴを見ているような不思議な感じがした。そんなことを考えながら、次の電車に乗り込んだところ一向に動かない。しばらく待っているとどうやら人身事故があったらしい。2つ目の物語との符合にちょっと怖くなってしまった。 P.S.日本人がこのようなタイム・パラドックス的な物語を普通に受け入れることが出来るのは、ドラえもんの影響が大きいと思う。タイムマシンやどこでもドアなどは、大人から子供まで幅広く認知されているのではないだろうか。今も、「どらえもん」と入力して変換をすると、きちんと「ドラえもん」と表示された。マイクロソフトまで巻き込んでしまう「ドラえもん」の威力恐るべし。
○0176 『繋がれた明日』 >真保裕一/朝日新聞社/2003.11.01 大雑把に言うと、若気の至りで人を殺してしまった青年が、刑期を終え、社会復帰しようとする話である。しかし、「人殺し」というレッテルがついてまわり、なかなか立ち直れない。そんな青年のもどかしい思いや葛藤を描いた作品である。 人を殺すというのは、言うまでもなく人間の中で一番重い罪である。そんな罪を犯した人間が6年程度の刑期で出所してよいのか。被害者の家族から見ればその主張はもっともであり、どんなに殺人者が罪を償おうと、殺された家族は戻ってこない。本書は何とか立ち直ろうとする青年にスポットを当てて書いている一方、被害者家族の悲痛な叫びも取り上げている。 しかし、作者の気持ちが、殺人者の青年の方に傾倒してしまい、青年に嫌がらせを繰り返す被害者家族のことを少しエキセントリックに書きすぎのきらいがある。法が裁いてくれないのなら、自ら殺人者に嫌がらせをして、その罪を忘れさせないという思いは分からなくはない。よく、被害者家族が犯人に極刑を望むという声を聞くが、当然であろう。 そうは言いつつも犯人側の主張もあるだろう。私は殺人者には2つのタイプがいると思う。1つは金の為に周到な計画を立てて人を殺したり、愉快犯的に殺したりする者。もう1つは、「誤って」殺してしまったものである。後者は「業務上過失致死」や「正当防衛」といった扱いになるだろう。自分の利益の為に、自分の意思で人を殺した者と、過失により殺してしまった者の間には、同じ殺人とはいえ大きな隔たりがある。後悔し反省しているであろう後者の人たちの更正の道を、被害者の家族だからといって阻むのはいけないことだと思う。 本書が難しいのは、主人公が「誤って」いや「勢いで」殺人を犯してしまったという点である。計画を立てて殺したわけでもなければ、快楽の為に殺したのでもない。しかし、ポケットにナイフを忍ばせておいたのは、他でもない主人公自身だし、「勢いで」殺してしまった自分のことを、「運が悪かった」などと嘆いている。物語が進むにつれ、漸く自分の侵した罪の重さを悟っていくのだが、実際は改心する前の主人公のように、自分の殺人を運が悪かったなどと嘆いて、殺人を犯したという「自覚」のない犯罪者が一番たちが悪いのではないだろうか? 何しろ自分は悪くないと思っているのだから始末が悪い。本書はそんな主人公が成長していく様を、旨く描いているが、現実は2つのタイプの中間に位置する、無自覚な犯罪者が多いのかもしれない。 犯罪者と保護司を扱った物語としては、『13階段』や『動機』の中の『逆転の夏』などの名作があり、最初は二番煎じかと思った。しかし、本書はミステリーとしてではなく、青年の葛藤と成長を描いた文学的作品である。いろいろ考えさせられることが多かった作品であった。
苗村屋読書日記 [36]
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