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○0390 『海辺のカフカ』 村上春樹
△0389 『深追い』 横山秀夫
△0388 『青い蜃気楼−小説エンロン』 黒木亮
△0387 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』 山田真哉
△0386 『異邦の騎士』 島田荘司


○0390 『海辺のカフカ』 >村上春樹/新潮文庫/2005.03.23

 背表紙あらすじ:【上巻】「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」―15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。家を出るときに父の書斎から持ちだしたのは、現金だけじゃない。古いライター、折り畳み式のナイフ、ポケット・ライト、濃いスカイブルーのレヴォのサングラス。小さいころの姉と僕が二人並んでうつった写真…。 【下巻】四国の図書館に着いたカフカ少年が出会ったのは、30年前のヒットソング、夏の海辺の少年の絵、15歳の美しい少女―。一方、猫と交流ができる老人ナカタさんも、ホシノ青年に助けられながら旅を続ける。〈入り口の石〉を見つけだし、世界と世界が結びあわされるはずの場所を探すために。謎のキーワードが二人を導く闇の世界に出口はあるのか? 海外でも高い評価を受ける傑作長篇小説。

 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を彷彿とさせる2つの世界の物語。『世界の終り』でも書いたが、複数の世界が最終的にひとつに結びつくというのは大好きな構成。単行本の発売当初にはいろいろと話題になったのであろうが、読み始めるまでは構成や登場人物など全く予備知識がなかったので、素直にわくわくしながら読み進めることができた。

 物語は、15歳の家出少年・田村カフカと、少年期の事故のせいで文字が読めなくなったナカタさんの2人を中心に紡がれていく。『世界の終り』では、世界の2つともが非現実的であったが、今回はカフカ少年の世界はとても現実的。高速バスで高松へ向かうところなど、あまりにも現実的過ぎて村上春樹らしくなとと思ってしまったほど。一方のナカタさんの世界も、最初は戦時中の描写から始まり、村上節ではない。だが、こちらの世界は物語が進むにつれ、ナカタさんが猫と話をしたり、空から魚やヒルが降って来たりと、少しずつ村上ワールドに染まって行く。

 物語が進むにつれ、2つの世界における共通点がでてくる。例えばカフカ少年のTシャツの血とナカタさんが刺し殺したジョニーウォーカーの血。また、カラスと呼ばれる少年とナカタさんの薄い影も関係するのかと思ったが、これは深読みのし過ぎであった。「影」といえば、『世界の終り』でも非常に重要な役割を負っていた。また「図書館」も『世界の終り』の象徴的存在。『海辺のカフカ』という物語が2つのパラレルワールドを織り成しつつ、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』というもうひとつのパラレルワールドとも錯綜する、2重のパラレルワールドと読むのは、考え過ぎだろうか。☆私にはカフカ少年がラストシーンで訪れる森の中の世界が「世界の終り」に思えてならなかった。

 更に物語が進むと、現実的であったカフカ少年の世界が非現実的になってくる。恋人をなくしてしまった女性の15歳の姿をした幽霊(しかもその女性は存命している)が出て来たり、不思議な森に足を踏み入れたり。『悪童日記』のような、現在形で淡々と語られるのも面白い。一方、非現実的であったナカタさんの世界は、ホシノ君と出会って四国を目指し始めてる辺りから現実味を帯びてくる。どこで物語が交差するかと心待ちにしていたのだが、☆やはり、物語のポイントとなるのは「図書館」であった。

 気になるのはこの交点へ至るまでの過程である。ナカタさんという不思議なキャラクターのおかげで幾分薄まってはいるが、ナカタさんが四国へ行き、「入り口の石」を見つけるまでの過程は随分と御都合主義的である。特に四国に到着してからは、偶然の積み重ねが多すぎて「偶然嫌い」の私には我慢が出来ない内容である。ここまで物語を書き込んできたのだから、もう少し長くても必然的な過程にすればよいのにと思ってしまう。作者の意図としては「偶然」を積み重ねることによって、不思議な世界の「必然」を立脚させようとしたのかもしれないが…。

 カフカ少年の成長譚としても楽しめるし、「入り口の石」を捜し求める辺りは多分にRPG的でもある。読者を楽しませる要素がふんだんに盛りこまれているのは、一流のエンターテイナーの証左といえよう。しかし、である。2重世界という『世界の終り』と似たような構成にしたからには『世界の終り』を凌駕する物語にして欲しかった。ページを繰る手を止められず、一気に読めた作品なのだが、村上春樹の作品は一気に読めてしまってはいけない様にも思う。これも作者の意図なのだろうが、ラストの曖昧さも迫力不足であった。非常に面白い作品であるし、お薦めなのだが、あえて評価は○としたい。

>2005.03.23.WED


△0389 『深追い』 >横山秀夫/実業之日本社/2005.03.19

 横山秀夫の新作が新書版で出ていたので、衝動買いしてしまった。好きな作家だから「衝動買い」とは言わないだろうか? 今回は短編集。個人的には横山作品は長編よりも短編の方が面白いように思う。長編でも『半落ち』のように連作的なものの方がよい。今回は三ツ鐘警察署というある地方都市の警察を舞台にした連作短編集。登場人物は毎回異なり、三ツ鐘警察署だけが共通して描かれている。ちなみに、この三ツ鐘警察署は、すぐ近くに社宅と寮があり、職住一体が課される為、あまり人気のある署ではない。そんな描写が冒頭にあり、そこから人間ドラマが繰り広げられていく。

 横山秀夫といえば「警察小説」の大家だが、本書は「警察小説」というよりも、むしろ「警察署小説」とでもいうべき作品である。これといった事件は起こらず、むしろ警察署内の日常を描くことにより、温かな作品に仕上がっている。警察の管理部門を描いた『陰の季節』に通ずるものがあるように感じる。短編とはいえ、1つ1つの作品が丁寧に書き込まれており、これだけのアイデアを練るのはさぞ大変だろうと感心してしまう。では、これらの珠玉の作品を1つずつ眺めていきたい。

『深追い』…独身警官の話。過去に信号無視の車を白バイで深追いし、事故を起こさせて死なせてしまったというトラウマを持つ男。ある日、幼馴染の夫の事故死現場に駆けつけることになり…。妻が放つポケベルへのメッセージが最初はいたいたしく、次に無気味になり、最後に呆気に取られてしまう。伏線が見事な作品。題名も秀逸。

『引き継ぎ』…盗犯担当の刑事の話。父親も同じく刑事であり、父が残したノートが主人公の教科書でもある。ノートに残された情報を父親から引き継ぎ、引退したはずの大物泥棒を追う主人公。『深追い』と同じく、タイトルが二重の意味を持っており、ニヤリとさせられる作品である。

『又聞き』…小学生の頃、溺れたところを青年に助けてもらった少年。青年は波にさらわれて死んでしまい、少年は警察官になった。過去のトラウマを引きずりながら、同僚の女性のふとした言葉から、過去に隠された真相を知ることになる主人公。少し、気の重い話だが、ラストの明るさに救われた。

『訳あり』…定年間近の警察官の再就職先を世話しようと躍起になる警務係長。キャリアの捜査二課長や警察官になりたくてもなれなかった青年など、サブキャラもなかなか面白い。ひょんなことからキャリアの秘密を握ってしまい、バーターで再就職先を世話してもらう…。偉くなれば再就職先にも困らないのにと思い、ふと「なぜ、出世しなかったのか」という主人公の問いに対して「みんなが偉くなってしまったら、警察という組織は回っていきませんから」 奥深い一言である。

『締め出し』…過去のいじめっ子は地元のヤクザ、過去のいじめられっ子は地元の警官。対照的な2人を面白おかしく描きつつ、老人の話す不可解な言葉の謎に迫る。「みどない」「しゃがる」などなど。最後にはこのキーワードは事件解決に結びつくのだが…。これからどうなるのかと気を持たせながら終わるラストも面白い。

『仕返し』…いじめとホームレスとテーマにした、本書で一番重たい作品である。警察官僚の保身と子供の残酷さを、淡々と描いている。淡々としているだけに、戦慄を覚えてしまう。しかし、ラストで見せる父親の力強い姿には励まされる。一度失敗を乗り越えたからこそできる男の決断である。

『人ごと』…花が好きな警察官と、高層マンションの最上階で花に囲まれて暮らす老人の話。花好きなのになぜマンションで暮らすのか? 戸立庭付きの家に住めばよいではないか? そんな疑問を持ちつつ、ラストでその真意が明かされたとき、小さな感動を覚える。植物の特徴をうまくテーマに取り入れながら書かれたハートウォーミングな作品である。

 すべての作品を通じて、人間の泥臭さと醜さと、そして誠実さ温かさを同時に描いている。それぞれのタイトルも面白く、非常によい作品集なのだが、横山秀夫に対する期待度からすると、もうひと頑張りして欲しいと思ってしまうのである。期待値を込めて限りなく○に近い△とさせていただく。

>2005.03.19.SAT


△0388 『青い蜃気楼−小説エンロン』 >黒木亮/角川文庫/2005.03.13

 背表紙あらすじ:2001年12月、米エネルギー企業大手エンロンが破綻した。一介の地方ガス会社は、いかにして世界にエネルギー革命をもたらし、なぜ突如破綻したか? 同社と米国政府、ウォール街、会計事務所との癒着とは、いかなるものだったのか?エンロンが駆使した金融工学と会計操作のからくりに徹底的にメスを入れるとともに、貧困家庭から這い上がろうとして戦い、破滅した幹部たちの人間ドラマに光を当てるドキュメント経済小説。

 プレジデント誌にて連載の後、『虚栄の黒船』と題されて単行本化されたのを、今回の文庫化にあたり改題したもの。エンロン事件と、これに続くワールドコムの事件で、米国の会計危機が叫ばれ、サーベンス・オックスレイ法が施行されたのは記憶に新しいところである。私自身、会計に携わる身として「あのエンロン事件で…」などと同僚と話していたこともあるのだが、正直に言うとエンロンが巨額の粉飾決算をしていたという事実以外はほどんど詳細を知らなかった。

 プレジデントに連載されていた当時から興味は持っていたのだが、小説を連載で読むという習慣がない為、単行本が出た時点で読んで見ようと思いつつ、結局文庫化まで待ってしまった。エンロンの破綻が2001年の12月だから、3年以上経ったわけで随分時間が空いてしまったが、この事件の影響は計り知れず、きちんとした形で知っておくべきだと思い読んで見たのだが…、感想はひとこと「やりたい放題やった結果の破綻だな」というもの。

 エンロンという企業が、最初から無茶苦茶だったわけではない。当社が作った、エネルギーの安定供給を約束するデリバティブやオンライン取引といった発想は非常に素晴らしいものであり、これらの取引を地道に続けていれば、破綻はなかったであろうし、米国を代表する企業足り得たであろう。役員に対して過剰に付与されたストックオプションがトリガーとなり、株価下落の忌避を意図的に、つまり、過剰な売上の経常や、過小な経費計上などを日常茶飯事的に行うようになった、というのがことのあらましである。

 極めつけはSPE(Special Purpose Entity)の乱立であろう。SPEとは企業の様々な資産を別に作る証券発行体に移転し、その資産を裏付とした有価証券の形に変換し投資家に販売することである。最近日本でも不動産の証券化などが流行りだが、この際に作るのがSPEである。(SPC:Special Purpose Companyともいう) 「ジェダイ」「チェーコ」といったふざけた名前のSPEを作っては、無理な資金調達をやっていたのである。

 筆者の黒木亮が証券会社に勤めたという経歴を生かしながら、分かり易く書いてはくれているのだが、それでもSPEの細かな仕組は複雑でわかりにくい。分かりにくいからこそ、長年に渡って隠し続けることができたのであろうが、それにしても杜撰な管理体制である。SO法施行に伴い、米国では経営者自らが会計帳簿に大きな誤りがないことを宣誓しなければならなくなったのだが、これだけの事件が起これば、厳しすぎるともいえる対応も分からなくはない。真面目にやってきた企業にとっては、面倒な事務作業が増え甚だ迷惑な話だとは思うが…。

>2005.03.13.SUN


△0387 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?−身近な疑問からはじめる会計学』 >山田真哉/光文社新書/2005.03.08

 本書は『女子大生会計士の事件簿』の著者が、会計の世界を身近な疑問から分かりやすく解説するという主旨のものである。既に会計の本を何冊か読んでいる私にとっては非常に分かりやすいものであり、例えば新人が入ってきたときなんかにエピソードとして紹介してあげると面白いな、という内容。正直、物足りない感じは残るが、もともとのコンセプトからすれば当然かもしれない。

 さて、気になるタイトルの「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」という疑問に対して、筆者は2つの回答を用意している。1つ目は、2本で1,000円と宣伝しておきながら、実際には5,000円の竿竹を売りつけたり、時には物干し台まで買わせてしまう、半押し売り的な竿竹屋が存在する為。もう1つは、竿竹は金物屋などが営む副業であり、時間のある時に宣伝を兼ねて行なう、ほとんど元手のかからない事業だというものである。

 ここで筆者が何を言いたいかというと、商売を続ける為には利益を出さなければならず、利益を出すためには売上(売価)を上げるか、コストを下げるしかないということを言いたいのである。つまり、押し売りで値段を吊り上げるか、副業としてコストのかからない商売として運営するかということである。日常、何気なく耳にする竿竹売りから、ここまで考えを広げた筆者の発想力には敬意を表したい。

 実を言うと本書は、とあるリクエストから読み始めたものなのだが、そこで提示されていたもう1つの疑問「竿竹を誰が買うのか?」という解は残念ながら発見できなかった。この疑問には私が答えたいと思う。ずばり「私が買う」のである…というか、買った経験がある。結婚して間もない社宅生活の頃のこと、物干し竿にまで考えが至らず、洗濯物をどう干そうかと悩んでいたとき、竿竹屋が通りかかったのである。迷わず竿竹屋を呼び止めて、まさに「2本で1,000円」の竿竹を買ったのだが、その際に、5,000円の竿竹を勧められたかどうかは記憶にない。結局、安物だった為、洗濯物を干すと、かなりよくシナったのだが、買い換えないまま5年間使い続けた。というわけで、竿竹屋の物干し竿は、新婚ほやほやで物干し竿にまで考えの至らないかつカネにも困っている夫婦に需要があるのである。

 さて、本書には他にも面白いエピソードがある。例えば、普段はコツコツと節約をしている人が「たまにはパーッと」豪華な食事を取る場合、毎日100円の節約で、5万円の食事をすると、100円×365日−50,000円=マイナス13,500円となってしまう。よく考えれば当然のことだが、こういった人のことを筆者は、毎日100円貯めているという事実に満足してしまい、節約した気になっているだけで会計を見ていない、と厳しく指摘している。会計とは数字を大きく捉えることであり、全体的に効果の大きい部分にメスを入れていくことでもあるのだ。また、最近流行の食器洗浄器。水道代が節約できるという謳い文句に釣られて買ったはいいが、電気代が高くかかって、結局、家計トータルでは節約できていない、といった現象が起きているそうである。表面的な数字にごまかされず、本質をよく見なさいということであろう。

 もう1つ面白いエピソードを。全日空が「50人に1人が無料」というキャッシュバック・キャンペーンをしたそうだが、これは冷静に考えると、企業にとっては2%の値引きと同じなのである。しかし、コンシューマーは「無料」という響きにつられて、しかも空港での50人に1人というのは結構な確立である為、あちこちで「当たった!」という声が聞こえて来るので、多くの人がこのキャンペーンに申し込んだそうである。たった2%の値引きで非常に大きな効果を出したそうだが、筆者曰く、このキャンペーンを考案した人は非常に数字に対するセンスがある人とのこと。同じ2%引きをどう表現するかのセンスも重要であるし、その裏に隠された真実を見極めることも重要。なかなか興味深い話であった。

 読み終えてみると、「会計」というよりも「数字」に対するセンスを磨きなさいという主旨だったように感じてしまった。それはそれで面白かったのだが、「会計を知ってもらう」という筆者の当初の狙いは達成できたのだろうか。いずれにせよ、ビジネスの世界で生きていく限り、数字は切っても切れないもの。早い段階で数字に対する嫌悪感を払拭しておくことが大切であろう。

>2005.03.08.TUE


△0386 『異邦の騎士』 >島田荘司/講談社文庫/2005.03.03

 背表紙あらすじ:失われた過去の記憶が浮かび上がるにつれ、男はその断片的"事実"に戦慄する。自分は本当に愛する妻子を殺した男なのか? そしていま若い女との幸せな生活にしのび寄る新たな魔手。記憶喪失の男を翻弄する怪事の背景は? 蟻地獄にも似た罠から男は逃げられるか? 希代の名探偵・御手洗潔の最初の事件。

 簡単に言ってしまうと、記憶喪失の男が自分の過去を探そうとする話である。少しずつ過去が見えてくるにつれ、自分が極悪人ではないかと思い始めるのは真保裕一の『奇蹟の人』にも通ずる部分。しかし、最終的などんでん返しに関しては、本書の方が上だろうか。記憶喪失を逆に利用した犯罪というのはなかなか面白いアイデアだった。

 本書は1988年度のこのミス第5位の作品。それなりに面白かったのだが、やはり時代の変遷は無視出来ない。どこが、と特定するのは難しいが、ご都合主義的に感じてしまう部分もあった。記憶喪失を利用した犯罪というワンアイデアを膨らませているのだが、これだけならもう少し短くてもよかったのではなかろうか。あるいは、主人公の心情をもっと書き込んでも良かったように思う。個人的には長さも中途半端に感じてしまい、せっかくのアイデアだったのに残念である。よくよく考えてみると島田荘司の作品を読むのは初めて。今回は探偵の御手洗潔があまり目立たなかったが、他の作品ではどうなのだろうか。他の作品に期待したい。

>2005.03.03.THU

苗村屋読書日記 [78]

     



































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