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![]() △0315 『永遠の1/2』 佐藤正午 △0314 『祖国へ、熱き心を…東京にオリンピックを呼んだ男』 高杉良 ◎0313 『99%の誘拐』 岡嶋二人 △0312 『Aクラス人材の育成戦略』 関島康雄 △0311 『会長はなぜ自殺したか』 読売新聞社会部 △0315 『永遠の1/2』 >佐藤正午/集英社文庫/2002.03.15 背表紙あらすじ:27歳、田村宏。“失業したとたんツキがまわってきた”とはいうものの競輪の儲けで暮らす失業者…。競輪場でやけに脚のきれいな元人妻・良子と知り合うが、その頃から宏そっくりの男が街に出没、次々に奇妙な事件にまき込まれていく。青春の日の蔭りと明るさをとらえる今日的長編。すばる文学賞受賞作。 以前から、佐藤正午と村上春樹は相似していると感じていたのだが、私はずっと「軽妙な比喩表現」が似ていると感じていた。物語の各所にさらりと挿入されたスマートな比喩が、ストーリー自体をも引き締める役割を担っている様に思うのである。二人の相似について、さらに確信を深めたのが本書の解説を読んでのこと。解説者も佐藤と村上の持つ「軽さ」を共通点として挙げていた。「軽さ」というとマイナス・イメージかもしれないが、決してマイナスではなく、誉め言葉として使われている。 更に言うと、伊坂幸太郎にも「軽さ」と「軽妙な比喩表現」において、これらの二人との共通点を感じるのである。同じような下地の上に、個性的な作家たちが思い思いの絵を描いていく様を楽しめるというのは読者冥利に尽きるだろう。もちろん、佐藤と村上・伊坂を比べてどうこうするつもりはなく、それぞれの作品を楽しめればいいのだが、自分が面白いと思う作品については、ついつい共通点を探してしまうのである。 本書は佐藤正午のデビュー作ということで、後に感じる軽妙さ加減は、まださほど出ていない。むしろ「無頼」を感じさせる作品である。自分と良く似た人物を探すという行為は、いわば自分探しにも繋がるものであろう。筆者自身がはまっていたと思われる競輪を背景に描いているのも「無頼」を感じさせる一つなのかもしれない。 そういえば、佐藤正午という変わったペンネーム。市内の消防署が正午の時報代わりに鳴らすサイレンを聞いて、小説書きに取りかかるのがアマチュア時代の習慣だったので、そこから思いついたとのこと。なかなか面白い。 では最後に、「軽さ」と「無頼」の入り混じった、絶妙な冒頭を抜粋して終わりたい。「失業したとたんにツキがまわってきた。というのは、あるいは正確な言い方ではないかもしれぬが、それはそれでかまわない。第一、なにも正確に物語ることがぼくの目的ではないし、第二、たぶんこちらの方が重要なのだが、ぼくは並外れて縁起をかつぐ人間である。これはたとえば、机の上の鉛筆がひとりでに転がって床に落ちたとして、そのとき机の傾斜を調べるより先に鉛筆の芯が折れたことの方を重く見る。重く見たがる。そんな性格なのだ。だから、一年の終わりに会社を辞めて翌年の頭からつきはじめたことをいま思い返すと、何かちょっと因縁めいた文句でもつぶやきたくなる。まるで職を失った瞬間に背中で幸運が微笑んでいたかのように。まるで職を失うことと幸運との間に因果関係でもあったみたいに。もう一度つぶやこう。失業したとたんにツキがまわってきた」
△0314 『祖国へ、熱き心を…東京にオリンピックを呼んだ男』 >高杉良/講談社文庫/2001.04.03 背表紙あらすじ:”フジヤマのトビウオ” 古橋の活躍の陰に、フレッド・和田がいた。敗戦後の日本の奮闘をアメリカに印象づけ、熱き心で祖国を励ます日系実業家。オリンピックを東京で開催するために奔走し実現させた男。さらに日米の経済・文化交流を発展させた、知られざる日本の恩人を描く、異色のドキュメント・ノベル。 思い出し書評の第2弾である。岡嶋二人と並んで、高杉良も一時期凝った作家である。振りかえって見ると、読書日記を付け始める前によく読んだ作家の書評が非常に少ない。岡嶋二人は2作品、高杉良に至っては『金融腐食列島』のみである。いずれ再読して書評を書くものも出てくるだろうが、読書日記を始めるのが、1年早かったら、2年早かったら、現在の書評リストの内容は、また一味違ったものになっていただろう。 本書は、会社の先輩に高杉良好きの方がいて、お互いどれが面白いと紹介しあった際に知ったもの。私は『呪縛』を進めたように記憶している。せっかくの紹介だったのだが、個人的には今一つという感想を抱いてしまった。フレッド・和田氏は確かに素晴らしい人物であるし、混乱期の中、日系人という逆風にもめげずに自分の意志を貫き通した姿勢には頭が下がる。であるから、△という評価は単純に好みの問題であり、決して駄作というわけではない。 そもそも私が高杉良に求めるのは、限りなく実話に近いフィクションである。たまに実名小説を書いたりしているようだが、やはりどことなく遠慮している部分があるのか、フィクションの方が筆致が鋭い様に思う。『呪縛』など、その最たるものであり、タブーに近い部分まで思いきって書いている姿勢が心地よかった。ちなみに高杉良の完全なフィクションの作品は、読んでいる途中は面白いのだが、あまり後に残らない様に思う。これだけ多くの作品を書いているのだから、ある程度のムラは仕方がないのだろう。いずれにせよ、綿密な取材が必要なビジネス小説は誰にでも書けるわけではないので、今後の高杉作品には期待している。
◎0313 『99%の誘拐』 >岡嶋二人/徳間文庫/1995.12.22・1998.10.12 背表紙あらすじ:昭和51年、カメラ、OA機器メーカー・リカードの開発事業部長、生駒洋一郎が、43年に起きた息子慎吾の誘拐事件の手記を残して病死した。昭和63年、リカードの武藤社長の孫・葛原兼介が誘拐された。しかも、パソコン通信を使って!? 犯人からの要求は、十億円のダイヤの原石。そして、運搬役に指定されたのは、リカードに入社していた生駒慎吾だったのだ! 吉川英治文学新人賞受賞の傑作推理! 今回の引っ越しで、随分と蔵書を整理した。それまでもたまに古本屋に引き取ってもらったりしていたのだが、さすがに引っ越しとなると思い切った処分が出来る、というよりも思い切って処分しなければならない。そうはいいつつも、4つの本棚にまだびっしりと本が残っているので、恐らく500〜600冊くらいはあるのだろう。(妻の蔵書も含む) これらの蔵書は大きく4つに分類される。まずは書評を書き終わって、なおかつ愛蔵しておきたい◎印の本たち。次に、一度読んだのだが、書評はまだで、そのうち再読したいと思っている本たち。3つ目は未読の本たちで、いわゆる積読本。そして最後が、再読するまでもないのだが、書評は書き残しておきたいと思う本たち。改めて本棚を見渡すと、最後の分類に入る本が意外に少ないことに気付いた。未読が50冊、再読候補が200冊程度なのに比べると、書評候補は数冊である。ちなみに、再読する気にもならないものや、書評を書き終わって、恐らく再読することはないだろうと思ったような本が、古本屋へ向かうのである。 さて、本書『99%の誘拐』は書評候補No1の作品である。既に2回読んでいるので、ストーリーもしっかり覚えているし、そのうちそのうちと思いつつ、ずるずるとここまで来てしまった。面白かったからいつでも書けるだろうと思っている間に、1年近く経ってしまった。ついつい先延ばしにしてしまうのが私の悪い癖なので、ここで思いきって取り上げることにする。 誘拐を扱った作品はいくつかあるが、その中でも特に面白いのが本書であろう。被害者と加害者の関係が面白い『大誘拐』、犯人の要求内容が面白い『誘拐の果実』、我が子を誘拐された警察官のジレンマを描いた『リミット』など、個人的には少しひねった作品が好みである。本書も、そんな天邪鬼な読者を満足させてくれる凝った設定である。 随分前の作品であるし、最初のうちから犯人が特定されているので、思い切ってネタバレ書評とさせていただく。☆まず過去の被害者が加害者へと転ずる動機が面白くかつ奥深い。被害者が加害者に転ずるという設定は『大誘拐』、2つの誘拐がリンクするところなどは『誘拐の果実』にも通ずる点である。また、ハイテクを駆使した誘拐方法も面白い。さすがにインターネットや携帯電話が普及した現在では、その手法も色あせてしまっているが、それでもこれらのハイテク小道具がうまく活かして、手に汗握る展開に仕立て上げている。☆身代金の受渡方法も凝っているし、少し設定やハイテク小道具を現代風に書き直せば、緻密に練り上げられた犯罪計画とあいまって、痛快なアクション映画に仕上がるのではないだろうか。☆ 岡嶋二人の作品は、一時期、凝りに凝って読みふけった。中でもお気に入りが本書と『そして扉が閉ざされた』『クラインの壷』の3作品である。『そして扉が』の「静」に対して、本書は「動」の作品。私の中では岡嶋作品の最高傑作である。今回はなかなか時間が取れないので再読は見送ったが、◎印の蔵書として、保管しておきたい。間違えて古本へ売り払わないようにしないと…。
△0312 『Aクラス人材の育成戦略』 >関島康雄/日本経団連出版/2002.08.16 本書は日立製作所の教育機関である株式会社日立総合経営研修所の社長を務める関島氏が、日立の経営幹部に対する教育、また将来の幹部候補生に対する教育のあり方について、自らの経験をもとに述べているものである。自らCSEP(Columbia Senior Executive Program)という世界最高クラスの経営者向けプログラムに参加しているだけあって、日立製作所の抱える「人材」の問題点を鋭くしているあたりが興味深い。 特に感心したのは、自ら社員の教育を預かる立場にありながら、他社の受入を積極的に行い、更には日立で教育を受けた人たちが、会社をやめて活躍することも受け入れようとする度量の大きさである。確かに、日立に行けば魅力的な研修を受けることができ、経営者になるための大きなステップを踏むことが出来ると考える人が増えれば、優秀な人材が集まってくるであろう。どちらかというと転職には反対で、人材の囲い込みを行おうとする日本企業にあって、このような意見は貴重だと感じた次第である。 また、筆者が言いたかったもう一つの点として、自分と同じかそれ以上の能力を持つ人たちの集団の中に放り込まれた時に、それでもレギュラーを目指して努力する覚悟があるか、ということが挙げられる。ごますりや立ち回りではなく、本当の実力でリーダーになる覚悟があるかという問いである。そのためには、安定した気持ちの良い状態(Comfort Zone)から抜け出して、困難やリスクに挑戦し、不安定な心理状態や苦痛を感じる場(Stretched Zone)に身を置かねばならないと主張している。 構成としては、日本企業が抱える教育上の問題点、日立製作所が抱える問題点を述べ、これらの問題点を解決すべく、自ら実践してきた教育プログラムの概要を説明している。その中には前述のCSEPでのエピソードなども盛り込まれており、経験に裏打ちされた充実した内容となっている。 本書を読んで感じたのは「あせり」である。関島氏曰く、課長になるまでの30代中盤までに、氏が提案する200時間プログラムを履修しておく必要があるというのである。私自身はもちろんそのプログラムを受講できる立場にはないわけであるが、プログラムの項目を眺めていて、自分に足りないものの多さに愕然としたのである。 氏が提唱する経営者として必要なスキルというのは大きく分けて次の3つである。(1)自己のビジネスモデルを成功させるために必要な戦略構築力の強化、(2)戦略を実行するために必要なリーダーシップの訓練と変革をマネジメントする手法の学習、(3)ビジョン形成に必要な広い視野。実際に日立製作所ではこれらの3つに(4)経営に関する基礎的係数の理解、を加えてプログラムを構築している。 自分自身が独学で学べることもあると思うので、項目を備忘の為に列挙しておく。 ■戦略的思考
△0311 『会長はなぜ自殺したか…金融腐敗=呪縛の検証』 >読売新聞社会部/新潮文庫/2000.12.30・2004.08.15 背表紙あらすじ:証券会社による損失補填の発覚に端を発した金融不祥事の嵐は、銀行、大蔵省から政界にまで及んだ。その渦中で、第一勧業銀行の宮崎邦次元会長、新井将敬代議士をはじめ6名が自殺に追い込まれていった―。彼らを追い詰めたものは、いったい何だったのか。政・官・金融界の癒着、「総会屋」という日本独特の存在など、日本企業社会の歪みを徹底的に暴いた記念碑的ルポルタージュ。 UFJの合併騒ぎも一段落し、三菱UFJホールディングスが誕生する。最近の銀行の統廃合は激しすぎて、何が何だか分からなくなってきたので、頭の整理も兼ねて、ちょっと纏めてみた。
ノンフィクションということで、当然の事ながら実名が出てきており、『呪縛』とあいまって、どきどきしながら読み進めた。本書も再読であるが、前回は『呪縛』を読んでから時間が経っていたため、フィクションとノンフィクションとがうまくリンクせず、楽しめなかったのだが、今回は連続して読んだこともあり、相乗的に面白く感じた。両者とも未読の方は、ぜひコラボレーションで読むことをお薦めしたい。 本書には『呪縛』のモデルと推測される人々が登場する。藤森鉄雄>佐々木最高顧問、宮崎邦次>久山相談役、藤田一郎>岡田副頭取、杉田力之>中山頭取、等々。総会屋のモデルも推測可能であり、『呪縛』の世界が実話であったことを改めて思い知らされた。 銀行の方は、『呪縛』では朝日中央銀行となっているが、実際は第一勧業銀行。旧第一と旧勧銀でDとKのたすきがけ人事が行われていたのも事実のようである。また、改革を行った「四人組」については、個別には特定されていないが、企画部副部長・後藤高志、同部次長・藤原立嗣、広報部長・八星篤、同部次長・小畠晴喜の四氏が実際に立ちあがった勇士である。小説を読みながら何度も涙を流しそうになったが、このような人たちが実在するというのは、本当に勇気付けられる。 四人組の一人が同僚に語っていたという言葉を抜粋してみたい。「おとなしい行風の中で、経営に口を出せば、役員たちからやがて睨まれるかもしれないという気持ちがなかったと言えば嘘になる。しかし、『こんなひどい融資をしていたうえに、経営陣がウソばかりついている銀行なら、長く勤めていても仕方ない』と覚悟を決めた時点で、上司への気兼ねとか、役員への遠慮とか、これまでサラリーマンとして自分をしばってきたものが、一気に吹き飛んでしまった。うちの銀行が、小池への融資をおれほど膨らませてしまったのは、巨大な組織の中で、上司の顔色しかうかがわない小心なサラリーマンばかりが重役の椅子に座っていたからだ。そう考えたら、銀行が明日にも潰れるかもしれないというような混乱の中で、自分が正しいと思うことを主張していくしかなかった。それは、何もわれわれだけじゃなく、若手の行員たちの誰もが思っていたことなんじゃないかな」 ここで気になったのだが、この四氏の行く末である。銀行の為を思って改革に乗り出した人たちが、干されてしまっていては、あまりにも夢がなさ過ぎる。少し野次馬根性も混ざっているかもしれないが、各氏の名前でWEB検索してみたところ、後藤高志氏がみずほコーポレート銀行の代表取締役・取締役副頭取に就任しているのを始め、(2004.06.25現在)、各氏ともご健在のようである。中でも驚いたのが、小畠晴喜氏のその後。江上剛というペンネームで『非情銀行』などの小説を書いているそうで、これには吃驚してしまった。 久山相談役のモデルとなった、宮崎邦次氏については、多くのページが割かれていた。佐賀県の出身ということで、「武士道とは死ぬことと見つけたり=いざという時には死をもって責任を取れ」という、「葉隠」の思想を実行したのではないかと推測してある。小説の方では、呪縛に縛られながらも、銀行や部下のことを思いながら死んで良く様が、随分と美化して書かれていたが、実際の宮崎氏も清廉潔白な人柄だった様である。その真面目さが災いして上司の意向を拒むことができず、呪縛から逃れられなかったのであろう。 岡田副頭取の失言や代表取締役の総辞職など、小説を読んでいて面白く感じたエピソードが実話だったりして、非常に興味深かった。高杉良は、実話を少しアレンジして小説にしただけだという穿った見方も出来るが、小説としてこの物語を世に送り出した功績は素直に評価したい。少しずつ回復基調にある日本経済だが、こういった過去の轍を二度と踏まぬよう、まっとうな闘いで、世界に伍して行きたいものである。 苗村屋読書日記 [63]
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