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![]() ○0290 『まだ遠い光(家族狩り第五部)』 天童荒太 ◎0289 『悪童日記』 アゴタ・クリストフ △0288 『アクアリウム』 篠田節子 △0287 『象と耳鳴り』 恩田陸 ×0286 『密閉教室』 法月綸太郎 ○0290 『まだ遠い光(家族狩り第五部)』 >天童荒太/新潮文庫/2004.06.14 背表紙あらすじ:浚介は游子の病室を訪れた。二つの心は、次第に寄り添ってゆく。山賀と大野は、哀しみを抱えた家の扉を叩く。ふたりの耳は、ただひとつの言葉を求めている。冬島母子をめぐり争い続けてきた馬見原と油井。彼らの互いへの憎しみは、いま臨界点を迎えている…。悲劇によって結ばれた人びとは、奔流のなかで、自らの生に目覚めてゆく。永遠に語り継がれる傑作、第五部=完結篇。 つい最近、小学生による殺人事件が起こった。何ともやりきれない思いがあるが、事情もよく知らず、マスコミが書き立てる話だけを鵜呑みにすると、事件の本質を見誤りそうな気がするので、コメントは差し控えたい。しかし、巷で言われているインターネットが子供に与える悪影響というのはどこまで真実なのだろうか? 戦時中は小学生まで竹槍を持たされて鬼畜米英と殺人の訓練を受けていたにもかかわらず、このような悲劇は起こっていないように思う。インターネットは引き金の一つかもしれないが、根底にあるのは家族のあり方や教育のあり方などもっと基本的なことの様に思う。 作者は、このような事件が起こって欲しくなくて、今回『家族狩り』という小説を復活させたのだと思う。本書第五部が出版される前に事件が起こっていたら、物語はまた違う方向へ向かっていたかもしれない。世間で起こった事件や読者の反応などを取り入れながら物語を構築していくというのは、難しい反面、貴重でやりがいのある仕事だと思うが、果たして今回の事件を天童荒太はどんな気持ちで見つめているのだろうか。 さて、作者があとがきでも書いている通り、第五部は前作のストーリーと随分違ったものになっている。いろいろ考えた末の結論なのだろうが、少し考え過ぎのような気がしないでもない。前作の方が、荒削りな分、迫り来るものがあったように思う。また、複数の登場人物がラストで一気に結びつくあたりは、壮観である反面、偶然の色が濃すぎて納得できない面もあった。佐和子の電話、亜衣の電話など、タイミングがよすぎるのが気になる。 ネタバレになってしまうが、前作との比較をしてみたい。☆馬見原が油井に襲われるが、前作では凶器はドス、今回は拳銃。また芳沢家に入った椎村は、前作では大野に刺されている。今回は冬島母子を若田部が訪ねるシーンが挿入されている。今気付いたのだが、葉子は前作では加葉子という名だった。大野と葉子の芳沢家に対する犯行は、前作の方が残酷であり、最期も富士山の樹海ではなく、車ごと海に飛び込んでしまう・・・。☆ こういった細部の比較に意味はないのかもしれないが、少しづつの積み重ねが全体の印象を大きく変えてしまっており、個人的には前作の方がスピード感があったように感じるのである。また、発刊を5回に分けたというのも、前述のような成功面もあれば、スピード感を失ってしまうというデメリットにもなっているように感じた。 文庫本の帯には「この大河を渡りきった時、あなたは光を手に入れる」とある一方で、タイトルは『まだ遠い光』 この一見矛盾した関係が、目の前の「大河」の大きさを物語っている様である。「大河」を渡りきれないと光を手に入れることはできないのだが、はたして今の日本に、いや世界に光はやってくるのだろうか。 >『家族狩り』| 『幻世の祈り』| 『遭難者の夢』| 『贈られた手』| 『巡礼者たち』| 『まだ遠い光』
◎0289 『悪童日記』 >アゴタ・クリストフ(訳:堀茂樹)/ハヤカワノベルス/1997.07.08・2004.06.10 アガサ・クリスティではない。アゴタ・クリストフである。ハンガリー生まれの女流作家で、本書は彼女の幼い頃の戦争体験をもとに書かれた物語である。先日、筒井康隆の『驚愕の荒野』を読み終え、「断片」の集まりからなる物語という相似性から思い出し、再読したもの。初読は7年前で、話の詳細は忘れてしまっていたが、当時感じた不気味かつ爽快という矛盾した印象は今回も変わらなかった。 物語の主人公は双子の男の子である。「ぼくら」を主語にして書かれているのだが、「私」や「彼」といった一人称や三人称の物語は多々みられるが、「ぼくら」という複数形の主語はめずらしい。しかし、二人は必ず一緒に行動している為、ほとんど一人称のような感じで読み進めることが出来る。ちなみに、物語は「ぼくら」が帳面に書き綴っている日記にて構成されている。 中学生程度の少年が書く文章ということで、随分と淡々とした語り口調である。余計な描写を省いた無駄のない文章が、この物語の存在感を更に高めている。「戦争」を題材にした「寓話的」な物語でありながら、押し付けがましく感じないのは、この淡々とした文章に負うところが大きいであろう。また、前回読んだときには、さほど気がつかなかったのだが、本書にはいたるところに性描写が出てくる。しかし、この性描写でさえも、あまりにも淡々と描かれているが為に、エロティックな感じは一切せず、むしろ戦争と貧困のもと、身体を売らざるを得ない少女の切なさと逞しさが感じられる。 少年たちはというと、この貧困から逃れる為、祖母の畑を手伝ったり、夜の居酒屋でハーモニカの演奏をしたりして、糊口をしのいでいる。また、生きていくために必要な訓練として、読み書きだけでなく、苦痛に耐える訓練、飢えに耐える訓練などを続けていく。こうした少年から青年への成長譚としても楽しめるかもしれない。特に育ての親である祖母が倒れるあたりから、急に大人びていくような感じがした。☆最後の最後で、二人が別々の道を歩んでいくシーンが登場するが、ここでは「親離れ」ならぬ「兄弟離れ」により、それぞれが一人立ちしていく逞しさを感じた。☆ さて、本書は戦時下の国境近くの村を舞台とした物語なのだが、閉鎖的なその設定から村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終り」を思い出した。登場人物が、一切固有名詞を持たないという点も同じであり、主人公と「影」という二人で一人のような設定も似ている。まったく異なる視点から描かれており、どちらかがどちらかを真似したと言うことはあり得ないだろうが、優れたストーリーが相似性を持つという点は興味深い。 △0288 『アクアリウム』 >篠田節子/新潮文庫/1997.09.20・2004.06.06 背表紙あらすじ:長谷川正人は遭難したダイビング仲間を探すため、奥多摩の地底湖に潜った。そこは水没した鍾乳洞で、中は迷路のようだった。自分の位置を見失ってしまった正人は死を覚悟するが、突然現われた「彼女」に導かれ、奇跡的に生還した。あれは幻覚だったのか? それとも・・・正人は「彼女」の姿を求めて再び水底へと向かう。だが、そこで見たものは・・・。新感覚のサスペンス・ファンタジー。 篠田節子の作品はいろいろ読んでいるが、振り返ってみると本書が最初の出会いである。この作品で篠田節子という作家を知り、なんとなく気にかけるようになったように思う。 最初読んだときには、SFなのか、ミステリーなのか、はたまたファンタジーなのかよく分からないという印象で、さほど面白さは感じなかった。今回、改めて読み直してみて、水面下の幻想の世界と水上の現実的な世界のコントラストの付け方や、社会問題に一歩踏み込んだ姿勢など、あちこちに作者の力量が見え隠れする秀作であると思い直した。そもそも篠田節子という作家はジャンル分けできない作品を描く。そういった意味では、「よく分からない」という感想もあながち的外れではなかったのだろう。 舞台は奥多摩である。奥多摩といえば上京した頃、最初に旅行した地。東京から数時間のところに、こんなにも自然が残っているのかと驚いたのを記憶している。当時は貧乏旅行で、車もなく、電車を乗り継いで、あとは徒歩というスタイルだったが、自然を満喫するには最高の旅行だったかもしれない。あの自然の中であれば、こんな物語が生まれてきても不思議ではないと思いながら読み進めた。 さて、物語は、前半と後半とで大きく様変わりする。前半は、あらすじにある通り、友人・純一のダイバーを助けに奥多摩の地底湖にもぐり、「イクティ」という不思議な生物に出会うシーンがメインである。この「イクティ」は、イルカのような高等生物で、正人と幻想的なコミュニケーションを図るのである。正人は「イクティ」との「会話」にのめりこんでいってしまう・・・。 中盤から話の流れが変わってくる。顔に傷を負ったまま潜った純一が、水中に溶け出した毒物に侵されて中毒死をしたのではないかという疑念が正人の頭をよぎる。このあたりから環境問題へと物語が急展開していく。しかし、社会問題に対して真摯に向かい合う姿勢は評価できるのだが、ラストでトンネルを爆破するのはやりすぎではないかと感じてしまった。「水上の現実的な世界」までもが、非現実性を帯びてしまい、せっかくのコントラストが台無しのように感じてしまった。もう少し現実的な解決方法をとっていれば、もっと面白かったのにと残念である。
△0287 『象と耳鳴り』 >恩田陸/祥伝社文庫/2004.05.12 背表紙あらすじ:「あたくし、象を見ると耳鳴りがするんです」退職判事・関根多佳雄が立ち寄った喫茶店。上品な婦人が語り始めたのは少女時代に英国で遭遇した、象による奇怪な殺人事件だった・・・。表題作をはじめ、子供たちの会話、一枚の写真、携帯電話など、なにげないテーマに潜む謎を、鮮やかな手さばきで解き明かす論理の芳醇たる結晶。幻惑と恍惚の本格推理コレクション。 「日常ミステリー」とは私の造語であるが、北村薫の『空飛ぶ馬』や加納朋子の『ななつのこ』など、特に犯罪や事件が起こるわけではないのだが、身近な日常に、実はミステリーが潜んでいるというもの。最近読んだ、本多孝好の『MISSING』もこれに相当するかもしれない。 本書もこれらの作品群と同様の色合いで、主人公の関根多佳雄が、何気ない日常に潜むミステリーを解明していく物語である。「日常ミステリー」は事件が起こらない分、通常のミステリーよりも難しい。本書の前半は苦労の跡が垣間見えるものの、あまり面白いとは言えず、何度も中断しようかと思ってしまった。後半に入ると一転して面白い作品が並んでいるので、途中で投げ出さないでよかったと思ったのだが、もう少し構成というか、物語の配分を考えてもよいのではなかろうか。特に、表題作の『象と耳鳴り』など、本作品集の中で一番面白くなかった。 もうひとつなじめなかった理由として「違和感」があげられる。何の「違和感」かというと、古いようで新しい物語の設定に対する「違和感」である。作者が意識しているのかどうかわからないが、物語の語り口調やテーマがなんとなく江戸川乱歩に似ているような気がするのだが、そうかと思うと携帯電話だの電子メールだのが登場する。登場人物の言葉が「古めかしい」のに、そういった現代的な小道具が出てきたりすると、どうもしっくりこないのである。 一方、面白いなと思ったものが3編あるので、これらについて感想を述べたい。 『待合室の冒険』・・・関根多佳雄の息子が登場する。普段はおっとりタイプの検事なのだが、いざとなると鋭い頭脳で難事件を解決してきた実績を持つ男である。今回は、電車の待合室でたまたま耳にした言葉から、事件を解決するというもの。私自身、作中のその言葉にはちょっとひっかかっていたので、ラストではなるほどなぁと唸ってしまった。伏線も見事。 『机上の論理』・・・「机上の空論」ではない。「論理」である。これは、関根多佳雄の息子・春(しゅん)と娘の夏(なつ)が登場し、ある人物の書斎の写真を元に、その人物像を推理するというもの。それぞれの推理力に感心しながらも、ラストに近づくにつれ「もしや」という思いが高まってくる。予想通りのわかりやすいラストではあるが、ほのぼのしていて一番好きな作品である。但し、息子が検事で娘が弁護士というのは、ちょっと出来過ぎのような気がする。 『往復書簡』・・・関根多佳雄が親戚の娘からの手紙を読んで、その裏に潜む事件を解決してしまう物語。いわゆる「ロッキングチェアもの」に近い。事件そのものや、そこに至る過程は平凡だが、やり取りされる手紙の文章が微笑ましくて好きな作品。最近は電子メールが増えて、手紙など書くことがなくなってしまったが、たまにはいいものだと思う。 最後の短編である『魔術師』では、学校の教室の椅子がなくなるという話が出てきた。偶然ではあるが、つい先日読んだ『密閉教室』との類似に吃驚である。そういえば、読書日記をつけるようになってから、以前読んだ作品との共通点を比較して感想を抱くことが多くなったように思う。それだけ読後の感想が長く頭に残るようになったのだろうか? だとすれば、この読書日記の目的の一つは果たしていることになるのだが・・・。
×0286 『密閉教室』 >法月綸太郎/講談社文庫/2004.05.28 背表紙あらすじ:早朝の教室で、高校生・中町圭介は死んでいた。コピーの遺書が残り、窓もドアも閉ざしてある。しかも異様なことに四十八組あったはずの机と椅子が、すべて消えていた! 級友・工藤順也がその死の謎に迫るとき次々現われた驚愕すべき真相とは? 精緻な構成に支えられた本格推理の力作。 「本格ミステリ」は苦手である。「ミステリ」の為に非日常的な舞台を設定し、「ミステリ」の為にわざわざ不可解な殺人方法をとるのが好きではないからである。特に東野圭吾の『名探偵の掟』を読んでから、その思いを強く抱くようになった。 では、なぜ今回、本書を手に取ったかというと、2つ理由がある。1つめは「このミス」の10位以内に入っている作品を読破したいと思っているため。もう1つは古本屋で100円で購入できた為である。「このミス」に関しては、恐らく駄作も混じっているのだろうが、読書の幅を広げる為に、長いスパンで取り組んで行きたいと思っている。そういえば「山本周五郎賞」や「直木賞」も読破予定なのだが、遅々として進まない。まぁ気長にやります。 さて、本書の方は予想通りあまり面白くなかった。作品自体が随分以前に書かれたものである為かもしれないが、伏線がみえみえな部分など、読み進めるのがつらくなってしまう。また、なぜ密室にする必要があったのかも不明。それらしい理由が述べられているが、そんな面倒なことをするくらいなら東京湾にでも沈めてしまった方が簡単なのにと思ってしまう。ラスト近くのどんでん返しに次ぐどんでん返しはなかなか面白かったが、こちらもミスリードしてやろうという作者の意図が透けて見えてしまう。 高校生というと、私にとっては約15年前の世界。本書を読み進めながら、何となく自分の母校を頭に思い浮かべてしまった。人間というのは例え小説であっても、身近なものに置き換えてしまうのかもしれない。たいしていい思いではないのだが、ちょっと高校時代を振り返りながらの読書であった。 追伸:ほぼ2週間ぶりの更新。私生活の方で引越し作業に追われて、ドタバタと。ネット環境も一時的にダイヤル回線になった為、余計に更新が遅れてしまった。ADSLの速さを思い知った反面、移転手続きに3週間もかかるとのことで、こちらは超スロー。ドッグイヤーの代名詞ともいえる通信業界がこんなことで大丈夫かと心配になってしまうが、余計なお世話だろうか? ソフトバンクが日本テレコムを買収するとのことだが、価格競争だけでなく、質の向上も目指して欲しい。
苗村屋読書日記 [58]
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