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◎0300 『逆命利君』 佐高信
△0299 『人間の証明』 森村誠一
△0298 『第三の嘘』 アゴタ・クリストフ
△0297 『リビング』 重松清
△0296 『"全身漫画"家』 江川達也


◎0300 『逆命利君』 >佐高信/講談社文庫/1997.11.20・1999.11.18・2004.07.17

 背表紙あらすじ:住友商事元常務・鈴木朗夫が辿った反逆人生を描く。管理に全身で刃向かい、陰湿な日本的企業社会を一刀両断にして逝った男。抜群の企画力、折衝力、語学力を持ちながら、ひけらかすこともなく、<命に逆らいて君を利する> …誇り高き生と壮絶な死。現代ビジネスマンに鋭く問いかけるノンフィクション。

 3度目の再読である。一度読んだ本を読み返すのはまれなので、3度目というのは本当に珍しい。「座右の書」というものは持っていないのだが、あえて挙げるならば本書といえるかもしれない。1997年といえば入社2年目。新人には少々刺激が強かったかもしれない。2度目に読んだ時は、会社に疑問を持ち始めた頃。そして今回、300冊目の記念にと思い読み始めたのだが、当時と同じような瑞々しさと、自分自身が社会人10年目となった重みを感じながら読み進めた。自分は、入社当時からどういった面で成長しているのだろうと自問自答しながら。

 タイトルが示すとおり、鈴木朗夫氏はイエス・マンとは程遠いビジネスマンである。「逆命利君」とは、命令に逆らいつつも、「君」つまり上司に利をもたらすという意味。上司に逆らいながらも、仕事では手を抜かないため、自分のスタイルをいつのまにか押し通してしまう鈴木。成果主義などなかった時代に、自分の実力で仕事を貫いた男の物語である。

 5年前に傍線を引いた箇所に、今回も改めて感銘を受けた。いいなと思う部分が変わっていないのが、嬉しいような、進歩がないような…。特にお気に入りの箇所を抜粋してみたい。

  • 下の者が上の者に「あなた、まちがってますよ」とおもしろ半分で言えるものじゃないんです。それだけに言われたら、上の者はありがたいと思って耳を傾けなければいけないんですよ。…鈴木の上司・伊藤正の言葉。
  • 大事なことは、あの人達(一緒に飲みに行く若手社員)を「若い連中」と呼ぶことがすでに大変な間違いであり、彼らは決して若くはないということであります。今日現在でも、もっと上級で広範な仕事をまかされて然るべきであり、又、充分にその責に耐える人達であります。
  • 「あの時、彼がいたのでことなきを得た」「彼が一緒だったから良い仕事が出来た」程度の、男同士の飾りのないひとことの為に男はかなりの危険をもおかすものであります。
  • この程度のレターは5分間で書かないと仕事になりません。レター一本を一日かかって書いていたら、会社はつぶれます。
  • たとえば、「辞書にこう書いてあります」と言っても、「それは辞書が間違いです」と却下するのである。
  • 日本人はなかなか部分否定や部分肯定が出来ない。肯定とは全肯定、否定とは全否定と思っているようなところがある。ディベイトとは、端的に言えば、討論の末に部分否定や部分肯定をするものだ。
  • 「当社の役員はあなたの行動に眉をひそめております」という言葉に対して「うん、現行の役員が眉をひそめないような行動は何も意味がないんだ」
 ビジネス・レターに対する心構えも見習うべき点が多い。
 (1)相手に対する礼儀にかない、且つ、一流会社としての品格を保っていること。(2)論旨が、誤解の余地なく明確であること。自分は「何について」語っているのか、「何をしたいのか」、「何ができるのか」、相手に「何をして貰いたいのか」、そして、動機と目的は何か。これらのことが、1通の手紙の中に的確に盛りこまれていること。一ヶ月前の手紙や、半年前のテレックスを掘り起こして、referしなければ趣旨が分からないような手紙は最低。
 現在では、e-mailに置き換えて考えることが出来るであろう。

 次に鈴木流の「ビジネスマンから見た”国際化”の要件と現実」について。ここでは、まず国際語とされる外国語を駆使する能力を挙げている。これは日本の文化がマイノリティである以上避けがたいことであり、とにかく相当な努力をすべきとのことである。また、一方で日本人としてのアイデンティティを持ち、日本の文化と伝統を体現しなければならないとも述べている。そしてコミュニケーション能力について。日本人は次の5点を意識しなければならないとのこと。つまり(1)鮮明に自己主張する。自己主張は可能な限り相手の言葉(ボキャブラリィ)と論理を用いて行う。(2)対決の場面では、理由(ジャスティフィケーション)なく譲歩することはしない。(3)投げられたタマはホールドせず、即座の反論で投げ返す。(4)妥協する場合は、情緒的な妥協でなく、必ず「論理ある妥協」「説明のつく妥協」をする。(5)相手に「押し付けられた」「損をした」と思わせない。「良いディールをした」とおもわせる。

 こういった人物が会社に一人いて、しかも相当の地位についているということは、若手にとって非常にやる気の出るものだと思う。上ばかり見て、自分の保身に走る上司ばかりでは、つまらないし、将来自分もそうなってしまうのではないかという恐怖はとてつもなく大きい。企業の文化というのは怖いもので、知らず知らずのうちに染まっていくものだから、常に外を向いたり、本書のような本を読んだりすることで、自分に警鐘を鳴らしていかなければと感じた。

 もし、鈴木氏のような方がいれば、ぜひ一緒に仕事をしたいと思うだろう。ビジネスマンとしての最大の誉め言葉は「優秀だ」「出来る」などというものではなく、「一緒に仕事がしたい」ではなかろうか。この一言に、仕事の能力の高さや人間的魅力が凝縮されている様に思う。

>2004.07.17.SAT


△0299 『人間の証明』 >森村誠一/角川文庫/2004.07.14

 背表紙あらすじ:「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?」西条八十(さいじょうやそ)の詩集をタクシーに忘れた黒人が、ナイフで刺され、ホテルの最上階に向かうエレベーターの中で死亡した。棟居(むねすえ)刑事は被害者の過去を追って、霧積(きりづみ)温泉から富山県へと向かい、ニューヨークでは被害者の父の過去をつきとめる。日米共同の捜査の中であがった意外な容疑者とは…!? 映画化、ドラマ化され、大反響を呼んだ、森村誠一の代表作。

 先日、所用で帰省した際に、手持ち無沙汰だったためキオスクで購入したもの。最近ドラマ化されたのは知っていたが、さほど興味もなく読むつもりはなかったのだが、他にめぼしい本がなかったので手に取った次第。時間つぶしに買ったわりには面白く、最初は〇をつけようかと思ったほど。

 同じく最近ドラマ化された、松本清張の『砂の器』のような社会派で重厚なミステリー。最初のうちは、電車に乗っていることを忘れて読みふけった。物語は、主に3つのストーリーからなっている。まずは、あらすじにもある通り、黒人が殺され、その捜査に棟居刑事が乗り出す話。次に失踪した妻を探すべく、夫である小山田と妻の愛人である新見がなぜか共同で調査を進める話。そして、家庭問題評論家として活躍する八杉恭子の息子、群恭平が享楽の末に事故をおこしてしまう話である。これらの別々のストーリーが読み進めるにつれ、一つに収斂していくのである。

 何度も書いてきたことだが、このような複数の錯綜するストーリーが収斂していく小説というのは、大好きなジャンルなのだが、収斂のさせ方にこじつけや偶然の要素が多いと、一気にしらけてしまう。本書はそういった意味で、三分の二ほどを読み進めた時点で、犯人が分かってしまったことや、ラストに近づくにつれ、偶然の要素が多く入りこんできたことが、減点要因となってしまった。

 以下ネタバレなので、未読の方やドラマを楽しみにしている方はご注意を。☆まず、殺された黒人のジョニー・ヘイワードの顔が東洋人風という描写。『アヒルと鴨のコインロッカー』からの連想もあり、少し引っかかった。そこへ来て、過去を隠したいと思うような人物はと考えると、自ずと八杉恭子が産んだ子供がジョニーではないかと行き当たる。このあたりが『砂の器』に比べると、少し短絡的ではないかと感じてしまった。また、小山田と新見が妻の失踪の真相に迫る部分だが、ここでは素人的な推理が、すべてピタリと当てはまるのが気に入らない。いろいろ紆余曲折し辿りついた真相であればよいのだが、このあたりももう少し書きこんで欲しかった部分である。

 メインストーリーである棟居刑事の捜査過程にも偶然の要素が入り込んでくる。旅先の旅館で出会った娘が、いきなり八杉恭子の家でお手伝いをしているのには、無理を感じるし、「ストウハ」や「キスミー」をさほどの苦労もなく「麦藁帽子」や「霧積」につなげてしまうあたりにも、安易さを感じる。また、「カメダ」と「亀嵩」という『砂の器』のトリックの二番煎じ的にも感じてしまうのである。さらには、棟居刑事が抱える幼少時代のトラウマに関係する人物が、一人だけでなく、二人も出てくるというのは興醒めもいいところ。

 何だか苦言ばかり呈してしまったが、最初が面白かっただけに、残念という思いがついつい筆を走らせてしまった。1977年に書かれた作品ということを鑑みると、当時としてはセンセーショナルな出来だったと思うし、正直古さを感じさせない名作だと思う。本書には『青春の証明』や『野生の証明』といったシリーズもあるようなので、他の作品に期待して、あえて辛口の△とした次第である。

>2004.07.14.WED


△0298 『第三の嘘』 >アゴタ・クリストフ(訳:堀茂樹)/ハヤカワノベルス/1997/07/09・2004.07.11

 前作の続きと思われるシーンから始まる、第三の物語。前作では、双子の兄弟のうち国に残ったリュカの物語であったが、本作は国を出ていったクラウスが主人公と思われる。「と思われる」と曖昧な表現をしたのは、リュカとクラウスの関係が混沌としている為。第二作の思わせぶりなエンディングからその曖昧さは始まっているのだが、本作では恐らく作者の意図であろう、ますます二人の存在があやふやになっている。クラウスは、あるいはリュカは、彼らが作り上げた幻影なのだろうか、はたまた二重人格か?

 7年前の初読の時には感じなかった違和感を、今回は非常に感じてしまった。読書には最適なタイミングというものがあり、瑞々しい感性のうちに読まなければわからない小説と、ある程度人生経験を積んだ後でなければ分からない小説があると思う。本書はまさに前者の最たるものであり、今回は残念ながら面白さが感じられなかった。

 以前は三部作のそれぞれが面白く、3冊揃ってこそ『悪童日記』は完結すると思っていたのだが、今回改めて読んで、『悪童日記』単独の方がよいのではないかと思い直した。

 読むべきタイミングまで計りながら読書をすることは不可能に近い。たまに20代で読むべき本だの、40歳までに読むべき本などと特集をしているが、あんなものに躍らされてはいけない。読書の最適なタイミングには、大きな個人差があるだろうし、結局普段から本に対するアンテナを高くしておいて、「読むべき本」を自分で探すしかないのである。

>2004.07.11.SUN


△0297 『リビング』 >重松清/小学館文庫/2004.07.07

 背表紙あらすじ:ぼくたち夫婦は引っ越し運が悪い。今回の新居は完璧、だったはずなのに・・・ディンクスの夫婦は互いにぶつかりながら、隣家とまじわりながら、共に生きることを確かめあっていく。四季折々に紡がれた連作短編『となりの花園』を縦糸に、いとおしい毎日のくらしを横糸に、カラフルに織りあげた12の物語集。

 我が家の引っ越し記念にと頂いた本なのだが奇しくも結婚記念日に読了。何となく運命を感じる本であった。全体を通して面白かったのだが、短編集というのは評価が難しく、どれもが標準以上でないとなかなか〇がつけられない。ただ、いずれにせよ非常に考えさせられる作品集であった。

 小説というのはそもそも、現実とは違う世界を楽しむためのものではないかと思っている。ミステリーでは主人公と一緒に犯人を追い、歴史小説では英傑たちに感情移入し、SFではまさに別世界を楽しむ。ところが、重松清の小説はそうはいかない。作品のテーマにもよるが、今回は特に現実の問題をさらに深く考えるきっかけを与えてくれる本であった。

 特に感じたのは主婦のアイデンティティ。『ミナナミナナヤミ』では、「ずーっとこのまま」でいることに漠然とした不安を感じる妻が、夫に離婚を切り出しているし、『一泊ふつつか』では「なーんもわかっていない」夫に妻がささやかな復讐を試みる。私自身はどちらかというと漠然とした悩みよりも具体的な悩みを抱えている方なので、「ずーっとこのまま」の不安というのはよく分からないというのが正直なところ。しかし、自分が理解できないからといって目を背けていると大変なことになるということはよく理解できた。☆ちなみに「ミナナミナナヤミ」といういのは「皆、並な、悩み」という漢字をあてるらしい。離婚寸前の夫婦がどうなったか、ラストはいかようにも読み取れる終わり方。

 今回は直接的なテーマにはなっていなかったが、親との関係も家族の問題としては挙げられる。この小説を読んでいてふと考えたのが、最近話題の年金問題。私自身が将来的にもらえる金額というのは微々たるものなのだろうが、一方で、今現在両親達が年金で暮らしていけるというのは心強い。私の次の世代になれば、親の世代の年金給付額も少ないため、子の世代が過剰な年金負担を強いられるとともに、直接両親へ仕送り、などという事態も発生するのではなかろうか。人によっては二重負担が発生するような制度では破綻が目に見えている。もう、既に破綻しているのかもしれないが、抜本的に手を打たなければ未来は暗い。

>2004.07.07.WED


△0296 『"全身漫画"家』 >江川達也/光文社新書/2002.09.20

 会社の近くの本屋で、『R25』という雑誌をもらった。「もらった」というのも、この雑誌、最近流行の無料マガジンである。しかし、特にクーポンが付いているわけでもなく、広告料だけで採算が取れるのか不安になるのだが、まぁ、私の知ったことではない。

 さて、本書の中に江川達也氏のインタビューが掲載されており、2年ほど前に読んだ本書を思い出した。出版社がどこだったかとネットで「全身漫画家」を検索すると、横山光輝さんが全身ヤケドで逝去された記事ばかり。「全身漫画家+江川」で漸く目的のサイトにたどり着いた。ちなみに正式なタイトルは『"全身漫画"家』である。筆者自身強調していたが、『"全身"漫画家』ではない。

 さて、江川氏といえば、『BE FREE』で華々しいデビューを飾った人気漫画化である。残念ながら『BE FREE』は未読であるが、『週刊少年ジャンプ』に連載されていた『まじかる☆タルるートくん』は、多少読んだことがある。この他にも『東京大学物語』や『GOLDEN BOY』など、なかなか興味深い作品を連載してきた作家である。

 その江川氏、雑誌の記事を読んで思い出したのだが、非常に「周到な」漫画家である。『まじかる☆タルるートくん』など、子供向けの他愛も無い漫画だと思って読み飛ばしていたのだが、「どうすれば売れるか」をとことん突き詰めた結果の漫画だそうで、その緻密な読者の分析にはビックリしてしまった。特に興味深かったのは、『まじかる☆タルるートくん』が「反・ドラえもん」であるということ。いつまでたってもドラえもんに頼りっぱなしののび太に愛想を尽かし、「タルるート」という魔法が使えるキャラが登場しながらも、それに頼らず自ら成長しようとする主人公を登場させているのである。

 『東京大学物語』については、漫画と言えないほどの文章の応酬で、もはや文学といってもいいくらいのものであり、江川氏の実験的な試みがヒシヒシと伝わってくる。一方で、押さえが利かなくなる性格なのか、暴走してしまうのが玉に瑕である。この辺りの「暴走具合」は先日読了した町田康にも通ずる部分かもしれない。

 「読者を知ること=マーケットを知ること」であり、マーケットのニーズにいかにマッチした作品を作っていくか。これが江川氏が目指したものである。当たり前のことかもしれないが、多くの漫画家は読者が望んでいることよりも、自分が描きたいものを優先させるであろう。もちろん、描きたいことを積み重ねて漫画家になった人が多いだろうから、それがダメだとは言わないし、そもそも漫画家というのは自分が描きたいことを描くべきなのだろう。しかし、読者が望んでいることを「ほれ」と渡してしまうような漫画家が一人くらいいても面白いと思う。いくら自分が描きたいことを描いても、売れなければ成功とは言えないし。

 マーケティングに優れた江川氏は、ビジネスマンとしても成功したのではないだろうか。現在は『日露戦争物語』を連載中とのこと。激動の日本の中に、彼は何を見たのであろうか。

>2004.07.05.MON

苗村屋読書日記 [60]

     



































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