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![]() ◎0345 『砦なき者』 野沢尚 ○0344 『魔笛』 野沢尚 △0343 『黒革の手帖』 松本清張 △0342 『マッキンゼー流図解の技術』 ジーン・ゼラズニー △0341 『価格破壊』 城山三郎 ◎0345 『砦なき者』 >野沢尚/講談社文庫/2004.10.24 背表紙あらすじ:報道番組『ナイン・トゥ・テン』に売春の元締めとして登場した女子高生が全裸で首を吊った。恋人を番組に殺されたと訴える青年八尋樹一郎の姿は、ライバル局の視聴率を跳ね上げた。メディアが生んだ一人のカリスマ。その邪悪な正体に気づいたのは、砦を追われたテレビマン達だった。『破線のマリス』を超える衝撃! 先日の『魔笛』に引き続き、野沢作品を読了。『魔笛』もよかったが、本書はさらに秀逸であった。『破線のマリス』の続編ということだが、前作を知らなくても充分に楽しめる作品。かく言う私も、前作(破線のマリス)が野沢尚にしては今ひとつと感じていたこともあり、あまり記憶に無い。解説に書いてあったことだが、本書に時々登場する遠藤瑤子という女性が、前作の主人公で、本書の主人公である赤松を振り回していたらしい。うっすらと記憶に残っている気もするのだが、思い出せない。まぁ再読までする必要はないであろう。 本書は、まず構成がいい。1997年から2001年までを時系列に追った4章立てなのだが、1・2章の最終部分に第3章への伏線が張られており、期待が膨らむ。わざとゴシックの太字で書かれており、みえみえの伏線なのだが、ついつい釣り込まれてしまうのは、やはり野沢氏の筆力か。ここでは、あえて1・2章を割愛して、第3章に的を絞った感想を書いてみたい。
☆第3章に登場するのは八尋という青年である。このヒール役の青年のキャラクター造詣も秀逸である。八尋青年はのっけから胡散臭いのだが、本書は犯人探しのミステリーではなく、八尋の犯罪をどうやって立証していくかという描き方をしている。このあたりは、『古畑任三郎』的な要素を含んでいて面白い。女子高生の死をきっかけに一気にマスコミのスターダムにのし上がった八尋青年を、警察ではなくテレビ局の遊軍が追いつめる。一方、八尋はファンを利用して犯罪の隠蔽を図ろうとする。テレビが作り上げたカリスマが、一種の宗教のように、あるいは麻薬のように作用し、なんともいえない恐怖感をあおる部分である。
赤坂の戦友ともいえる長坂が死ぬ辺りから恐怖感は一層募ってくる。完全犯罪に近い形で、次々に殺人を犯していく様は、『魔笛』や『白夜行』の主人公に通ずるものを感じる。こういった完全犯罪の犯人は、結局「死」というラストで、自分の犯罪を完全にして物語を完結させるのだろうか。 話は変わるが、テレビ視聴というのは不思議な仕組みである。テレビとアンテナさえあれば、無料で視聴できるのである。しかし、無料無料と思っていても、テレビ番組というのは大部分が企業の広告収入から成っており、企業の広告料はというと、我々消費者が物品の対価として支払っている中に含まれているのである。まるで消費税のように間接的に視聴料を払っているのではないかと思い、妙な気分になってしまった。 一方、唯一の有料テレビ番組であるNHK。最近の海老沢会長のスキャンダルなどで地に落ちた感もあるが、やはり民放ではできないテーマの選び方もしており、全否定はできない。しかし、最近はスポンサーとなる企業も、エンターテインメント的要素だけでなく、アカデミックな番組を要求していたりするので、個人的には民営化すべきではないかと思う。国有の新聞社というのはなく、唯一国が持っているマスメディアとなるわけだが、やはり国民への影響力を考えると手放せないものなのだろうか。郵政よりも先に民営化しても良いと思うのは暴論だろうか? 話が随分それてしまったが、作中には野沢氏のマスメディアに対する持論めいたものが出てくる。例えば、「自分の見たいものだけを、見ればいい。顔も見たことのない視聴者に媚びを売って、彼らの"最大公約数的"な要望になんか応える必要はない」とか「真の報道には2つのF、つまり"FOR WHOM"と"FOR WHAT"が必要なのだ。誰のための報道なのか、何のための報道なのか、この明確な意思によって結果的に客観報道を大きく踏み外すことになっても構わない。無数にある真実から一人のマスコミ人の強烈な意志でたった一つを選び出すことが肝心なのだ。2つのFとはすなわち、想像力と勇気なのだ」とか。 一見、危ない理論のようにも聞こえるが、これぞ野沢氏がテレビドラマと言うマスを通じて訴えたかったものなのかもしれない。最後には野沢氏自身が、視聴者を相手にマスコミ側でありながら、マスコミに対する警鐘を鳴らすという完全犯罪をもくろみ、自らの「死」によって物語を終結させてしまった。彼が得た答えをもう少し深く知ってみたかったのだが…。
○0344 『魔笛』 >野沢尚/講談社文庫/2004.10.23 背表紙あらすじ:白昼、渋谷のスクランブル交差点で爆弾テロ! 2千個の鋼鉄球が一瞬のうちに多くの人生を奪った。新興宗教の教祖に死刑判決が下された直後だった。妻が獄中にいる複雑な事情を抱えた刑事鳴尾良輔は実行犯の照屋礼子を突きとめるが、彼女はかつて公安が教団に送り込んだ人物だった。迫真の野沢サスペンス。 言わずと知れたオウム真理教を題材にした作品である。公安のスパイとして教団にもぐりこんだ女性がテロを起こす…そんな刺激的な展開。テロで使用した爆弾に自分の存在を示すヒントを紛れ込ませ、それに気づいた主人公の鳴尾と知恵比べのゲームを始める照屋礼子。鳴尾の推理の過程には、獄中の妻の助けもあったのだが、この複雑な設定を無理なく読ませる辺りが野沢氏の真骨頂であろう。ヘタな作家では混乱するばかりで面白さを感じられないと思う。 大量の爆薬を抱えながら、ヒントとなる足跡を残しつつ逃走する照屋。追いかける鳴尾刑事。この追いかけっこやラストシーンの緊迫感は映画を見ているようであり、さすが映像の世界でも生きてきた野沢氏だと喝采を送りたい。後半になってやっと「魔笛」というタイトルの意味も判明してくるのだが、最初はとっつきにくかったタイトルも、なるほどと思わせるものであった。☆しかし、カルト教団とはいえ、このような言葉をキーにした洗脳が加納なのだろうか? 「駅が見えてきたか」という言葉は非常に印象的だった。そういえば、沖縄にもモノレールが出来てしまったが…。☆ ヒロイン、と呼んでいいのか分からないが、照屋礼子のキャラクターが秀逸である。警官の身でありながら潜入先の教団に心酔し、いや心酔したと言うよりも彼女自身が教祖にもなれる資質を持っており、自分の中の「悪意」を何かにぶつけたくてもがいている。☆テレビを利用したおとり作戦には、野沢氏お得意のマスコミ操作術が盛り込まれているし、沖縄での完全犯罪などは、『白夜行』の「表に出ない悪人」を彷彿とさせる。ヒントの足跡としてビーズを爆弾に混入させる辺りは、変質的であり、粘着的であり、このような一見細かな小道具が、人物造詣に大きく役立っているのは流石だなあと感心。☆発売当初はあまり評判が良くなかったとのことだが、非常に面白く一気に読了した。 話は変わるが、最近、野沢氏の逝去を偲んでだろうか、著書が続々と文庫化されている。ファンとしては嬉しい反面、こうして未読の本が1冊ずつ減っていくのは寂しい限り。もう新作はでないんだなぁ…。
△0343 『黒革の手帖』 >松本清張/新潮文庫/2002.07.07 背表紙あらすじ:【上巻】7500万円の横領金を資本に、銀座のママに転身したベテラン女子行員、原口元子。店のホステス波子のパトロンである産婦人科病院長楢林に目をつけた元子は、元愛人の婦長を抱き込んで隠し預金を調べ上げ、5000万円を出させるのに成功する。次に彼女は、医大専門予備校の理事長橋田を利用するため、その誘いに応じるが…。夜の紳士たちを獲物に、彼女の欲望はさらにひろがってゆく。 【下巻】元子を恨む波子は楢林と別れ、大物総会屋をパトロンにクラブを開く。政治家秘書の安島を通じ、偉大の裏口入学者リストを手中にした元子は、橋田をおどし、一流クラブ、ルダン買取りの仮契約を結ぶ。しかし、橋田、安島らの仕組んだ罠が元子を待ち受ける。安島との一夜で妊娠の不安に怯える元子の前には黒服の男たちが…。夜の世界に生きる女の野望を描くサスペンス長編。 テレビ朝日の開局45周年記念として、米倉涼子主演でテレビドラマ化されるらしい。最近は、開局記念とやらで、過去のドラマのリメイクが目立つが、どうして最近の作家の名作や、まだドラマ化されていないものに取り組まないのか不思議。ヘタな原作で視聴率が取れないのを怖れているのだろうか? テレビはほとんど見ない私だが、ドラマ化を知るきっかけとなったのは、週刊文春での米倉涼子のインタビュー記事。そういえば、原作を以前読んだことがあるなと、思い出した次第。この本の感想は書いておきたいという思い出し書評も一段落したつもりだったが、記憶とは不思議なもので、ひょんなきっかけで呼び戻される。 作品を読む前は、タイトルから警察手帳をイメージしており、刑事の克明な捜査記録を綴った作品だろうかと期待していたのだが、またしても予想を裏切られた。「黒革の手帖」とは主人公・原口元子のネタ帳のこと。何度も書いているが、松本清張のタイトルは分かりにくい。本書など実際に黒革の手帖が出てくるだけマシな方だろうか。ちなみに、amazonで「黒革の手帳」で検索してもヒットしない。時期が時期だけに、2005年版の手帳がズラズラと出てきた。なんだかなぁ。 内容・コンセプトは『わるいやつら』に似ているように感じた。悪事を企む主人公が、いつの間にか逆に罠に嵌められていく。最初のうちはとんとん拍子で上手くいき、最後に奈落の底に叩き落される…。そんなギャップを楽しませようとしているのだろうが、『わるいやつら』と主人公が入れ替わっただけのように感じてしまう。もう一ひねりあれば面白かったのにと思うのだが…。
△0342 『マッキンゼー流図解の技術』 >ジーン・ゼラズニー(著)、 数江良一・管野誠二・大崎朋子(訳)/東洋経済新報社/2004.10.19 日経ビジネスで取り上げられていたのを見て、衝動買いしてしまった。パワーポイントなどは、さほど苦手ではないのだが、図表に対する評価というものは、聞き手の好き嫌いによって左右されてしまうのでなかなか難しい。せっかく作った図表に上司がアレコレ口を出すというのはよくある光景では無いだろうか。こういった状況に、理論武装で対抗する為には最適の本である。 まず、一番印象に残っているのが、「チャートは少なければ少ないほどよい」と宣言している部分。「図解の技術」と謳っておきながら、図はいらないというのが大胆で面白い。ちなみにここでいうチャートは「図表」であり「グラフ」のことである。では、重要なポイントを抜粋してみたい。 ■共通項目
△0341 『価格破壊』 >城山三郎/角川文庫 /2000.04.15 背表紙あらすじ:戦中派の矢口は激しい生命の燃焼を求めてサラリーマンを廃業、安売りの薬局を始めた。メーカーは安売りをやめさせようと執拗に圧力を加えるが、それに打ち勝ち事業活動を大きく拡げる。 産業再生機構の支援要請を漸く決定したダイエー。多角化を進めすぎて、結局自分の首を締めてしまった好例であろう。最近は、創業者の暴走による企業破綻が目立つ様に感じる。例えば、西武鉄道の有価証券報告書虚偽記載。堤オーナーが細かいところまで把握していたとは思わないが、そもそもわざわざコクドという会社を通じて株式保有しようとするのがおかしい。支配権を維持しておきたいのなら、そもそも上場などする必要ないのである。また、再生機構を使うだの、トヨタの支援を受けるだのと騒がれているミサワホーム。創業者の三沢千代治名誉会長がトヨタに対して出資するのは得策でないという手紙を送ったとか…。こちらも多角化路線の失敗であり、老害も甚だしい。 なぜ、こんなことを書いたかというと、本書はダイエーの創業者・中内功をモデルにした小説だからである。作中では、主人公の名前が矢口ということもあり、途中まで中内氏がモデルだとは気付かなかったのだが、よくよく考えると思い当たる箇所が沢山ある。主人公・矢口は薬の安売りから事業を起こし、そこからスーパーというビジネスモデルを日本に定着させていく。安売り薬局時代には、メーカーからの強い圧力などもあったのだが、それに屈することなく勝ちぬいていく姿は、古き良き時代の、典型的な猛烈経営者といえるだろう。 初心忘るべからずとはよくいったもので、中内氏がこの苦しい時代のことを胸に刻みつつ、経営を続けていたなら、今のダイエーの衰退はなかったのではないだろうか? ダイエーを日本一のスーパーに育て上げたという自負が、経営判断を誤らせたのだと思う。ダイエーという企業は、急激に不信に陥ったのではなく、成長過程における戦略の誤りが、徐々に現れてきただけだと思うのである。創業時には「主婦の店・ダイエー」として設立されたのだが、果たして最近のダイエーは主婦、つまり消費者を、真剣に見据えていたのだろうか。球団経営も価値あることだが、本業が疎かになってしまっては元も子もない。
苗村屋読書日記 [69]
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