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○0285 『驚愕の荒野』 筒井康隆
△0284 『巡礼者たち(家族狩り第四部)』 天童荒太
△0283 『アヒルと鴨のコインロッカー』 伊坂幸太郎
△0282 『雪が降る』 藤原伊織
△0281 『たった3カ月でTOEICテスト905点とった』 吉村達也


○0285 『驚愕の荒野』 >筒井康隆/河出文庫/2004.05.16

 背表紙あらすじ:見出されては失われ、失われては見出される<書物>・・・。語る者は語られる者となり、書く者は書かれる者となって、時空間を遥かに越えて行く<果てしない物語世界>・・・。新しい”小説空間”の誕生を告げた会心作!

 初読は1991年であるから、大学入学したての頃である。200ページ足らずで、文字も大きく、1時間もあれば読了できる作品にもかかわらず、「驚愕」したのを覚えている。当時は、筒井康隆の実験的な作品が大好きで、いろいろと読み漁っていたが、中でもショックを受けたのが本書である。

 物語は、唐突に第332巻から始まる。世紀末の荒廃した地球を思わせる舞台設定は、当時流行していたロールプレイングゲームなども意識していたのかもしれない。蒲生、影ニ、小清など、妖しげな登場人物が旅を続けていく・・・。三分の二ほど読み進めるまでは、なんだかつまらない作品だと思っていたのだが、物語は急展開を見せる。登場人物のひとりである小清が、立ち寄った破屋に残されていた書物を読み始めるのだが、小清が読む物語が、そのまま次章につながっていくのである。で、次章は第599巻から始まっていく・・・。

 第599巻の登場人物である尭が書物を見つけたときには、紙片がバラバラに散乱していたのだが、そのバラバラの紙片が更に物語を構成していく。つぎはぎの文章が奇妙なリズムを作りながら、物語は幕を閉じていく。

 物語の構成要素として忘れてはならないのが、「読み手」の存在である。最初は「おねえさん」が「読み手」として登場するのだが、いつの間にか物語の中に取り込まれてしまっている。白骨死体として登場したり、さらには、五英猫というキャラクターに生まれ変わって、登場したりするのである。

 解説を読んで明確になったのだが、この舞台は4つの階層からなりたっている。「訣界」「唆界」「爛界」「批界」という構成なのだが、「おねえさん」がいるのが「訣界」であり、舞台の中心は「唆界」 やがて、物語が進むと、「爛界」の生物も登場してくる。「唆界」にとっての死後の世界が、「爛界」であり、死んだ後は魔物として次の世界で蘇るのである。この蘇りについては、死んでしまっても簡単に生き返ってしまうロールプレイングゲームに対するアンチテーゼのように感じた。一度死んだものは元通りには戻らない、たとえ蘇ったとしても邪悪なものになってしまうという、一種の警鐘と取るのは深読みのしすぎだろうか?

 じっくり読めば、このように複雑な構成になっているのだが、これらの設定が無理なく頭に入ってくるあたりは、作者の力量といえよう。物語の中に物語があるという発想は、『ネバー・エンディング・ストーリー』に通じるものもあるが、細切れの文章でラストを綴るあたりは、『ネバー・エンディング・ストーリー』を超越している。オススメの一冊である。

>2004.05.16.SUN


△0284 『巡礼者たち(家族狩り第四部)』 >天童荒太/新潮文庫/2004.05.12

 背表紙あらすじ:孤立無援で事件を追う馬見原は、四国に向かった。捜査のために休暇を取ったのだ。彼はそこで痛ましい事実に辿りつく。夫に同行した佐和子は、巡礼を続ける者の姿に心を大きく動かされていた。一方、東京では、玲子のことを心配する游子と、逃避行を続ける駒田の間に新たな緊張が走っていた。さまざまな鎖から身を解き放ち、自らの手に人生を取り戻そうとする人びと。緊迫の第四部。

 第四部に突入し、物語が大きく動き始めた。まず、馬見原が真犯人の過去を追って四国へ向かう。ちなみに、単行本の『家族狩り』では休みを取って1人で捜査に出かけているが、今回は私的捜査ということで妻の佐和子を同行している。四国で「お遍路さん」と触れ合うきっかけを得た佐和子が、離婚を切り出すなど、前作とは随分違った趣である。筆者の出身が四国ということもあり、この辺りは結構力を入れて書かれているように感じた。

 そして、游子。☆単行本でも刺されたが、今回はアイスピックではなく、包丁が凶器。一命を取り留めるのか、今後の展開が心配である。もしかすると死んでしまうという結末もありうるかもしれない。☆ 一方浚介は、たまたま訪れた昔の教え子との交流を深める。オリジナルの方を読んだのは2年前だが、この辺りのディテイルは忘れてしまった。街のはずれに一軒家を借りるところまでは同じだと思うのだが、教え子との交流などあっただろうか。

 このように第三部まではあまり感じなかった、オリジナルとの違いが色濃く出始めている。その中で第一部から共通して変化が見られるのは「携帯電話」であろう。オリジナルにも少しだけ登場するが、メインはポケベルである。本書に限らず、携帯電話の普及はミステリーや他の小説の設定を大幅に変えてしまった。私生活でも、待ち合わせの際の不安感が随分軽減されている。待ち合わせの時間は間違っていなかったか、場所はここでよかったかなど、今では簡単に確認できてしまう。

 話が変わるが今日の新聞に、シロアリ駆除の業者が「このままでは家が倒壊する」と無理矢理作業を進めて料金を徴収するという、犯罪記事が出ていた。マイホームを守りたいという人々の弱みに付け込んだ悪質な犯罪であるが、シロアリを家庭の崩壊に見立てた本書との共通点を感じるとともに、このような「家族の弱み」を早々にテーマとして取り上げた作者の先見の明に改めて感服した。

 さて、『家族狩り』の文庫本シリーズで楽しみなのが「作者あとがき」である。今回は田舎の川がテーマ。読みながら自分の幼い頃を思い出したのだが、作者の場合と同じように我が田舎の川も、コンクリートで地下に埋め込まれてしまっている。昔は、といっても15年ほど前であるが、鬱蒼とした森の中を流れる小川が格好の遊び場で、清流とはいえないまでも鯉や鮒が泳いでおり、それなりに楽しめたものである。小川の先に神社があったのだが、子供心に何となく近寄りがたく、恐れ多いイメージがあったのだが、森が伐採され大通りに面するようになった神社は、神秘性までも失ってしまった。神社まで結構な距離があったように記憶しているのだが、見通しが良くなったせいか、距離まで縮まったようである。自然の維持と便利さの向上というのは相反するものであるが、そろそろこの辺りで満足しないと、人間そのものの将来が危うくなるのではないだろうか?

 >『家族狩り』『幻世の祈り』『遭難者の夢』『贈られた手』『巡礼者たち』『まだ遠い光』

>2004.05.12.WED


△0283 『アヒルと鴨のコインロッカー』 >伊坂幸太郎/東京創元社/2004.05.07

 まず、タイトルに興味を惹かれる。読み進めるうちに、アヒル=外国人、鴨=日本人を比喩的に表現していることに気がつく。同じ人間なんだから、多少見かけが違っても中味は同じ。そんなテーマが見え隠れする作品。・・・と思っていたら、そのテーマさえもが伏線であった。まんまと騙されたという感じである。

 伊坂幸太郎というと『オーデュボンの祈り』『ラッシュライフ』で見せた、複数の物語が交錯し、最後にひとつに収斂するというパターンが得意な作家。本書は、2年前と現在という2つの物語が交錯する。その物語を結ぶのが「河崎」という男・・・。

 今回は、伊坂幸太郎にしては物足りなさを感じてしまった。周到に用意された伏線はさすがであるが、叙述ミステリー的になってしまったのが残念。『ラッシュライフ』での時間軸の使い方など、今までの作品にも叙述トリック的な要素はあったのだが、今回はそれが全面に出すぎてしまった。また、限られた少人数の中だけで物語が完結しているのにも、広がりのなさを感じてしまった。少人数でも物語を構築する方が、難しいのかもしれないが、印象というのは紙一重である。

 ラストではコインロッカーの意味も判明し、ちょっと涙を誘うハートウォーミングな仕上がりとなっているのだが・・・。他の作品が素晴らしいだけに、どうしても評価は辛めになってしまう。

 ちなみに、No animal was harmed in the making of this film. (この映画の製作において、動物に危害はくわえられていません)という映画のエンドクレジットによく見られる但し書きが冒頭についているのだが、ラストには、No animal was harmed in the making of this novel. という文章も添えられている。しかし、作品中の描写を考えると、ぜひとも映像化してほしくない作品かもしれない。動物虐待のシーンを特撮でうまくごまかしてくれるのならいいのだが・・・。と、ここまで書いて、そういえばこの作品は映像化できないなぁと思い至った。

>2004.05.07.FRI


△0282 『雪が降る』 >藤原伊織/講談社文庫/2002.11.06・2003.02.23

 背表紙あらすじ:母を殺したのは、志村さん、あなたですね。少年から届いた短いメールが男の封印された記憶をよみがえらせた。苦い青春の日々と灰色の現在が交錯するとき放たれた一瞬の光芒をとらえた表題作をはじめ、取替え用のない過去を抱えて生きるほかない人生の真実をあざやかに浮かびあがらせた、珠玉の六編。

 『四日間の奇蹟』を読んでいて、「指を失ったピアニスト」という設定で思い出したのが本書である。どちらかというと長編向きかなと思っていた作者の、短編で見せる「旨さ」がにじみ出ていた作品。

『台風』・・・今回の書評のきっかけとなった作品。冒頭でネタをばらしてしまった・・・。あるサラリーマンが回想の中で、人を殺してしまった男のことを思い出す話。ビリヤードをモチーフに、旨く練られた作品。解説にも書いてあったが、ラスト3行が秀逸。

『雪が降る』・・・表題作だけあって、短い中に人間模様を濃縮した力作。一番好きな作品である。まだ今ほど電子メールが一般的でない頃の作品だろうか。特に未発信のメールが効果的に使われている。「したい。してみたい。したかった。してください」 なかなか書けるセリフではない。読後感のよい、すがすがしい作品。

『銀の塩』・・・ここに登場する島村という男は、『テロリストのパラソル』の主人公と同一人物だろう。バングラデシュの首都ダッカから来たベンガル語を話す青年の、淡い恋の裏に隠された陰謀・・・。異国の目から見ると、日本という国がどんどんおかしくなってきているのがよく分かる。そんな指摘をされたような気がした作品。

『紅の樹』・・・こちらは、『てのひらの闇』の原型ともいえる作品。ヤクザの家に生まれてしまった堀江という男。ストイックな生活を送りつつも、争いごとの世界に帰ってこざるを得なかった堀江の苦悩を描き出している。若頭や未亡人と言った脇役もピリッとしていて小気味のいい作品。ラストは少し哀しい。

『ダリアの夏』・・・人生に疲れた男と人生に疲れた女。そんな二人の子供と主人公との接点を、野球を通じて瑞々しく描いている。誰に感情移入すればいいのか分からず、少し消化不良の感はあるが、ラストはほんのりと温かい。

>2004.05.05.WED


△0281 『たった3カ月でTOEICテスト905点とった』 >吉村達也/ダイヤモンド社/1999.11.08

 TOEICの点数を何とか上げたいと、いろいろな勉強法の本を読み漁っていた頃のもの。なかなかユニークな勉強法で面白かった。まず、筆者が定義する、7種類の英語術を取り上げてみると

  1. 英語で会話する総合力
  2. 英語を発音する能力
  3. 英語を聞き取る能力
  4. 英語を脳内に一時保持する能力
  5. 英語を読解する能力
  6. 英語で文を綴る能力
  7. 論理的な日本語を操る能力
というもの。この中で興味深いのが「英語を脳内に一時保持する能力」と、「論理的な日本語を操る能力」である。

 「英語を脳内に一時保持する能力」のことを「リテンション:retention」とも読んでいるのだが、要は耳に入ってきた英語をそのまま聞き流すのではなく、理解して自分のものにする能力のことである。確かに、リスニング能力を鍛えていくと、何を言っているのかは分かるようになってくるが、後から内容を聞かれると全く覚えていないといったことがよくある。特にTOEICの試験においては致命的なもので、この能力がないとせっかくリスニング能力を鍛えても点数に結びつかない。筆者は、リテンション能力を鍛える方法としてシャドーイングを挙げている。

 シャドーイングとは、耳から入ってきた英語をワンテンポ遅らせて呟くものである。聞こえてきた英語をボソボソと口に出すのだが、これがなかなか効果覿面で、聞き取りの能力も向上するように感じる。ちなみに、同時通訳者などもこの方法で一時記憶力を磨くそうである。

 次にボキャブラリーについて。これは、野口悠紀雄氏も『「超」英語法』で語っていたことだが、最初から専門用語を覚えよというもの。日本人だからといって「sushi」だの「tenpura」といった単語ばかり連発していては、間が持たないどころか知的レベルを疑われてしまう。いきなり専門用語が難しければ、ニュースなどの時事英語から始めてもいいだろう。

 また、英単語については、パソコンを利用して暗記するのが良いとのこと。知らない単語をどんどんパソコンに打ち込み、そのファイルをマザーファイルとして保存しておく。マザーファイルのコピーを作成し、コピーの方は覚えた単語から次々に消していくという方法。今考えるとありきたりな方法だが、本書が書かれたのが1999年であることを加味するとそれなりに画期的な方法かもしれない。ただ、筆者は語彙に関してだけは楽をすることは考えず、ひたすら暗記したそうである。英語上達の為には、このように、必死になる部分も不可欠だと感じた。

 文法に関しては、きちんとした文法書を一冊読むべきとのこと。本書では『スコア730をとるためのTOEIC英文法』(木村恒夫著・語研)を進めていた。問題集については触れられていなかった。

 さて、最後になってしまったが、「論理的な日本語を操る能力」について。これに関しては印象的なエピソードが書かれてあったので紹介したい。1999年当時、ユーゴ空爆のニュースを見ていたときのこと。記者のひとりが空爆の回数を尋ねたところ、NATOの司令官は「あなたの言った空爆とは、投下した爆弾の数を指すのか、それとも攻撃の回数を指すのか」と聞き返したそうである。このようなロジカルな会話は日本語ではなかなか成立しにくい。特に日本の政治家と新聞記者の間ではありえない会話だといっている。つまり、ついつい物事を曖昧にしがちな日本語を話すときでも、論理的な思考をもって話をすべきだということ。いくら英語が話せても、中味がなければ意味がないとは、よく聞く話である。

>2004.05.04.TUE

苗村屋読書日記 [57]

     



































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