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![]() △0040 『ソニー銀行・道具としての銀行』 末永徹 ×0039 『涙』 乃南アサ ○0038 『ターゲット』 楡周平 ×0037 『夢の工房』 真保裕一 △0036 『半眼訥訥』 高村薫 △0040 『ソニー銀行・道具としての銀行』 >末永徹/ダイヤモンド社/2003.01.24 以前にも書いたがソニーという企業グループに興味があり、手に取ってみた本。内容は銀行のこれからのあり方と、ソニー銀行の紹介が7対3くらいのもの。「預金=銀行へ預けているお金」ではなく、「銀行に貸し付けているお金」だという認識を改めて持つことが出来た。普通、人にお金を貸すときは相手の信用状態を見るものである。今の日本の銀行に安心してお金を貸せるところがどれほどあるだろうか?我々預金者は、預金という名に惑わされず、銀行に対して信用を付与し、カネを貸しているということを再認識すべきだと思う。銀行を普通の企業として考えると、 [仕入先=預金者] → [銀行] → [得意先=債権者] という図式となり、銀行は我々からカネを仕入れて、個人や企業にカネを売っているのである。「土地」というと一般的には固定資産だが、不動産業者からみると、「在庫」の一種であり、流動資産となる。同じように、銀行から見た「カネ」は、現預金ではなく「商品」と考えるべきかもしれない。そう考えると世の中には、消費者金融をはじめとした、同じカネを売る競合他社が多数存在する。メーカーであれば、自社の製品の機能を向上させ、差別化が図れるが、カネという商品に品質上の差はない。そこで問われるのが、どれだけの付加価値、つまりサービスを付与することができるかという点である。
本書では、インターネットにおけるサービス業の有効性にも触れている。モノを売る商売については、どうしても「物流」という行為が発生してしまい、どれほどコストカットしようとも、変動費が掛かってしまう。しかし、株や銀行などサービスを売るビジネスモデルでは、固定費さえ回収できれば変動費は驚くほど少なくなる。また、その固定費にしても、都心に金のかかる支店を持つこともないので、非常にリーズナブルなものに抑えることが出来る。これらの持たざる経営のメリットをコンシューマーに還元し、銀行手数料を最小限に抑えるというビジネス展開で躍進しているのがソニー銀行である。
×0039 『涙』 >乃南アサ/新潮文庫/2003.02.08 背表紙あらすじ:【上巻】「ごめん。もう、会えない」。東京オリンピック開会式の前日、婚約者で刑事の奥田勝から、電話でそう告げられた萄子は愕然とする。まもなく、奥田の先輩刑事の娘が惨殺され、奥田が失踪していたことも判明。挙式直前の萄子はどん底に突き落とされた。いったい婚約者の失踪と事件がどう関わっているのか。間違いであって欲しい…。真実を知るため、萄子はひとりで彼の行方を追った。 【下巻】川崎、熱海、焼津、田川…わずかな手がかりをもとに、萄子は必死に婚約者の跡を追った。やがて捜査から、ある男が重要人物として浮上するが、勝が逃亡する理由は不明のまま。勝への思いが消え入りそうな萄子だったが、当時米領の沖縄・宮古島に彼がいる可能性を大阪で知る。島でわかった慟哭の真実とは? ’60年代の出来事・風俗をちりばめ、男女の一途な愛を描いた傑作ミステリー。 乃南アサの作品は嫌いではないので、上下巻の長編に期待していたのだが、期待はずれであった。女性の主人公が結婚寸前に失踪してしまった婚約者の刑事を探すという設定なのだが、最初こそミステリー調で期待に胸膨らんだのだが、とにかく長い。失踪者は全国を転々とし、最後には沖縄にまで行ってしまうのだが、その過程がすれ違いすれ違いで安物の連続ドラマを見ているようであった。これだけ引っ張るのだから最後には大きなどんでん返しが待っているのではないかと思っていたのだが、結局刑事の失踪の理由もさほど驚愕するほどのものでもなく、かといって、それぞれの人物の内面を深くえぐるわけでもなく、実に宙ぶらりんな作品になってしまっていた。振り返ってみると乃南アサの作品は当たりはずれが多いような気がする。『凍える牙』などは名作であるし、もう一度読んでみたいと思っている。結構、執筆量が多いようだが、もう少し絞って書いても良いのではないかと思う。あまり寡作でも困ってしまうが。
○0038 『ターゲット』 >楡周平/宝島社文庫/2003.04.07 背表紙あらすじ:世界の大国アメリカを滅ぼそうと在日米軍基地に仕掛けられる恐怖のウイルス兵器…危機管理ゼロの日本を襲う最悪のシナリオ! 「北の陰謀」を未然に防ぎ、テロリストを殲滅せよ…密命を帯びて沖縄に飛ぶ恭介を待ち受けるものは? 皮肉な運命の糸のねじれか、追われるべき恭介がCIAの工作員として「北」の男を追う。『Cの福音』『猛禽の宴』に続く朝倉恭介シリーズ、必殺の第3弾。待望の文庫化。 今日は鉄腕アトム生誕の日である。私は手塚治虫よりもむしろ、藤子不二雄世代なのだが、父親が治虫作品を好きだったせいで『火の鳥』や『ブッダ』などが家においてあり、すごいなあと思いつつ何気なく読んでいた。読んだのは高校生の頃だったので、こんな作品を小学生の頃に読んでいたら、人生観が変わったかもしれないと思わせるほど、ディープな作品群だった。鉄腕アトムは読んだことがないのでよくわからないが、とにかくそれぞれの作品のテーマが奥深く、魅力的であった。2003年の今、アトムの世界とは程遠いながらも、二本足で歩くロボットが開発されており、巷に広がったパソコンや携帯電話などを筆頭に、つい10年前までは想像出来なかったほど世界は変わっている。私が今書いているホームページが、アメリカやヨーロッパでも読むことが出来るというのは、非常に不思議である。(日本語は文字化けしちゃうか) しかし、アトム効果で3年にで5000億円というのは低迷する日本経済においては何だか異様な感じがする。手塚治虫が現代日本に残した最後の遺産なのかもしれない。 さて、こんな日に読了した『ターゲット』であるが、今まで読んだ楡作品の中で、一番面白かった。まず、主人公である恭介が、不覚にもCIAの手に落ちてしまうあたりが面白く読めた。CIAの訓練に最初は反発を感じつつも、本能が格闘技術の向上を喜び、やがて、CIAでもトップ・クラスの工作員として活躍する。また、北朝鮮の生物兵器という設定にも無理がなく、いや、狂牛病が日本でも噂されていただけに迫真のリアル感を持って、私の危機意識を煽ってきた。特に、香港を中心にSARSという得体の知れないウィルスが広まっている時だけに、もしやSARS流行も北朝鮮の陰謀か、はたまた、不測の事態でウィルス兵器が外に漏れてしまったかと思わせる筆致であった。一つ難点を言うと、最初にCIAの罠に掛かる部分以外に、恭介に決定的なピンチが訪れなかったことである。もう少し、徐との格闘シーンが派手な方が、ハードボイルドな作品は盛り上がると思う。 また、北朝鮮が、中国の軍事力を見越した必要悪だという理論にも納得がいく。確かに北朝鮮が鎮圧されると米軍が日本に駐在する意味がなくなる。いや、駐在を続けると中国を仮想敵国としていることが見え見えになってしまう。いまのブッシュ政権はそこまで考えているのだろうか? 日本にとって、中東は遠い世界かもしれないが、北朝鮮はまさに「今そこにある危機」である。 しかし、日本人は危機意識が低い。今回改めて狂牛病騒ぎを思い出したが、私も一時期控えていた牛肉を平然と食べているし、焼肉屋も大流行である。私の知人が肉屋を営んでいるのだが、大打撃を受けたといっていたのが遠い昔のようだ。安全は只ではないという意識をしっかりと持つべきだと、深く反省させられる作品であった。
×0037 『夢の工房』 >真保裕一/講談社/2003.02.26 『半眼訥訥』と同時に購入。さまざまな雑誌に書いたエッセイを集めたものだが、雑誌の種類が違うためか、同じような内容のことを何度も繰り返し述べている。それぞれの雑誌で読むぶんにはよいが、まとめて読むと単調であり、飽きてしまう。単純に全てのエッセイを載せるのでなく、もう少し取捨選択があっても良かったのではないだろうか? この著書に対して、いいなと思ったのは一箇所だけ。ホワイトアウトについてのインタビューの中での筆者の回答なのだが、「実は個人的にずっと、冒険小説は、もう縦軸と横軸でしか成立しえないのだろうか、という問題を考えていたんです。縦軸と言うのは<時間>のことで、たとえば、過去を舞台にした佐々木譲さんの『ベルリン飛行指令』みたいな作品。横軸は<空間>で、船戸与一さんが描く辺境地帯を舞台にした冒険小説です。でも、デビューする前から、そうじゃないところで成立しうる冒険小説を書けたらいいなと考えていたんですよ。『ホワイトアウト』はまさに縦軸も横軸も使わない、いまの日本の中で成立する山岳冒険小説を書きたいという思いからスタートしたわけです」 やはり第一級の小説を書く人は目の付け所や発想が違う。正直私には、縦軸だの横軸だのという発想は思いもつかないだろう。このような着眼点が、見事な小説郡を生み出しているのだろう。今後の作品にも期待は膨らむ。
△0036 『半眼訥訥』 >高村薫/文藝春秋/2003.02.28 家から駅まで、桜並木を歩きながら出勤。昨日の雨にもかかわらず、桜はほとんど散っていなかった。行き先が会社でなければもっと楽しめただろうに。駅近くに、まだ花を咲かせていない桜がある。八重桜だか枝垂れ桜だか名前は知らないが、毎年、他の桜が散った頃に花を咲かせるので非常に目立つ。他人と違うことをするとよく目立つということだが、同じ目立つのなら人より先んじて目立ちたいものである。
苗村屋読書日記 [08]
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