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![]() △0270 『日立 技術王国再建への決断』 水野裕司 △0269 『深紅』 野沢尚 △0268 『「超」英語法』 野口悠紀雄 △0267 『溺れる魚』 戸梶圭太 ×0266 『猛スピードで母は』 長嶋有 △0270 『日立 技術王国再建への決断』 >水野裕司/日本経済新聞社/2004.04.09 つい最近、新聞だか雑誌だかで、「技術の日立から、技術だけの日立へ」という記事を読んだ。要は、せっかくの技術を持ちながらマーケット・ニーズに応えていないという批判だったのだが、その批判に応えるべく書かかれたような本である。 8章立ての内、1〜5章までは随分と「日立寄り」の視点で書かれている。確かに、砂粒大のICチップである「ミューチップ」は一世を風靡したが、本当に儲けが出てくるのはまだまだこれからであろうし、その他の技術についても、期待は出来そうだが先行きは不透明である。組織の壁を崩したり、横の連携を強くしたりという記述が随所に見られるが、巨艦日立がそんなに簡単に変われるかは疑問が残る。 そんな中、6章の『軋むグループ』と8章の『「ひとの日立」から進化できるか』という部分は非常に面白かった。まず、6章では、日立金属が株式交換でM&Aを行なった場合を想定し、日立製作所の持ち株比率が過半数を割り込む事態もありうると予想している。日立金属のほかにも日立電線、日立化成工業といった御三家と呼ばれる材料系のグループ企業については、日立製作所の本業と分野が異なる為、漫然と連結子会社にしておく方がおかしいのではないかという意見も出ているそうである。 日立製作所の出資比率が50%超の上場企業は15社あるが、ソニーや松下といったライバルメーカーが、子会社のコントロール強化の為に、上場を廃止し100%子会社化を進めているのとは対照的である。スピード経営が重視される今、他の株主に気を遣いながらでは事業再編はなかなか進まないのかもしれない。 日立の事業再編の歩みとして、ここ数年の子会社統合や分社化に関する年表が付されているが、その数に比べてスピード感が感じられないのはなぜだろうかと考えていたところ、あることに思い至った。つい最近、日立の自動車部品系の子会社を統合したが、日立製作所本体の自動車部品事業は分社化していないのが象徴的な事例である。恐らく子会社同士の統合がうまくいった頃に、分社化・再編をもくろんでいるのであろう。つまり、事業再編を「一気に」ではなく「順に」行なっている為、スピード感が感じられないのである。 8章にはエルピーダメモリの坂本社長のコメントが記載されていた。日立に対する痛烈な批判を含みながら、なんとか強い会社になって欲しいという坂本社長の熱意が感じられる内容。少し長くなるが、5項目全てを抜粋してみたい。
△0269 『深紅』 >野沢尚/講談社文庫/2004.04.07 背表紙あらすじ:父と母、幼い二人の弟の遺体は顔を砕かれていた。秋葉家を襲った一家惨殺事件。修学旅行でひとり生き残った奏子は、癒しがたい傷を負ったまま大学生に成長する。父に恨みを抱きハンマーを振るった加害者にも同じ年の娘がいたことを知る。正体を隠し、奏子は彼女に会うが!? 吉川英治文学新人賞受賞の衝撃作。 いきなりネタバレ的で恐縮だが、どうもあらすじを読み違えていたようである。☆奏子の正体が、加害者の娘である未歩にばれてしまうと思い込んでいたのである。正体がいつばれるか、いつばれるかとドキドキしながら読み進めていたので、ラストで拍子抜け。あらすじや解説にもそんなことは一言も書かれていない。一体なんだったのだろうか?☆ 自分の勘違いもあり、何だか中途半端なまま終わってしまったが、それを差し引いても前半の盛り上がりに比べて後半は少し寂しい展開。高橋克彦も解説で同じようなことを書いていたが、彼は再読して、後半こそ野沢尚が力を入れた部分ではないかと思い直したそうである。しかし、被害者の娘が加害者の娘に会いに行くという設定自体に無理があるように感じた私には、現実味が無く、面白いとは思えなかった。 世の中には被害者の立場から描いた小説や、加害者の立場から描いた小説が多々あるが、その娘達が直接で会うという形態は珍しいのではないだろうか? 難しいシチュエーションに挑戦した点は買いたいのだが、殺人教唆や殺人未遂という方向性以外にも道はあったのではないかとも思う。会社の昼休みに少しずつ読み継いだ為、盛り上がりに欠けたのかもしれない。一気に読了していれば感想も違ったかもしれないが、そこまで面白ければ、帰りの電車でも読み耽っていたであろう。
△0268 『「超」英語法』 >野口悠紀雄/講談社/2004.04.03 英語の学習方法を教育者ではなく、学ぶ者の立場から分析した本である。『「超」整理法』をはじめとする数々の著書から分かるように、ある物事を系統立てて考え、本質をうまく指摘するのがこの筆者のすごいところである。私自身、英語の習得には苦労しており、ついつい衝動買いしてしまった。 今回、筆者が一番強調しているのは、英語を話せるようになるためには、とにかく聞く力を向上させることだとしている点である。さらに言うと、英会話学校へ行くよりも、とにかく聞く訓練を繰り返すことによって、話せるようにもなるとしている。確かに、英語が話せて、質問を発することが出来るようになっても、相手の答えが聞き取れなければ意味がない。また、聞く力が向上すると、相手のフレーズを繰り返すことにより、意志の疎通は出来てしまうというのが筆者の持論である。 また、日本人が仕事の上で必要としている英語力を限定しているのも興味深い。スラング混じりの映画のセリフを聞き取る必要はなく、ニュース英語のようなビジネスシーンで使用するきちんとした英語が聞き取れることを目標とすべきとのこと。確かに、ニュースだと多少内容が分かるのに、映画になるとまったく意味が分からないことが多々あったのだが、よくよく考えると納得である。一方で、社会人たるもの専門用語をしっかりと身に付けるべきだという指摘もあった。英会話学校や、英会話教材には自己紹介や電話のかけ方は出てきても、専門家を相手に仕事の話をする場面は出てこない。経理畑であれば会計用語を、エンジニアであれば機械の部品名などをきちんと英語で言えるようにならなければならない。逆に言うと、専門用語が分かっていれば、たどたどしい英語でも充分通じるとのことである。 中盤では、日本人が苦手とするリスニングの要点を押さえ、後半は筆者がおこなってきた英語の学習法を紹介している。個人的には、中盤以降はおまけのような感じ。前半の「力を入れるポイント」を指摘された部分だけで大いに意味のある一冊であった。 ちなみに、私の勉強法は次の通りである。
なかなか身につかない英語だが、「英語」というのはあくまでも「道具」であり「手段」であることを忘れてはならない。「目的」はコミュニケーションである。
△0267 『溺れる魚』 >戸梶圭太/新潮文庫/2004.03.27 背表紙あらすじ:謹慎中の二人の不良刑事が、罪のもみ消しと引き換えに、監察から公安刑事の内偵を命じられた。その刑事は、ある企業から脅迫事件の犯人割り出しを依頼されていたのだ。脅迫は、幹部社員に珍奇な格好で繁華街を歩かせろという、前代未聞の内容だった。いったい犯人の真意とは? 意表を衝く人物設定とスピード感あふれるストーリー展開が評価された快作。 設定はそれなりに面白かったのだが、いろいろ工夫しすぎて中途半端に終わってしまったように感じた。背景には監察と公安刑事の対立があるのだが、それを取り巻く事件として企業脅迫が勃発する。DPEを扱うダイトーという企業が標的にされ、犯人が持ち込んだネガの中に隠しこんだ薬品が化学反応を起こして、写真を滅茶苦茶にしてしまうのである。グリコ森永事件のように食品に青酸カリを忍ばせるわけでもなく、それでいて簡単に企業にダメージを与えることが出来る知能犯罪・・・。 このあたりの発想までは面白かったのだが、犯人像として浮かび上がってくるのは、『砂の器』のヌーボークラブのような前衛芸術家達。刑事の方も、芸術にかぶれていく石巻、女装好きの秋吉、犯人の強奪金を着服した白州、悪徳公安の伊勢崎と濃いキャラクターが勢ぞろいである。さらには、ダイトーの幹部やヤクザまでが入り混じり、後半からはドタバタ劇に突入する。 知的な雰囲気の漂う前半からの急展開が面白いという人もいるのだろうが、私としてはギャップが激しすぎて無理を感じてしまった。文体についても、無理に軽く書こうとしているのが空回りしており、なんとなく読みづらかった。同じ軽い文体でも、『池袋ウエストゲートパーク』などはさほど苦にならなかったので、個人的な好みの問題であろう。導入部分はなかなか面白かったので期待していたのだが、後半に入ってからの失速が残念。次作に期待したい。 ところで、家の近くの桜がそろそろ7分咲きである。結構たくさんの桜の木があり、毎年4月が楽しみなのだが、あっという間に散ってしまうのが桜の哀しさ。まぁ葉桜も好きなので、あまり気にはしていないが、ちょっと寂しい気もする。前回桜について触れたのが『半眼訥訥』の頃。月日が経つのは早いものである。
×0266 『猛スピードで母は』 >長嶋有/文藝春秋/2002.05.03 帯より:拾い上げるとそれは写真だった。母と一緒に知らない男が写っている。母は前を向いたまま左手を伸ぱし、慎の手から写真を取り上げた。そしてアクセルを深く踏み込んだ。追い越し車線に移り前方の軽自動車を抜き去ると「私、結婚するかもしれないから」といった。驚いた慎はなぜか母の顔ではなく、背後の追い抜かされた車をみてしまった。やや遅れて慎のした返事は「すごいね」だったが、いってみて変な感じがした。 こういう小説を面白いと思えないのは、まずいのだろうか? 天下の芥川賞であるが、これから面白くなるのだろうかと期待しているうちに、物語が終わってしまった。唯一、団地の「C」号棟に落書きされた、「astel Hotel」の文字が印象的だった。また、本書には『サイドカーに犬』という作品も収められているが、こちらもムギチョコだの、山口百恵だの、ちょっとした小道具の使い方がうまいと思った程度である。 日常のたわいもない出来事・・・しかし、子供にとっては大きな出来事なのかもしれない。本書に収められている2作品とも、大人の身勝手や自己主張の中で揺れ動く子供心を描いているのだが、子供たちが無邪気なせいか、あまり切実な感じがしてこない。では、一体何が言いたいのか? 家族というものの大切さなのか?脆さなのか? 田舎の大家族で育った私には父親や母親の不在の寂しさというものが分からないせいかもしれないが、最後までピンとこない作品であった。
苗村屋読書日記 [54]
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