◎0365 『白夜行』 東野圭吾
△0364 『陽気なギャングが地球を回す』 伊坂幸太郎
△0363 『新選組血風録』 司馬遼太郎
△0362 『ダークムーン』 馳星周
×0361 『速く、正確に打てる 簿記合格のための電卓操作入門』 葵会計事務所


◎0365 『白夜行』 >東野圭吾/集英社文庫/2002.05.25・2004.12.16

 背表紙あらすじ:1973年、大阪の廃墟ビルで一人の質屋が殺された。容疑者は次々に浮かぶが、結局、事件は迷宮入りする。被害者の息子・桐原亮司と、「容疑者」の娘・西本雪穂―暗い眼をした少年と、並外れて美しい少女は、その後、全く別々の道を歩んで行く。二人の周囲に見え隠れする、幾つもの恐るべき犯罪。だが、何も「証拠」はない。そして19年…。息詰まる精緻な構成と、叙事詩的スケール。心を失った人間の悲劇を描く、傑作ミステリー長篇。

 「太陽なんかなかった。いつも夜」 通常、文庫本についている帯は、邪魔なのですぐに捨ててしまうのだが、この強烈なインパクトのある帯は捨てることが出来なかった。本書は恐ろしい小説である。決して後味はよくなく、むしろ不快感さえ感じる物語。解説で馳星周が「ノワール」と表現しているが、まさに「ノワール=暗黒小説」といってよい内容であろう。

 初読は2年前。その時の印象が忘れられず、今でも細部に渡って記憶している。結末すら忘れてしまっている小説が多い中、私にとっては珍しいことであり、1章読み進むごとに、そうだったと思い返すこと頻り。前回は気付かなかった伏線にも気付いたりして、別の楽しみ方が出来た様な気もするが、ラストを鮮明に覚えているだけに、特に後半は読み進めるのが辛くなってしまう半面もあった。

 主人公は2人。桐原亮司と唐沢(西本)雪穂である。表面上の接点は全くないのだが、細かなところでその結びつきが見え隠れする。例えば、雪穂が作ったパッチワーク。例えば、雪穂が出店する「R&Y」という店。  冒頭に紹介した「太陽なんかなかった。いつも夜」というコピーは、初読の時は気付かなかったのだが、雪穂の言葉である。強烈な幼児体験を持ち、その傷が結果として心にずっと影を落とし続けた…。ラストに向けてこの雪穂の言葉の裏に隠された幼児期の悲劇が徐々に明らかになっていく。本書は当初、雑誌に連載していたというが、果たしてラストを想定しながら書き進めていたのか、それとも書き進めていくうちにキャラクターが膨らんであのようなラストになったのか? いずれにせよ、これほどまでの物語を間然とすることなく語り終えることが出来たのは、亮司と雪穂という2人のキャラクター作りが秀逸だったからに他ならないであろう。

 これも解説で馳が述べていることだが、本書ではこの2人の主人公の内面が一切描写されていないのである。淡々と事実を積み上げることによって、読者は2人の生立ちを知らされ、悪事を働く2人ながら、共感していくことになる。唯一心情を語っているのが、雪穂の「太陽なんかなかった」というセリフと、義理の娘が暴漢に襲われた時「今のあなたはあの時のあたし」と呟くシーンくらいだろうか。

 主人公2人を追う笹垣という老刑事も印象的。2人を「テッポウエビ」と「ハゼ」に例えて「相利共生」という言葉で2人の関係を表現している。いったいどこからこんな言葉が飛び出してくるのかと、東野圭吾の頭の中を覗いて見たくなってしまう。

 事件の推移を描く中に、水俣病やオイルショックといった実際の世情を加えているのも面白い。時間の流れがよく分かるし、なによりもリアリティが増している。事件の発端となる1973年というのはちょうど私が生まれた頃。また、作者と主人公はほぼ同年代ということになる。私とは若干の年齢の開きはあるが、当時の流行の移り変わりなどを感じながらノスタルジックな感傷にも浸れる作品である。私の中では、東野作品の最高傑作。これを越える小説をこれからも書き続けてもらいたいものである。

>2004.12.16.THU


△0364 『陽気なギャングが地球を回す』 >伊坂幸太郎/ノン・ノベル/2004.12.14

 4人の特殊能力を持つ仲間たちが銀行強盗を行う話。しかし、銀行強盗のシーンは最初の方だけで、後半は別のストーリーへと展開していく。せっかく奪った金を、逃走中に「たまたま」ぶつかった現金輸送車の強盗犯に奪われてしまうシーンはちょっと出来過ぎのように感じたのだが、後々これも伏線だと判明し「またしても、伊坂に一本取られた」という感想を抱いた。

 作者自身「軽妙な」小説を書いてみたかったというのは、あとがきを読めば分かるのだが、少々「軽妙」に過ぎたのが残念。伏線の張り方などは相変わらず見事だが、今回は他の作品に比べてみえみえだったのも減点要因。収まるべきところに収まったという、ジグソーパズルを完成させたような読後感だが、もう一ひねり欲しかった。

 伊坂小説の最大の魅力は、なんと言っても「伏線」であろう。勝手に「伏線小説」と名付けてしまいたいほどである。風変わりな『オーデュボンの祈り』にしても、名作『重力ピエロ』にしても、それぞれ作風は違うのだが、見事な伏線を張り巡らせているという点で共通している。そういった意味では、今回の「外から開けられないドアのついた車」だの「警察による銀行強盗の対策訓練」だのは、この作者にしてはお粗末な伏線かもしれない。ラスト近くで、ヤクザを二重三重に欺くシーンはさすがだが、先に述べた強盗対策訓練などは、どこかで聞いたことのあるような話でもある。

 本書がはじめての伊坂作品であれば、十分楽しめただろうし、伏線にも満足いったかもしれない。しかし、他の名作を読んでしまった今となっては物足りなかった。前評判が高かっただけに残念だが、相対評価で△である。

>2004.12.14.TUE


△0363 『新選組血風録』 >司馬遼太郎/角川文庫/1996.09.13・2004.12.12

 背表紙あらすじ:勤皇か佐幕か、血なまぐさい抗争に明け暮れる維新前夜の京都に、その治安維持を任務として組織された剣客集団、新選組。名刀の真贋を軸に近藤勇の不敗神話を描く「虎徹」、赤穂浪士討ち入り以来の屈折した心情に迫る「池田屋異聞」、悲恋に涙する剣士の素顔を綴る「沖田総司の恋」など、「誠」の旗印に参集した男たちの内面を通して、歴史小説の第一人者がその実像を浮き彫りにする。

 再読にもかかわらず、まったく内容を覚えていない本であった。新選組のことは『燃えよ剣』で初めて知ったように記憶していたが、記録を見るとこちらの『血風録』の方を先に読んでいる。当時は暗殺集団の新選組のことがあまり好きではなく、司馬遼の作品だからと読み始めたものの、登場人物などにも馴染みがなくて、興味をひかなかったのだろう。

 今回の再読では、大河ドラマの『新選組!』のキャラクターをついつい頭に浮かべながらの読書となってしまったが、その分、前回とは全く違う楽しみ方ができたように思う。本書にはドラマでも取り上げられていないような脇役が沢山出てくるのだが、それらの脇役との対比させて永倉新八や原田左之助といった主要メンバーも登場し、三谷幸喜は相当本書を読み込んだに違いないと思うほど、本書のキャラクターとドラマのキャラクターがかぶっていて面白かった。

 例えば永倉新八が組織内部の派閥争いには全く興味のない人物だったとか、原田左之助がちょっと抜けたところのある頑固一徹ものだとか。特にに面白かったのは井上源三郎のキャラクター。ドラマでも小林隆が「いい人」を演じていたが、本書でも多摩からの仲間で近藤たちとは強い信頼関係で結ばれていたということや、剣術よりもその人柄で皆から慕われていたことが描写されている。余談だが、この小林隆という俳優、ちょっと煩わしくて鬱陶しいキャラを演じることが多く、役柄だとは知りつつもあまり好きな俳優ではなかったのだが、今回の源さん役で一気に気に入ってしまった。間の取り方など舞台俳優ならではの演技で、目立たないながらもドラマを引き締めていた様に思う。

 さて、実を言うと、今回本書は大河ドラマの最終回にリンクする様、タイミングを計りながら読了したのである。私にとって大河ドラマを1年間、1度も欠かすことなく見たというのは初めての経験であり、本当にこの1年、楽しませてもらった。一部には、史実と違いすぎるという苦情があるようだが、もともと脚本家というのは原作があっても、それを大きく書き換えてしまう職業である。今回は「史実」という原作に脚色を加えたフィクションだと思って、割りきって楽しめばよいと思う。というわけで、本書にあわせてドラマの感想も書きたいと思っての読書となった。

 先ほども書いた通り、ドラマで全体像が見えていたため、ドラマのシーンと比較しながら楽しむことが出来たのだが、初めて新選組に触れる人にはちょっと難しい本かもしれない。というのも、時系列がバラバラで、筆者が気に入ったエピソードを時間や人物に関係なく散りばめているからである。新選組ができた当初の話をしているかと思えば、伊東甲子太郎が加わった全盛期の頃の話もあり、いわば「応用編」ともいえる構成である。このあたりが初読の時に印象に残らなかった原因かもしれない。

 本書の中では『虎徹』という短編が面白い。近藤の愛刀にまつわる物語なのだが、結局、剣というのは名前ではなく、切れるか切れないか。多分に、司馬遼の創作的な話に思えるのだが、司馬遼が書くと実話の様に感じてしまうから面白い。その他『油小路の決闘』『芹沢鴨の暗殺』など、仲間内での誅殺のシーンを描いたものも多い。これらの場面では、近藤や土方の冷徹な性格を淡々と描写してもいる。

 一方、ドラマの方は近藤や土方を正義漢に仕立て過ぎた感がある。幕府の為という大義名分に則るのはよいのだが、近藤の冷徹な部分をもう少し描いても面白かっただろう。香取慎吾という役者であれば、そんな複雑な役柄でも演じきれたのではないだろうかと、少し残念である。また、このような「正義」を描くために、ストーリーに随分無理が生じていたのも確か。正直に言うと、山南敬介が死んだ後はあまり面白いと思えるシーンがなく、『大河な日日』の時に心配していたことが的中してしまった。そうは言うものの最終回はさすがに圧巻。山南敬介が切腹する回でも号泣したが、今回もじわじわと込み上げてくる涙が止められなかった。近藤を慕う友人たちが何とか近藤を助けようとするシーンには胸を打たれた。

 確信犯的にドラマ中心の感想にしてしまったのだが、新選組の歴史がある程度頭に入っている人にはお薦めの一冊。新選組のことはあまり知らない、という人は最初に『燃えよ剣』を読んだほうがよいであろう。他の本では歴史の表舞台に出てこないような人物を丁寧に拾い上げた司馬遼太郎の力作である。

>2004.12.12.SUN


△0362 『ダークムーン』 >馳星周/集英社文庫/2004.12.11

 背表紙あらすじ:【上巻】1997年、カナダ西海岸・ヴァンクーヴァー。中国への返還目前の香港から押し寄せる移民たち。そして黒社会。おりしも頻発するヘロイン強奪事件に華人マフィア同士の緊張が高まり、街には不穏な空気が流れていた。そのさなか香港黒社会の大ボスの愛娘・李少芳が行方をくらませた。探索を命じられた男・富永脩は一人、ヴァンクーヴァーに降り立つ。欲望と憎しみの悲劇の幕は上がった。 【下巻】エリート捜査官・ハロルド加藤はおのれの犯した罪におののく。悪徳警官・呉達龍は血にまみれた金を求めてあがく。香港黒社会の狗・富永脩の心の中では覗き見野郎が叫びつづける。絡まりあった謎を追って、ヴァンクーヴァーの明けない夜を男たちが駆け抜ける。それぞれに暗い欲望を抱き、恐怖と憎悪に突き動かされて。果たして生き残るのは誰か? 魂をえぐる暗黒巨編、怒濤のクライマックス。

 プロットはよく練られていると思う。意外な人物の意外な過去が徐々に暴かれていく様は圧巻。しかし、3人の主人公のそれぞれがなんだかせこくて卑小な感じがして、感情移入できなかったのが残念。3人の視点で描こうとして、視点がころころ入れ替わったのも感情移入できない一因かもしれない。

 呉達龍(ン・ダツロン)はヴァンクーヴァー市警凶悪犯課の悪徳警官。広東人。ある事件をきっかけに人を殺すことに快感を覚え始める。粗野でずる賢くとても感情移入できない。

 ハロルド加藤(ハリィ)はCLEUの対アジア系組織犯罪班の刑事。日系カナダ人。加藤明という実業家の父を持ち、キャスィという政治家の娘と婚約する。出世への階段を上り詰めようとする途中でゲイに目覚めてしまい、それを隠蔽しようと犯罪に手を染めていく…。うわべだけの、臆病者で彼にも感情移入しにくい。

 富永修(サム)は元警官の日本人。ヤクザの女に手を出し、日本にいられなくなり香港に逃げた男。そこで香港黒社会の大物・李耀明の部下となる。ヴァンクーヴァーへは耀明の娘を探しにやってきた。3人の中では多少まともかと思っていたが、心の中に住む「覗き見野郎」に支配され、やがて破滅への道を辿っていく。

 結局、彼ら3人が耀明の娘と彼女をさらった謎の男・ミッシェルを追いつつ、白粉(ヘロイン)と金をめぐって駆け引きしあう物語なのだが、とにかく長すぎるのが欠点。何とか最後まで読みきったが、プロットは面白いのだから、不要なエピソードを削って短くした方がよかったであろう。下巻に入ると、ミッシェルの出生の謎や加藤明の過去など、興味深い内容に引きずり込まれたが、馳星周の力量をもってすれば、もっとコンパクトで、スピード感溢れる作品に仕上がったのではないだろうか。

 さて、本書は主人公がアジア人ながら、舞台はカナダのヴァンクーヴァーである。東野圭吾が解説に書いている通り、日本における台湾人といったマイノリティでなく、白人社会における黄色人種という視点で書かれているのが面白い。余談だが、解説を書いている東野と馳は飲み仲間らしく、解説の最後で東野が銀座の馬鹿高い店で馳に奢らせようとしている。一方『白夜行』の解説は馳によるもので、こちらでは馳が東野に奢らせようとしている。作家の私生活が垣間見える面白いエピソードだと感じた次第。

>2004.12.11.SAT


×0361 『速く、正確に打てる 簿記合格のための電卓操作入門 』 >葵会計事務所/日本能率協会マネジメントセンター/2004.12.10

 電卓には結構こだわりを持っている。経理という仕事柄、必須アイテムであり、電卓の使い勝手によって、能率が随分違ってくるのである。ほんの些細なこと、例えばボタンの位置が使いづらくて0.1秒のロスが生じるというようなことであっても、毎日使うものなので、1年間積み重なると相当なロスになるのではないだろうか?(試算したわけではないが…) このような考え方は、生産現場の合理化には不可欠なものであるにもかかわらず、いわゆる管理部門や事務方の中ではあまり意識されていないように思う。ホワイトカラーの生産性という言葉をよく耳にするが、それこそ、経理部に配属されたら一週間は電卓のブラインドタッチをマスターする、という教育は効果的なように思うのだが、どうだろうか。

 さて、本書は日経新聞の一面の広告に載っていたので、早速本屋へ買いに行ったもの。広告には「簿記初心者必携!あと10点落とさない、電卓操作の攻略法」とあったのだが、実際手にとって見ると、そうたいしたものでもない。結局パラパラと立ち読みしただけで買わずに帰ってしまった。というのも、ある程度知っているテクニックばかりであった為。電卓のマニュアルなどあまり読む人がいないのかもしれないが、薄っぺらいマニュアルに書いてあることがほとんどである。せっかくなので、その一部を紹介したい。なお、私が使用しているのはCASIOの電卓なので、他の電卓には無い機能も含まれているもしれない。あしからず。

  • 連続して掛け算をする場合。例えば一月あたりの数値を年間数値に変換するような場合、毎回「12」を掛けなければならない。このとき 60x12=、50x12=、80x12=、といちいち計算するのではなく、
     12 x x 60 =、50=、80=
    と入力すれば、「12」を一度入力するだけでよい。「x」を2回押すのがポイント。

  • 掛け算と同じく、割り算にも応用が可能。60÷12、90÷12、48÷12、という計算の場合、先に「12」を入力し、
     12 ÷ ÷ 60=、90=、48=
    と入力すればよい。

  • メモリーキーの使い方。メモリーキーを使用すれば、カッコ付きの計算が可能になる。例えば、(4x8) + (5x2) = という計算の場合、電卓で順番に、4x8+5x2= と打つと、「72」という答えが返ってきてしまう。カッコの中を先に計算する為、正解は「42」 これを電卓で計算する為には、
     4x8 [M+] 5x2 [M+] [MR]
    と叩けばよい。メモリーキーとは、その時点で画面に表示されている数値を記憶するもので、積み重ねていくことも可能。ちなみに、(4x8) - (5x2) = の場合は、
     4x8 [M+] 5x2 [M-] [MR]
 覚えてしまえば、簡単なテクニックだが、知っているのと知らないのでは大きな違いがあるのではないだろうか。とくに、カッコ付きの計算など、知らなければ、いちいちカッコ内の計算結果を紙に書き出さなければならない。最近は、エクセルが普及して、複雑な計算も簡単になったが、エクセルの計算式は便利なようで、ちょっとした式の間違いやセルの選択間違いなども起こりやすい。ビジネスで使用する数値については、一見無駄なようだが、エクセルと電卓の相互チェックを行なうべきである。

 さて、テクニックも大事だが機種にもこだわりたいのが電卓。キーの配列、キー・タッチの感触など、こだわりたい一品である。まず、メーカーはカシオでなくてはいけない。というのも、入社当初に配布された電卓がカシオ製だった為。他のメーカーに乗り換えようにも、キーの配列に慣れてしまい、変えられない状態。電卓というのは、数字の部分、いわゆるテン・キーの配列は万国共通なのかもしれないが、それ以外の「C」や「+」「−」などは、メーカーによって様々である。ほとんどブラインドタッチで打っているので、微妙にキーの位置が変わっただけでも、能率がガタ落ちである。こんなもの、世界共通にすればいいのにと思うのだが、もしかしたらユーザーを囲い込む為のメーカーの陰謀かもしれない。

 そのカシオの電卓なのだが、現在使っているのは「JS-20LA」というタイプのもの。1年位前に、会社での仕事用と家での勉強用に同じものが欲しかったので、2台まとめて買ってしまった。「公認会計士御用達」などという宣伝文句が書かれていたのだが、確かにシンプルで使いやすい。最近は検算機能や時間計算機能など、いろいろと余計な機能が付属しているが、シンプル・イズ・ベストである。

 お気に入りの「JS-20LA」であるが、最近、文房具屋などへ行っても見かけない。カシオのホームページを覗いて見ても、見当たらない。もしや製作中止かと思い、カシオお客様相談室へメールで問い合わせてみた。(我ながら暇) 日曜の夜にメールしたにもかかわらず、月曜の夜には回答が来ているではないか。「やるな!カシオ」とますますファンになってしまった。本社のホームページには出ていなくても、生産拠点が変わったとか、別会社で販売しているとかを期待していたのだが、あいにく生産終了とのこと。シンプルで使いやすく、非常に気に入っていたのでショックである。2台買っておいてよかった。

 さて、この電卓には「00」という、ゼロが二つ入力できるキーがついているのだが、皆さんはどの程度旨く活用しているのだろうか? 会社で実務をやっていると、数字を3桁の単位で捉えることが多い。カンマも3桁毎に打つし、カンマが2つあれば百万円、3つあれば十億円と頭が反応する。つまり桁数の多い数字に関しては、3桁をひとかたまりとして捉えるのである。これを踏まえて「00」ではなく、「000」を標準装備として欲しいのだが、CASIOの方が、この文章を読んでくれないだろうか?

 まぁ読んでくれないだろうと思い、カシオにメールを出したついでに、「000」(スリーゼロキーというらしい) を提案しておいた。これに関しても、「製品開発の参考として役立たせて頂きたく」とのこと。社交辞令でもちょっと嬉しい。町の文房具屋でゼロが3つ並んでいる電卓を見かけたら、私の意見が取り入れられたと思ってください。

   現在は、左手でのブラインドタッチを練習中。計算結果の数字を書きこんだり、検算結果をマーカーしたり、すべてを右手でこなそうとすると、なかなか不便。その点、左手に計算機、右手にペンという二刀流は最強ではないだろうか。そういえば、簿記の試験を受けに行った際、後ろの席の人がマシンガンのようなスピードで電卓を叩いていた。試験開始前からデモンストレーションのように、左手でのブラインドタッチを見せ付けて、周りにプレッシャーを与えていた。しかも、やたらとデカイ電卓でうるさいことこの上ない。試験中も気が散って仕方がなかったのだが、試験結果の発表を見ると、私の次の番号は見当たらなかった。性格悪いかもしれないが、ざまぁ見ろと思ってしまった。電卓のスピードアップよりも、頭の中身を充実させなければいけない。手段と目的を取り違えるなという教訓。

 さて、10/22の日経産業新聞の一面にカシオの小型計算機「カシオミニ」に関する記事が出ていた。1967年当時は、電卓というとレジぐらいの大きさで、価格は30万円。大卒初任給の6倍というから超高級品である。今のパソコンよりも高いではないか。そんな中で、てのひらサイズで1万円を切る価格帯を目指したというから、その苦労は並大抵ではなかっただろう。自ら半導体を設計したり、表示装置のコストダウンのために8桁表示から6桁表示に変更したり。今や必需品となった電卓だが、その開発過程の記事を読むことが出来て、なんとなく嬉しかった。

 しかし、6桁では仕事がしにくかっただろう。私は会社の数値を計算する為に、12桁の電卓を使用しているが、先輩の中には8桁の電卓を頑固に使っていた人がいたらしい。で、8桁以上の計算をする場合はどうするかというと、まず、6桁部分を計算しておき、繰り上げてから、7桁以降の計算をしていたそうだ。繰り上げなんて小学校の筆算以来か? 時間もかかるし、余計面倒だっただろうに。

 いろいろ話が飛ぶが、こちらも新聞記事から。たしか、沖縄に行ったときに、地方新聞のコラムで読んだもの。パソコンが導入された当初は、計算があっているか不安だった為、パソコンで計算したものを、もう一度そろばんで検算していたそうだ。せっかくパソコンを導入したのに、なんでそろばんで検算しなければならないんだと、ある若手社員が文句を言っていたところ、先輩からひとこと。「そろばんだから、大して手間はかからんだろう。オレなんかゼロックス(当時のコピー機、いわゆる青焼き)が入った時には、ちゃんと複写されてるか、一字一句、チェックさせられたもんだ」エクセルの検算は必要だと思うが、コピーのチェックはちょっと…。

>2004.12.10.FRI

苗村屋読書日記 [73]

     



































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