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○0265 『英文会計テキストブック 中級編』 杉浦理介
△0264 『一夢庵風流記』 隆慶一郎
△0263 『ウェルチ』 ロバート・スレーター
△0262 『檻』 北方謙三
×0261 『恐怖』 筒井康隆


○0265 『英文会計テキストブック 中級編』 >杉浦理介/清文社/2003.10.23

 以前にも書いたかもしれないが、現在私はUSCPAの資格取得に向け勉強中である。CPAの勉強に先駆け英文会計の基礎を勉強しようと思い、某アカウンティング・スクールの英文会計中級講座を受講したのだが、そのときのテキストが本書である。まずは日米の会計の相違点を知り、米国会計に慣れようと思って始めたのだが、これが大正解だった。なお、本書が読書日記の対象になるかどうか甚だ疑問だが、勉強に本腰を入れ始め、読書の時間が少なくなってきたので、ご勘弁を。

 当時の私の会計及び英語のレベルというのは簿記2級、TOEIC700点といったところ。しかし、日本の会計というのは米国に比べると非常に遅れており、最初は戸惑うことが多かった。また、英語の方も聞いたこともないような専門用語が次々に出てくるので、勘定科目を覚えるだけで一苦労。減価償却費だけで、「depreciation」「depletion」「amortization」と3種類もあるのだ。(厳密にはそれぞれ異なるが)

 中でも大きく考え方が異なるのが、「Time Value of Money」という概念。金銭の価値に「時間」という概念を考慮したものである。例えば、現在の1万円と5年後の1万円では価値が違う。というのも、現在の1万円を銀行に預金しておき、複利で年10%の利息(非現実的!)がついたとすると、1年後には11,000円、2年後には12,100円となり、5年後には16,110円に増えるのである。このように、金利を加味して考えると、将来の1万円よりも現在の1万円の方が価値が高いというのが、「Time Value of Money」である。

 実際の会計の世界では、将来の1万円を現在価値(Present Value)に換算することのほうが多い。上記の設定で5年後の1万円を現在価値に割り引くと、6,210円にしかならないのである。米国では、手形、社債、年金、リースなど長期の資産や負債に関しては、ほとんどこの時間的概念を考慮した会計処理を施しているのである。

 日本で唯一時間的概念を考慮しているのが、退職給付会計、つまり年金会計である。簡単に述べると、将来必要となる退職金を現在価値に割引き、不足分を費用として計上しなければならないというもの。これまでは、退職金を実際に支払った金額と、年金基金への掛け金しか費用処理していなかったので、積立不足となっている大手企業が続出して大問題となったのは記憶に新しい。

 さて、日米会計の違いについて述べてきたが、私としては米国会計が絶対的に正しいとは思っていない。株価の変動が企業成績に直接影響してしまうような「時価会計」が果たして本当に適切かどうか疑問であるし、最近騒がれ始めた「減損会計」も固定資産によって得ることが出来るキャッシュフローを予測するなど、曖昧さを感じる部分が残る。一方で、企業の透明性を高め、より企業に厳しい態度で臨もうという主旨は理解できるので、競争力を失いつつある日本企業にはよい刺激になるだろうとも思う。結局は、経営者が正しい判断を続けていれば、日本の会計を適用しようが、米国の会計を適用しようが、健全さが変わることはないのである。

 随分話が逸れてしまったが、英文会計を理解する為には非常に良いテキストである。「Time Value of Money」という概念を理解するだけでも有益であろう。基本的に会計というのは世界共通の言語とも呼ばれるくらいで、時間概念の部分以外は日本の会計の延長で充分理解できる。会計に携わる人であれば、一度目を通しておいて損のない本である。

>2004.03.17.WED


△0264 『一夢庵風流記』 >隆慶一郎/新潮文庫

 背表紙あらすじ:戦国末期、天下の傾奇者として知られる男がいた。派手な格好と異様な振る舞いで人を驚かすのを愉しむ男、名は前田慶次郎という。巨躯巨漢で、一度合戦になるや、朱色の長槍を振り回し、敵陣に一人斬り込んでいく剛毅ないくさ人であり、当代一流の風流人でもあった。そして何より、自由を愛するさすらい人でもあった。故あって、妻子を置き旅に出た男の奔放苛烈な生き様を描く時代長編。

 日経産業新聞の『仕事人秘録』というコラムで、「600万部の男」として元週刊少年ジャンプ編集長の堀江信彦氏が紹介されていた。その中で、堀江氏と隆氏の出会いについて触れられていた。堀氏が本書の漫画化の許可を貰いに行ったときには、隆氏は既に病床にあり、結局許可されることなく隆氏は亡くなってしまったそうである。

 しかし、なかば遺言のような形で、『一夢庵風流記』の原作権を堀氏に渡すよう指示があったとのことで、もう少しタイミングが悪ければ、『花の慶次』の漫画化はなかったかもしれない。別に漫画化されなくとも、隆氏の作品は多くの人に読まれたであろうが、「少年ジャンプ」という媒体を通してさらに読者層を広げたであろうことは想像に難くない。

 私と本書との出会いはまさに、週刊少年ジャンプで連載がきっかけである。読書記録を付け始めたのが、1995年からなので残念ながらいつ読んだのか明確な時期は不明。受験勉強でも日本史を選択しており、結構歴史好きだったので、一気にのめりこんだ。

 物語の舞台は秀吉の頃。戦国の乱世が治まりかけた時代で、武士達が力をもてあまし始めた頃である。そんな中、「傾奇者」と呼ばれる男達が台頭し始める。「傾奇者」は「かぶきもの」と読み、異風の姿形を好み、異様な振舞いで人を驚かすのが好きな者のことである。主人公の前田慶次郎は、傾奇者の中の傾奇者といった男で、決して権力に屈しない、男気を持った真の傾奇者である。

 歴史ものといっても、この本を読むまでは主に戦国時代のものしか読まなかった。信長や秀吉といった英雄に憧れ、彼らが力を付けていく様を、少年ながらにどきどきしながら読んだものである。また、ファミリーコンピューターが流行りだした頃で、ゲーム「信長の野望」なども、私の歴史熱を煽る結果になった。その為、秀吉が全国を制覇した後というのは、ちょっと魅力に欠けるように感じてしまった。戦国時代のぎらぎらした野望がきえつつある時代で、己をどう表現してよいか分からず、不器用に生きている男として、前田慶次郎が描かれている。

 印象的だったのは、慶次郎が秀吉と対面するシーン。記憶が曖昧なので、もしかしたら漫画の方のオリジナルかもしれないが、権力に屈するのを嫌う慶次郎が、秀吉の前で土下座をせざるを得ない状況に陥った場面である。慶次郎は何を思ったか、髷を顔の横側で結って現れる。秀吉の前で平身低頭するのだが、顔だけは横を向いている。そのため、側頭部で結った髷が、正面から見るとまっすぐのように見えるのである。形だけはお辞儀をするが、心の底まで屈したわけではないという慶次郎の意気を感じて、感動したのを覚えている。恐らく、時の権力者である秀吉に対して、そのような行為をとるというのは命がけだったであろう。

 隆慶一郎氏はもともと脚本家だったため作家デビューが遅く、61歳のときだったそうである。結局、約5年間という短い期間しか小説を書くことが出来ず、未完の書も何冊か。当時はあまり気にしなかったが、改めて振り返ってみると、傾奇者や傀儡子などを主人公に、一貫して反権力の小説を書き続けている。歴史の中の弱者にスポットを当て、逆境の中で逞しく生きる彼らを瑞々しく描いた筆致は秀逸。氏の早すぎる死は、日本の歴史小説界にとって、あまりにも大きな損失である。

>2004.03.14.SUN


△0263 『ウェルチ』 >ロバート・スレーター/日経BP社/2001.11.10

 日経新聞の『私の履歴書』に登場し、自伝が随分売れたようだが、本書はその少し前に読んだもの。GEを再建した人物ということで興味深く読むことが出来た。自伝の方は未読だが、本書のように他人が書いたほうが客観的で良いのではないだろうか? 特に自己主張の激しい米国の経営者の本であれば、なおさら。

  • ウェルチの求めるリーダー像
    1. 活力に満ち溢れている
    2. ビジョンを作り、それを根付かせることが出来る
    3. 会社全体を巻き込んで、その情熱を広める方法を心得ている
    4. 責任を全うし、価値観を共有する
  • 中間管理職はチームの構成員であると同時に、そのチームのコーチであるべきだ。管理するよりは手助けをしなければならない。

  • 事業を展開する上での3つの指標:社員の満足度、顧客の満足度、キャッシュフロー
  • アイデアを話しただけで会議を終わらせてしまう企業もあるが、大切なのはアイデアをいかに活用するかを考えること。
  • 学習すること。学習するということがすべてだ。
  • 小さくて身軽な会社には競争力という大きな武器がある。小さな会社は、コミュニケーションがよい。動きが速い。無駄が少ない。階層が少なくごまかしがない。

 本書の主人公であるウェルチは、新聞や雑誌などで盛んに取り上げられているが、その一番の特徴は業界のトップか2位でなければその事業からは撤退するといった明確なポリシーや、後継者選びに時間とカネをかけるという哲学であろう。口で言うのは簡単だが、どちらも実践し、そして成功しているところが素晴らしい。日本企業の経営には向かないかもしれないが、彼が一流の経営者であることは間違いないのであろう。

>2004.03.11.THU


△0262 『檻』 >北方謙三/集英社文庫/1998.11.20

 北方謙三との出会いは、中学生の頃まで遡る。「ホットドッグ・プレス」誌で連載していた青春人生相談『試みの地平線』を読んだのがきっかけ。読者に対し「小僧ども」と呼びかけ、何かといえば「女を抱け」と回答するわけの分からないコーナーであった。あまりの馬鹿馬鹿しさに自分の悩みが小さなものに思えて、立ち直った人も多いのではないだろうか。だとしたら、なかなか効果的だったのかもしれない。

 というわけで、第一印象が非常に悪い作家なのだが、本書『檻』は20世紀傑作ミステリーベスト10に入っていたので、騙されたと思って読んでみたもの。主人公・滝野はヤクザから足を洗い、一時はスーパーの店長に納まるのだが、昔の血が騒ぎ出し、任侠の世界に戻っていくという話。彼の兄貴分である、桜井という男がなかなか魅力的に描かれている。素人には絶対に手を出さない、昔かたぎのやくざ。実質組を取り仕切っていたこともあり、十数発の銃弾を撃ち込まれて死んでしまった。この桜井と比べると滝野という男が、小さく見えてしまう。

 個人的に日本版のハードボイルドが苦手なこともあり、あまり面白いとは思えなかった。解説を読むと、本作品が北方文学の最高傑作などと書いてあるが、これが最高だったら他の本はどうなのだろうと、結局手を出していない。ただし、最近、作者は歴史小説を書き始めており、こちらは一度読んでみようかと思っている。村上龍が経済に興味を持ち始めて作風が変わったように、北方謙三も歴史との出会いで変わると面白いのだが。

>2004.03.07.SUN


×0261 『恐怖』 >筒井康隆/文春文庫/2004.03.06

 背表紙あらすじ:姥坂市で起きた連続殺人事件。犯人の狙いはどうやら、町に住む文化人を皆殺しにすることらしい。「次に殺されるのは俺だ」、作家の村田勘市は次第に半狂乱に追いつめられていく。一体犯人は何者なのか? 謎解きサスペンスに加え、「恐怖とは何か?」という人間心理の奥底にせまる異色傑作ミステリー。

 筒井康隆に対する思い入れは強く、一時期はすべての文庫本を読み漁ったものである。中には入手困難なアンソロジーもあったりしたが、古本屋を回って入手し片っ端から貪り読んだ。ピークは高校生の頃で、その毒気に圧倒されながらも、小説にはこんな世界もあったのかと感心したものである。そんな思い入れがあるせいか、最近の筒井康隆には元気がないような気がする。最近というのは断筆宣言からの復帰後のことであり、元気というよりも「毒気」がないのである。

 本書も「メタ・ミステリー」などと解説されているが、ミステリーなのかホラーなのかよく分からない。主人公の恐怖感を描いているのだが、肝心の読者にとってはまったく怖いシチュエーションではなく、中途半端な展開に陥ってしまっている。主人公が作家という設定で、自分の置かれた立場を推理小説的に解説している辺りが唯一「メタ」的な要素だが、さほど実験的というわけでもない。同じ推理小説批判であれば、『名探偵の掟』の方が面白いであろう。

 最盛期の筒井康隆といえば、句点「、」の打ち方にまで気を遣い、実験的に全く句点を使わない小説を何本か書いている。本書にはそういった面もなく、唯一各章のタイトルが全て11文字で統一されているところが、こだわりを感じさせる点である。そういえば、背表紙の日本語が少し奇異に感じるのだが気のせいだろうか? 「犯人の狙いはどうやら、町に住む」というのは「犯人の狙いは、どうやら町に住む」の方がしっくりいく感じがするし、「半狂乱に追いつめられていく」というのは「半狂乱状態に追いつめられていく」が正しいのではないだろうか? 筆者自身が背表紙のあらすじなどに目を通していないのかもしれないが、本屋で最初に目にするのがこのあらすじである。もう少し気を遣っても良いと思うのである。

>2004.03.06.SAT

苗村屋読書日記 [53]

     



































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