○0370 『神の火』 高村薫
△0369 『ナニワ金融道』 青木雄二
△0368 『雪蛍』 大沢在昌
△0367 『パワー・オフ』 井上夢人
△0366 『もりのえほん』 安野光雅


○0370 『神の火』 >高村薫/新潮文庫/1997.06.01・2004.12.29

 背表紙あらすじ:【上巻】原発技術者だったかつて、極秘情報をソヴィエトに流していた島田。謀略の日々に訣別し、全てを捨て平穏な日々を選んだ彼は、己れをスパイに仕立てた男と再会した時から、幼馴染みの日野と共に、謎に包まれた原発襲撃プラン<トロイ計画>を巡る、苛烈な諜報戦に巻き込まれることになった…。国際政治の激流に翻弄される男達の熱いドラマ。全面改稿、加筆400枚による文庫化! 【下巻】<トロイ計画>の鍵を握るマイクロフィルムを島田は入手した。CIA・KGB・北朝鮮情報部・日本公安警察…4国の諜報機関の駆け引きが苛烈さを増す中、彼は追い詰められてゆく。最後の頼みの取引も失敗した今、彼と日野は、プランなき「原発襲撃」へ動きだした―。完璧な防御網を突破して、現代の神殿の奥深く、静かに燃えるプロメテウスの火を、彼らは解き放つことができるか?

 1991年の作品。東野圭吾の『天空の蜂』と同じく、原発を題材にした作品だが、本書が扱っている原発は「題材」というより寧ろ「舞台」だと感じた。1人のスパイが最後の演技を終えるための「舞台」である。初読は1997年。当時はSFや歴史物しか読んだことがなく、本書に出てくる「スパイ」という存在が妙にリアルで、戦慄を覚えたのを思い出す。今まで読んだ小説とはまったく「色」が違っていた。

 最近でこそ北朝鮮による拉致事件やミサイル問題などがクローズアップされているが、いち早く「北」に注目したのは流石である。「北」だけでなく、米ソ冷戦時代の裏側で起こる情報戦争が、福井や大阪といった私自身にとっても馴染みのある街を舞台に展開されていく。特に、主人公の島田浩二が普通の会社に通う日常を描きつつ、尾行をまいたり、銃を手にしたりする別世界を描く、このコントラストが見事で、スパイという非日常の世界がリアリティに溢れた筆致で迫ってくる。それにしても高村薫の作品は読みづらい。専門用語が多いせいか、主人公をはじめとする登場人物の心理描写が重いせいか。理由はよく分からないが、とにかくページを繰る手が重いのである。それでも一度読み始めると、目を離すことができず、途中他の本を併読したりしながら、ゆっくり読み進めた。

 これだけ重い内容なので、ついつい社会性やテーマを探してしまうのだが、果たして本書で筆者が主張したかったのは何であろうか? 原発の危険性か、冷戦下のスパイの危険性か? 私個人としてはいずれも違うと思う。筆者が描きたかったのは同性愛の一歩手前ともいえる男同士の友情だと思うのである。主人公の島田と日野草介、高塚良(パーヴェル・アレクセーイェヴィッチ・イェルギン)との友情はもちろんのこと、彼を取り巻く江田彰彦、ハロルド、ボリスといったスパイ仲間との友情である。

 原子炉の蓋を開けるという何とも荒唐無稽な目的の為に、粛々と下準備を進める島田と日野。「やんちゃな子供」以外の何者でもなく、こんな男たちを描く時の高村薫は嬉嬉として筆を走らせているのだろうなと想像してしまう。

 ここで、印象的な島田と江田の会話を抜粋してみたい。「国民主権というが、国民の選んだ政治家が、外国から金貰って言うなりになっている国がどこにある。労働団体も社会主義政党も同じ。冷戦構造なんか言い訳にならない。日本人が自分の国と意識するに足る主権を持ってこなかったのは、全部日本人の責任だ。自分で考えず、自腹を切らず、責任も取らず、自分の懐だけ肥やすような国民に、自分の国が持てるはずがない。だから、私は日本人の商人として、自分のやるべきことを決めたのさ。まず人頼みはしないこと。情報は自分で取ること。自分の頭で考え、自分の行動は自分で決めること」 何年も変わることのない日本の政治に対する痛烈な批判を含んだ台詞である。

 下巻の後半あたりからカウントダウンが始まる。最初は日付を刻むところから始まり、ラストの原発侵入前後には分刻みの描写となる。この「時間」が緊迫感を高め、まさに手に汗握る物語を構築していく。映画ならまだしも、小説という世界でここまで緊迫感を出すのは難しいであろう。日常を忘れさせてくれる本書は、仕事を離れて束の間の旅に出るときなどに読むのがふさわしいのかもしれない。飛行機を、バスを待つ本の数十分の間に、カバンから取り出してはページをめくり、オン・ザ・ロックをちびりちびりと楽しむように読みたい本である。

P.S.60,000 hits over! >2004.12.29.WED


△0369 『ナニワ金融道』 >青木雄二/講談社・モーニングKC/2004.12.26

 モーニングに連載中の頃から、本書の存在は知っていたのだが、絵が苦手でなかなか読めずにいた。確か当時はまだ大学生の頃で、大阪出身の友人に薦められた記憶がある。さすが大阪の人は漫画からして読むものが違うと妙に感心していた。

 そんな私が本書を手に取ったきっかけは、仕事がらみである。会社の先輩が、法律を学ぶ取っ掛かりとしては最適な本だと紹介してもらったのである。その先輩の話によると、某一流企業では審査部に全巻が揃えられているとのこと。ちょうど仕事で「過怠約款」だの「期限の利益の喪失」だの、なじみのない言葉が出てきて困っていたので、古本屋に走って全巻揃えた次第。

 ストーリーは、失業した主人公・灰原が帝国金融という金融屋に就職するところから始まる。いわゆるマチ金であり、銀行が貸せないような与信リスクの高い企業や個人に、時には無担保で融資を行なう。しかし、貸し倒れをくらっていては商売が成り立たないので、その取立ては厳しい。しかも、法律を犯すことなく、結構理詰めで取り立てる様が面白かった。

 ちなみに、期限の利益の喪失とは、ローンなど分割払いをしている際に、一度でも支払いが滞ると、全額返さなければならないことをいう。もう少し詳しく言うと、「期限の利益」というのが、借りた金をすぐに返さなくていいという権利のこと。一定期間(=期限)返さなくていいというメリット(=利益)を指す。しかし、ひとたび支払遅延や、企業でいうと手形の不渡りなどが起こった場合には、このしばらく返さなくていいという利益を喪失する、つまりすぐに支払え、ということになるのである。なんだか、一方的で無茶な契約のようにも思えるが、実際のビジネスシーンでも頻繁に使用される契約上の用語である。

 この他にも、連帯保証人の怖さや手形裏書の恐ろしさなど、法律をきっちり理解していないととんでもないことになるということを教えてもらった。例えば、連帯保証人は普通の保証人と異なり、主たる債務者が払う払わないに関わらず、債権者に支払いを行なう義務が生じてしまうのである。保証人というと、主たる債務者が支払えなくなってはじめて、自分に支払いの責任が発生すると思いがちであるが、ひとたび「連帯」という言葉がつくと、とたんに意味が重くなるのである。

 法律の専門家になる必要は無いかもしれないが、ビジネスを進める上で、また、日常生活を営む上で最低限の法律知識は必要であろう。自衛の為、そして交渉などを有利に進めるためにも必須の知識である。そういえば、USCPAでも「Business Law」という科目があり、アメリカの法律の概要を学ぶ必要がある。アメリカは州ごとに細かな法律が違うのでやっかいなのだが、CPAとして必要なのは共通的な知識。会計士が企業の違法性を糾す責任は負わないのだが、違法行為により多大な財務リスクをこうむるような場合は、それをディスクローズする必要があるため、これらの知識を学ぶそうである。(例えば三菱自動車の場合。リコール隠しによる財務諸表への影響は計り知れない)

 青木雄二氏は2003年9月に逝去されている。最初はとっつきにくかった絵も、読み進めるにつれて「味」を感じるようになったのだが、この絵から生まれる新作に二度とお目にかかれないと思うと残念。漫画界に新境地を開いたアイデアは賞賛に値するだろう。最後に作者の言葉を抜粋して終わりたい。

 僕たちが子供のころ、担任の教師から「金の貸し借りはするな」とか「借りたものは返すこと」と教わってきました。その教訓も大人になって一歩社会に出ると、ひっくりかえってしまいます。あの先生も自宅を新築する時は、やっぱり金を借りたはずなのです。社会が進歩するにつれて金の貸し借りも増大し、さまざまなトラブルが発生します。ところが社会の進歩にもかかわらず、トラブルの大きな原因の一つである保証人制度だけは昔のままで、現在も厳然と存在しています。保証人制度は自由経済に不可欠なものなのでしょうか? それともいつか、なくなる時代が来るのでしょうか? いずれにせよ、カネにまつわる悲喜劇がなくならないうちは、僕も漫画の材料には困らないはずなのですが。

>2004.12.26.SUN


△0368 『雪蛍』 >大沢在昌/講談社文庫/2004.12.24

 背表紙あらすじ:17歳の家出娘を捜して欲しい…。更正施設で薬物中毒患者の世話をする佐久間公に、女性実業家からの依頼が舞い込む。失踪人調査を再開した佐久間は、渋谷・六本木・新宿と娘の行方を追う先先でかってのライバル岡江に先を越される。彼女はなぜ追われるのか?大沢ハードボイルドの鮮烈な到達点がここに!

 今日はクリスマス・イヴにもかかわらず、夜の10時まで残業。それを見越してか妻は友人と食事に。昼間の打ち合わせで神経をすり減らし、夜はパソコンに向かって資料作成と、随分疲れてしまった。何とか仕事を片付けて家路についたものの、どうしてもビールが飲みたくなり、家の近くのショットバーへ。初めての店なのだが、なかなかの雰囲気。カウンターの隅のほうに陣取り、取り出したのが本書である。一人で食事をすることはあっても一人で飲みに行くことはほとんどない。クリスマス・イヴにこうして一人で読書をしながらビールというのは、寂しいながらも、ちょっとハードボイルドな気分である。

 そんなシチュエーションにぴったりな本書。ハードボイルドな主人公・佐久間公は少年少女専門の人探しをする元探偵。シリーズ化されているらしいが、私にとっては本書が初めての出会いである。今まで、このようなシリーズ物は、必ず第一作から読んでいたのだが、自分の知らない過去を持つ主人公が活躍するというのもなかなか面白い。気が向いたら、本書に散りばめられているエピソードを詳しく描いた作品群にも手を出してみたい。

 さて、物語の方は2つのストーリーから成っている。雪華という女性実業家の娘の失踪事件と、ホタルという薬物中毒の少年の話である。佐久間は探偵の仕事を引退し「セイル・オフ」という薬物中毒患者の更正施設で働いているのだが、そこで出会ったホタルと、引退したにもかかわらず引き受けてしまった雪華探しに翻弄される。タイトルの『雪蛍』はこの少女と少年から来ているのだろうかと想像しながら読み進めたが、それには触れられないまま物語は終わってしまった。そういえば、少年がなぜ「ホタル」というのかも分からないままであった。読み落としてしまったのだろうか…。

 2つの物語がスリリングに展開し、途中までは非常に面白く読むことができた。特に主人公の佐久間が、ハードボイルドである反面、ヤクザに脅されて震えあがるシーンなど、リアリティがあって面白かった。生き延びるために嘘をつく、ということにさえ罪悪感を感じながら、結局は真相を究明していこうという姿に共感を覚えた。

 「途中まで」と書いたのはラストが不満だったからである。カウンターでビールからウイスキーに切り替え、ほろ酔い加減で読んだせいかもしれないが、ラストが曖昧だった様に感じたのである。雪華とホタルが最後に一つの線で繋がるかと思いきや、特に交点のないまま終わってしまったし、雪華の母と祖母の関係もしっくりこないままであった。伊坂幸太郎だったら、これらの2つの物語をピッタリとジグソーパズルのように完成させて終わらせるだろうにと思うと、なぜわざわざ2つの物語を錯綜させたのかと、作者の意図を勘繰ってしまう。

 佐久間シリーズの中では傑作といわれているそうだが、個人的には今ひとつ。途中まで面白かっただけに残念である。日付が変わる頃、本書を読了しバーを後にした。寒さが一層身に沁みたような気がした。

>2004.12.24.FRI


△0367 『パワー・オフ』 >井上夢人/集英社文庫/1999.07.30・2004.12.22

 背表紙あらすじ:高校の実習の授業中、コンピュータ制御されたドリルの刃が生徒の掌を貫いた。モニター画面には、「おきのどくさま…」というメッセージが表示されていた。次々と事件を起こすこの新型ウィルスをめぐって、プログラマ、人工生命研究者、パソコン通信の事務局スタッフなど、さまざまな人びとが動き始める。進化する人工生命をめぐる「今」を描く。

 まず、本書が今から10年前の1994年に書かれた作品であることに驚きを隠せない。単行本の発行は96年だが、解説によると94年に連載されたものだという。今でこそ、コンピュータ・ウイルスが一般的になり、企業だけでなく個人のパソコンにも、ウイルス対策ソフトがインストールされているが、10年前にこのような状況を予測した人が何人いるだろうか。まさに、先見の明に長けたテーマである。

 井上夢人のすごいところは、単にコンピュータ・ウイルスだけでなく、そこに人工知能というプラス・アルファを付け加えたところにある。後半は、ウイルスよりもむしろ、人工知能のほうがメイン・テーマとなっている。従来から、ハイテクをふんだんに取り入れた作風が特徴であったが、ここまでくるとただただ、脱帽である。

 しかし、今読んでも斬新さを失わないないようだが、連載当時、あるいは単行本の発売当時は読者に受け入れられたのだろうか。解説しているとはいえ、専門用語がバンバン飛び交い、分かる人に分かればよいという感じで書かれているようにも思う。コンピュータが苦手な人には、随分とっつきにくかったのではなかろうか。コンピュータ・ウイルスといえば、楡周平の『クラッシュ』を思い出すが、こちらとはまた違った恐怖を描いている。個人的には『クラッシュ』の方が分かりやすくて一般受けするだろうなと思う。

 ウイルスとワームの違いを知ったのも本書である。「ウイルス」が寄生虫的であり、宿主となるプログラムが必要なのに対して、「ワーム」は単独で行動することが可能だそうである。

 また、ワクチン・ソフトの販売会社が、ウイルスをばら撒くというのも現実的にありそうな話であり、誰しも一度は考えたことがあるのではなかろうか。今や、ひとつひとつのウイルスに対するワクチン・ソフトではなく、年間いくらか支払えばほとんど全てのウイルスに対抗できる全方向的なワクチン・ソフトが普及しているので、ワクチンメーカもこんな手間をかけているとは思えないが、10年前ならさもありなんと思わせるエピソードである。

 ウイルスが自分で電話をかけて、という本書の描写も、今やウイルスが自動的にメールを送ってしまう現象として実現している。小説で未来を予想するのはよいのだが、あまり喜ばしくない予想は外れて欲しいものである。

>2004.12.22.WED


△0366 『もりのえほん』 >安野光雅/福音館書店

 先日、本屋でたまたま懐かしい本を見かけた。本というよりも絵本で、しかも文字の全く無いものである。いわゆる「かくし絵」というやつで、一見、森の木々が書かれているだけのようなのだが、よく見ると、たくさんの動物の姿が浮き上がってくるのである。最近、頭脳テスト的なクイズ番組が多いが、その中で「風景画の中に動物が隠れています」などと出題されるものと同じである。

 両親が買ってくれたのだろうか、もはや記憶に無いが、小学生の頃何度も何度も繰り返して見た記憶は鮮明である。というのも、小学生の観察眼では、すべての動物を一度に発見するには限界があり、見るたびに新たな発見があり、何度見ても新鮮であった。本屋で見かけたものには、巻末に答えが書かれていたが、私の記憶が正しければ、当時の絵本にはそのようなものはなかったと思う。

 当時は随分リアルに感じた森の木々たちであったが、大人になった今、改めて眺めると、当時感じた「リアルさ」はさほど感じられなかった。恐らく子供のころに感じていたリアルさというのは、想像力であり、空想力であり、大人になってそれらの力が弱くなってきた証拠であろう。それでも久しぶりに見る森は柔らかい緑に溢れており、和ませてくれる一品である。

>2004.12.18.SAT

苗村屋読書日記 [74]

     



































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