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![]() △0255 『パイロットフィッシュ』 大崎善生 ×0254 『霧越邸殺人事件』 綾辻行人 ×0253 『剣の道殺人事件』 鳥羽亮 ×0252 『震源』 真保裕一 △0251 『キッチン』 吉本ばなな △0255 『パイロットフィッシュ』 >大崎善生/角川書店/2004.02.27 背表紙あらすじ:人は、一度巡りあった人と二度と別れることはできない―。午前二時、アダルト雑誌の編集部に勤める山崎のもとにかかってきた一本の電話。受話器の向こうから聞こえてきたのは、十九年ぶりに聞く由希子の声だった…。記憶の湖の底から浮かび上がる彼女との日々、世話になったバーのマスターやかつての上司だった編集長の沢井、同僚らの印象的な姿、言葉。現在と過去を交錯させながら、出会いと別れのせつなさと、人間が生み出す感情の永遠を、透明感あふれる文体で繊細に綴った、至高のロングセラー青春小説。吉川英治文学新人賞受賞作。 ビジネス用語に「全体最適」と「個別最適」という言葉がある。前者は、例えば企業全体がよくなるように、個別の部門では若干の非効率な作業が出ても仕方がないというもの。一方、後者は、各部門がそれぞれ自分の部署の効率化を考え、場合によっては会社全体での非効率につながりかねないというものである。 本書『パイロット・フィッシュ』(以下『PF』)は、「個別最適」の小説だと思った。ひとつひとつのエピソードはすごく素敵である。例えば方向音痴の主人公が方向音痴のおかげで由希子に出会うシーン。例えば、傘の共有化のエピソード。例えば、飲食店を開く際には、美味しい水にこだわるべきだと語るナベさんのエピソード。しかし、これらのエピソードの個性が強すぎる為、物語としてはちぐはぐな、纏まりのないもののように感じてしまったのである。 タイトルの「パイロット・フィッシュ」というのもまた、印象的なエピソードである。高級魚のために、水道水を住みやすい環境に変えるだけの魚。マラソンでいうところのペースメーカーのような存在。その存在だけでも切ないのに、役割を終えたパイロット・フィッシュはたいてい捨てられてしまうという。時には生きたままトイレに流されたりして・・・。捨てられたワニが地下の下水道で生き続けるというのはホラーだったか、SFだったか? 地下で死なずに生き残るパイロット・フィッシュを連想してしまった。 中には気に入らないエピソードもある。ナベさんが大韓航空の爆撃事件に巻き込まれてしまうものである。全体を通して、このシーンだけが異質であった。なぜ急に社会問題が出てくるのか? この大韓航空爆撃を物語りに織り込むことによって作者は何を言いたかったのか? ナベさんの死の原因については、交通事故でもよかったはずで、わざわざ社会的な事件を挿入したことに違和感を覚えた。物語に重みを持たせたかったのだろうか? それとも読者に時代背景を伝える為のものだったのだろうか? (ちなみに大韓航空事件は1983年9月1日に発生) ラスト近くの可奈との出会いも印象的。偶然性が強い気もするが、主人公の山崎がエロ本の編集者であったことを考慮すれば、気になるほどではない。むしろ、可奈のことをそっと包み込んで守ってあげた山崎の優しさにはほろりとさせられた。こういう無理の無い偶然の世界を作り上げる才能というのは、すごいものだと思いもした。 さて「個別最適」の反対の「全体最適」という言葉が似合うのは伊坂幸太郎の作品群である。『オーデュボンの祈り』のように、数々のエピソードが、最後に一つに収斂するような物語を読むと「全体最適」という言葉を思い出してしまう。しかし、現実の世界に目を向けると、いろいろな事象がうまく一つの結論に行き着くというのは、そうそうある話ではない。いろいろな無駄を重ねて、一つの結論に至るのであり、1人の人生を構築するのである。そう考えると、一見アンバランスでバラバラな印象の『PF』が急に現実的な話に感じられるから、小説というのは不思議である。
×0254 『霧越邸殺人事件』 >綾辻行人/新潮文庫/1998.10.11 背表紙あらすじ:或る晩秋、信州の山深き地で猛吹雪に遭遇した8人の前に突如出現した洋館「霧越邸」。助かった・・・安堵の声も束の間、外界との連絡が途絶えた邸で、彼らの身にデコラティブな死が次々と訪れる! 密室と化したアール・ヌーヴォー調の豪華な洋館。謎めいた住人たち。ひとり、またひとり・・・不可思議極まりない状況で起こる連続殺人の犯人は? 驚愕の結末が絶賛を浴びた調話題作。 6年前に読んだのだが、感想を書くに当ってパラパラと本をめくっていると、邸の見取り図や、登場人物のページが切り取ってはさみこんであった。また、ページの所々に折り目がついていたので、何かと思い開けて見ると、事件現場の地図や部屋の相関関係を図示したものであった。小説と言うのは当然のことながら、文章で書くものであり、図に頼るのはどうかと思うのである。ビジネス書ならともかく、小説で図を使うというのはあまり好きではない。 物語の方は、館ものと呼ばれるもので、雪山の邸に閉じ込められ、そこで連続殺人が起こる話なのだが、『名探偵の掟』を読んだ後でこのように感想を書いていると、館ものの理不尽さに思い至ってしまう。なぜ、わざわざ館でと考えてしまうのだ。また、本書では見立て殺人も行われるのだが、これもわざわざという感じがしてしまう。それでも、見立ての方は、その理由が書かれてあるので少しはましかもしれない。(しかし、『名探偵の掟』という作品は、私に多大なる影響を与えている。物語としてはあまり面白くなかったので評価は△だったが、本格ミステリー界に問題を提起したという意味では貴重な一冊である) ラストはちょっと白けてしまった。ネタバレになるが、☆『かなりや』の歌と槍中のつながりはまだしも、槍中、鈴藤、名望、甲斐、芦野、希美崎、榊、矢本の頭文字や、各人の本名である山根、李、永納、香取、英田、鬼怒川、佐々木、槍中の頭文字が犯人を暗示しているというのは、さほど面白いとも思えない。☆頭文字というと『重力ピエロ』にも出てきたが、『重力ピエロ』の頭文字が犯人の意図であったのに対して、本書はあくまでも偶然。槍中ならぬ槍杉である。
×0253 『剣の道殺人事件』 >鳥羽亮/講談社文庫/2004.02.24 背表紙あらすじ:眼の壁に囲まれた密室・・・衆人環視の中での殺人事件は、両国N大講堂で開催された全日本学生剣道大会の決勝戦で発生した。殺されたのは武南大の副将・石川洋。京都体育大の岸本三段と対戦中のハプニングであった。岸本犯人説が有力となるが、捜査は難航する・・・第36回江戸川乱歩賞の剣の道ミステリー。 最近、乱歩賞を固め読みしている。先日『ナイト・ダンサー』を読み終え、今は『白く長い廊下』を読書中。真保裕一の『連鎖』を再読すると、1990年からの受賞作品をほぼ、網羅することになる。しかし、乱歩賞というのは新人作家の応募作品ということで、年度によって出来栄えの差が激しい。振り返ってみると、○をつけているのは『果つる底なき』『テロリストのパラソル』の2作のみ。それどころか、頻繁にはつけない×評価のものも散見される。小説を書くということがいかに難しいかを示唆しているように感じる。 さて、本書も×をつけてしまった作品。剣道というよりも、武道を嗜んだことがないため、世界観が分からなかったのが、その大きな理由である。全編に亘って展開される「剣の道」の厳しさが、うまく理解できなかったのである。どんなスポーツにもストイックな修練は必要だと思うが、人間としての生き方まで問うような選手が果たして何人いるだろうか? むしろ、練習は熱心だが、プライベートではうまく気分転換している選手の方が強いように思うのだが、本書では私生活にもひたすらストイックなものを求めている。 世界観はいいとしても、殺人や犯人判明へ至る経緯にも不満が残る。まず、最初に殺された石川洋の殺害方法だが、なぜわざわざ衆人の中で犯す必要があるのだろうか。☆対戦相手を犯人と思わせたかったとのことだが、2度目の殺人では学生服のボタンを現場において置くという方法を取っている。(これも安易な気がするが) 次に、自殺した陽子のダイイング・メッセージにも疑問が残る。ある人にだけ分かるようなメッセージということで、自宅の鏡に口紅で「風・風・風」と書き残しているのだが、それならばその人宛てに、遺書でも残せばよいではないか。わざわざ警察の興味をひくようなことをしている点に、不自然さを感じるのである。☆ どうも、東野圭吾の『名探偵の掟』を読んでから、上述のような点が妙に気になるようになってしまった。もともと「偶然」は嫌いだし、かといって物語を作る為の「故意」も好きではない。本書は「偶然」の要素は少なかったが、筆者の「故意」が目立った点で、評価を落としてしまったのである。
×0252 『震源』 >真保裕一/講談社文庫/1997.12.11 背表紙あらすじ:地震で津波が発生し、警報が遅れる事故が起こった。地震火山研究官の江坂は、ミスをした森本を鹿児島に訪ねるが、彼はすでに退職し、姿を消していた。同じ頃、森本と同窓の大学教授も、地震の観測データを持ったまま、行方不明に。そこには国家的陰謀が渦巻いていた! 新進気鋭の作家が放つ、長編サスペンス。 物語が進むにつれ、国家的陰謀が明らかになってくる。☆海底火山の活動によって生まれる新島の領有権確保問題や、海底資源の発掘問題など、スケールも大きい。☆しかし、どんどん現実味が消えていってしまい、せっかくの緻密な取材が荒唐無稽な作り話になってしまったのが残念である。 本書は『連鎖』『取引』に続く、いわゆる「小役人シリーズ」の第3弾。確かに目の付け所はいいのだが、展開に少し無理があるように感じる。本書だけでなく、最近の真保裕一は、取材を武器にするというスタンスが薄れつつあるのではなかろうか? 取材だけで物語を成立させようというのは難しいのかもしれないが、真保裕一のような作家は、机に向かっていてもいい作品は書けないと思う。緻密な取材と大胆な構成。本来の魅力を早く取り戻して欲しいものである。
△0251 『キッチン』 >吉本ばなな/角川文庫/2004.02.22 背表紙あらすじ:家族という、確かにあったものが年月の中でひとりひとり減っていって、自分がひとりここにいるのだと、ふと思い出すと目の前にあるものがすべて、うそに見えてくる・・・。唯一の肉親の祖母を亡くしたみかげが、祖母と仲の良かった雄一とその母(実は父親)の家に同居する。日々のくらしの中、何気ない二人の優しさにみかげは孤独な心を和ませていくのだが・・・。世界二十五国で翻訳され、読みつがれる永遠のベスト・セラー小説。 本書にはデビュー作の『キッチン』を含む3つの短編が収められている。そして、本書には3つの「死」が収められている。表題作の『キッチン』では祖母が亡くなり、『満月』では母(父)が亡くなり、『ムーンライト・シャドウ』では恋人を亡くしてしまう。日常の中の突然の別れを、瑞々しい筆致で描いている作品である。 「死」というと、先日読了した『終戦のローレライ』でも多くの人が亡くなっている。魚雷に打ち抜かれて海の藻屑と消えた人々。2つの原子爆弾で影まで焼かれた人々。あまりにも多くの人々の「死」が数行で語られている。ラスト近くでメイン・キャラクター達が死に行く様には、さすがに多くのページを割かれていたが、それでも1人1人の描写は微々たるものである。人として生を受け、人として生き、人として死に行くものの描写にしては少し寂しい気もする。 それに比べて本書は、「死」を日常の中の大きな出来事として捉え、大事な人を亡くしてしまうことのつらさ、切なさを、これでもかというくらいに書き綴っている。『終戦のローレライ』とは別の意味で、生きていることの素晴らしさを謳っている作品である。もう少し長くして、登場人物たちの感情の起伏を書き込んでもよかったかなとも思うが、あんまり長すぎても辛くなるだけだし、まぁこの程度がいい塩梅なのかもしれない。
苗村屋読書日記 [51]
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