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![]() ◎0400 『コインロッカー・ベイビーズ』 村上龍 △0399 『僕のなかの壊れていない部分』 白石一文 ×0398 『最強トヨタの自己変革』 福田俊之 △0397 『ジョゼと虎と魚たち』 田辺聖子 △0396 『ソニー本社六階』 竹内慎司 ◎0400 『コインロッカー・ベイビーズ』 >村上龍/講談社文庫/2005.05.08 背表紙あらすじ:【上巻】コインロッカーを胎内としてこの世に生まれ出たキクとハシ。罪の子ふたりの心に渦まく愛と憎悪。廃墟と化した東京の上空に、華やかなステージに、そして南海の暗い海底に強烈な破壊のエネルギーがほとばしる。巨大な鰐を飼う美少女アネモネの願いは? 鮮烈なイメージで織りなす近未来小説の大きな序章。 【下巻】コインロッカーを胎内としてこの世に生を受けたキクとハシ。巨大な鰐を飼う美少女アネモネ。謎を求めて舞台は南海の暗い海底に移る。破壊の意志を持つというダチュラの凶々しき響き。果してダチュラとは何か?そして、巨大な暗黒のエネルギーがもたらすものは?現代文学の記念碑的作品の鮮烈な終章。 書評の400冊目は村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』である。3回目の再読なのだが、読書記録を付け始めたのが1995年以降の為、日付の記録がない。初読は中学3年生の時、2回目は高校生のときだったと記憶している。『69(Sixty nine)』を読んで面白かったので本書にも手を伸ばしたのだが、強烈なインパクトは今でも忘れられない。当時は大友克洋の『AKIRA』が流行っており、本書のSF的世界に違和感はなかったものの、ゲイだのドラッグだのは中学生には刺激が強すぎたかもしれない。こういった本の影響を受けてパンクロックにはまっていったのも、今となってはよき思い出である。 さて、自分の書評を振り返ってみると、100冊目は『マイナス・ゼロ』、200冊目は『カムバック』、300冊目は『逆命利君』と、少しマイナーかもしれないが自分なりに名作だと思うものを選んできた。今回の400冊目も何にしようかと散々迷ったのだが、ちょっとアクの強い本書を選んでみた。少年時代に受けた鮮烈なインパクトを思い出しつつ、大人になった少し冷静な眼で読んでみたつもりである。 改めて再読して知ったのだが、主人公のキク・ハシと私は同い年である。ということは、ずっと近未来の話だと思っていたのだが、時代設定は現代。現代にもかかわらず、「薬島」と呼ばれる毒物汚染の危険地域を設定することで、売春やドラッグ販売が日常的に行なわれる無法地帯を作り出し、近未来的な印象を与えるのに成功している。確かに薬島が出てくるまでは、普通の小説のようだったが、上巻の中盤で薬島が出てきてから、物語が急展開を始める。 村上龍はこのような舞台設定が上手い作家だと思う。『希望の国のエクソダス』でも中学生が学校を捨てるという舞台を用意している。逆に言うと舞台設定に失敗したときは、とんでもない駄作に感じてしまう。一時期、性をテーマに様々な小説を書いていたようだが、これらの作品群はあまり好きではない。読んだときはあまり意識していなかったが、恐らく舞台設定がうまくいっていなかったのではなかろうか。 今回の舞台にはいろいろな人物が登場する。主人公のキクは棒高跳びの選手。実の母親を拳銃で殺してしまったり、東京へ「ダチュラ」と呼ばれる毒物を撒き散らしたりする。普段は冷静なのだが、切れてしまうと非常に暴力的になる青年。もう一人の主人公・ハシは、腕っ節の強いキクに守られながら、守られているという境遇に劣等感を感じて生きている青年。やがてハシの庇護から逃れるべく家出をし、薬島で歌手としてデビューするのだが、やはり他人の庇護から逃れることが出来ないという哀しい性の持ち主である。美少女アネモネも印象的。部屋でワニを買ったり、キクの手助けをしたり。強いものへの憧れが大きいのかもしれない。登場人物はそれほど多くないのだが、D、ニヴァ、山根など一人一人が個性的で飽きさせない。物語も、二人の少年時代から、ハシの家出、キクの逮捕などめまぐるしく展開する。上下2冊だが一気に読める作品である。 ただ、その独特の世界に嫌悪感を抱く人も多いであろう。露骨な性描写も含まれるし、そもそもコインロッカーの遺児を主人公に据えるという設定自体、人によっては不快感を抱くかもしれない。しかし、その一方で孤児というハンディキャップを背負った少年が、どうやって逞しく生きていくかを描いた成長譚とも言えるだろう。 物語のキーになっているのは、幼い頃聞かされた「心臓の音」と「ダチュラ」という薬物である。「心臓の音」は母親に育てられた経験のない2人に胎内での安らぎを記憶させる為に聞かせたものなのだが、ハシはこの幻の音を探すために歌手になったのである。「ダチュラ」は幼い頃、ガゼルというオートバイ乗りから教えられた言葉。青年になったキクはそれが人間の精神を崩壊させる薬物であることを知り、東京への散布を企てる。ラストシーンはダチュラがばら撒かれた直後で終わっているのだが、余韻を持たせた終り方がなかなかよい。「ダチュラ」後の世界は果たしてどう変わっていくのだろうか?
△0399 『僕のなかの壊れていない部分』 >白石一文/光文社文庫/2005.04.27 背表紙あらすじ:出版社に勤務する29歳の「僕」は3人の女性と同時に関係を持ちながら、その誰とも深い繋がりを結ぼうとしない。一方で、自宅には鍵をかけず、行き場のない若者2人を自由に出入りさせていた。常に、生まれてこなければよかった、という絶望感を抱く「僕」は、驚異的な記憶力を持つ。その理由は、彼の特異な過去にあった。―生と死の分かちがたい関係を突き詰める傑作。 一言でいうと「変な小説」である。もう一言付け足すならば「掴み所のない小説」である。白石一文という作家は、たまたま手に取った『一瞬の光』を読んでから少し注目しているのだが、本書は個人的には今ひとつ。テーマは「自分探し」なのだろうが、それに付随するエピソードがいろいろありすぎて、何が言いたいのかが拡散してしまっているような気がするのである。もしかしたら、それこそが作者の狙いなのかもしれないが。 本書は、幼い頃の強烈な体験から、少し心が捻じ曲がってしまった男が主人公であり、あらすじにもある通り、3人の女性と関係を持ったり、若者2人をかわいがったり。かといって、女性に手が早いわけではなく、関係を持つに至る過程は非常にゆっくりしている。これらの女性との微妙な関係が壊れていく様をつぶさに描写しているのだが、3人も出てくると主人公の心理描写が複雑になりすぎるように思う。『一瞬の光』では2人の女性との関係に苦しむ主人公であったが、この程度の長さの小説であれば、2人が限界ではないだろうか。 更に物語りの後半では、雷太という青年がある事件を起こす。この事件にも必然性が感じられず、作者が現総理大臣の靖国神社参拝に異を唱えたかっただけなのではないかと勘繰ってしまう。小説は自己主張の場であるが、場違いな自己主張は小説そのものの世界観を壊してしまうと思う。 そうはいいつつも、主人公の持つ過去と、驚異的な記憶力の関係はなかなか興味深く、面白い設定だと思う。せっかくいいアイデアなのに、うまく活かし切れなかったと感じるのは少々厳しい意見だろうか。作品自体には関係ないが、装丁も今ひとつ。イラスト自体は嫌いではないが物語の内容にそぐわないし、黄緑色の表紙も頂けない。筆者の名前を知らなかったら、まず手に取ろうと思わないであろう。アマゾンで検索すると、単行本も同じイラストだが、色は黄緑ではなくす渋めの黄色。こちらの方がまだましだろうか。作品内容には関係ないのだが、本屋で手にとって貰う為には装丁も大事であろう。
×0398 『最強トヨタの自己変革−新型車「マークX」プロジェクト』 >福田俊之/角川oneテーマ21/2005.04.24 トヨタが往年の名車マークIIの名前を捨てて、開発に臨んだ新型セダン「マークX」 その開発段階における、コンセプト作りや様々な工夫が述べられているのだが…正直物足りない内容であった。社外秘的な要素も多く、取材が困難だったのかもしれないが、もっともっと現場の声を取り入れた本にして欲しかったと思う。特に第2章、第3章などは、マークIIの歴史や日本の車市場の推移など少し調べれば分かるような内容で面白くなかった。一冊の本を纏める為に、必要な情報かもしれないが、それにしても割いているページが多すぎて、冗長さを助長してしまっている。 自己変革するトヨタということで、内容を楽しみにしていただけに残念。唯一面白いと思ったのは、ミニバンなどファミリーカー中心の団塊の世代が、子供が一人立ちした後、セダンに回帰するだろうと予想して開発を進めるシーン。マーケティング力の勝利であり、なによりも車が好き、走るのが好きな者たちの集団だからこそ成し得た功績だと思う。 そういえば、トヨタは2/9に新体制を発表し、渡辺捷昭氏を新社長に指名している。正直、あまり聞いたことのない名前だったが、トヨタが選んだ人事であるから、大きな間違いはないであろう。奥田碩・張富士夫という、有能な経営者の後だけに、やりにくい面も多いだろうし、「顔」をアピールしていくのには時間がかかるかもしれないが、トヨタだけでなく元気のない日本を引っ張っていくくらいの気概を持ってがんばってほしいと思う。ただ、副社長に豊田章男氏が昇格しているのが気になるところ。もちろん実力がないといくら創業家の一員とはいえ、副社長になどなれないだろうが、やはり、一個人から見ると豊田家に対する遠慮があるように見えてしまう。世界的な大企業のトヨタが、象徴としての豊田家とどう対峙していくかは興味深い。 さて、最近はいろいろな出版社から「新書」が出ているが、内容の薄いものが増えた様に思う。少し前は「岩波新書」などというと非常に硬いイメージがあったのだが、固い内容の本が売れなくなっているということだろうか。新書の位置付けが単行本にも出来ず、文庫本にもならない中途半端なものに変わりつつある様に感じてしまう。他に娯楽が増えて本離れが進んでいる今だからこそ、固い内容の本を頑固に出しつづけなければならないと思うのだが、結局は売れなければ意味がないということだろうか。
△0397 『ジョゼと虎と魚たち』 >田辺聖子/角川文庫/2005.04.20 背表紙あらすじ:足が悪いジョゼは車椅子がないと動けない。ほとんど外出したことのない、市松人形のようなジョゼと、管理人として同棲中の大学を出たばかりの恒夫。どこかあやうくて、不思議にエロティックな男女の関係を描く表題作「ジョゼと虎と魚たち」。他に、仕事をもったオトナの女を主人公にさまざまな愛と別れを描いて、素敵に胸おどる短篇、八篇を収録した珠玉の作品集。 妻の紹介、というよりも妻の友人の紹介で手にとってみた。田辺聖子の作品は、大学の時に1冊読んだきり。その時も恋愛小説だったように思う。(恋愛小説以外を田辺聖子が書いているのかどうか知らないけれど) 全部で8篇。別れた男との出会いあり、甥との淡い恋愛ありで、一気に読めたのだが全体的に「軽さ」は否めない。何をもって「軽い」というかは人それぞれであろうが。 そんな中で印象に残ったのは、やはり表題作の『ジョゼと虎と魚たち』 ジョゼというから外国人の女性との恋愛物語かと思ったのだが、本名は山村クミ子。「なんでクミがジョゼになるねん」とつっこまれながらも、なんとなくジョゼという名前が馴染むキャラクターである。 本書を読んでいて思いだしたのが、テレビドラマの『ビューティフルライフ』 木村拓哉と常盤貴子が主演のドラマである。普段はあまりテレビを見ないのだが、たまたま日曜の夜ということで、初回を見てしまい、最終回まで毎回見てしまった。常盤貴子が足の悪い女性を演じ、カリスマ美容師のキムタクと恋に落ちるという話だが、今冷静に考えると「恋人の死」を全面に押し出したお涙頂戴ものだったように思う。最終回では号泣してしまったのだが、なんとなく「泣かされた」という気がして、あまりいい気がしなかった。 本書は、同じような足の悪い女性を主人公にしているが、変な暗さがなく、むしろ「笑い」を誘うような文体に好感が持てる。ずけずけと遠慮のない甘えを見せるジョゼ。ちょっとむかつくけど、そこが可愛かったりもする。あまりきつくない、柔らかな関西弁も作品を引き立てているし、ラストもなかなかよかったと思う。妻夫木聡と池脇千鶴が主演で映画化もされているようだが、そちらはどうだろうかとちょっと気になる。 さて、そんな表題作に比べると、他の作品はどうしても見劣りしてしまう。それなりに読ませる作品もあるのだが、ジョゼの印象が強すぎるのだろうか。短編集というのは難しいものである。
△0396 『ソニー本社六階』 >竹内慎司/アンドリュース・プレス/2005.04.17 先日『100億稼ぐ仕事術』で感想を書いた「ライブドアvsフジテレビ」の話題が、最近のビジネス・ニュースとしては世間を賑わせているが、私個人としてはこの度のソニーの経営陣刷新の方が驚きのニュースであった。会長兼CEOにハワード・ストリンガー(Howard Stringer)氏、社長兼COOに中鉢良治氏という布陣。出井会長の退任はそろそろかなと思っていたが、同時に久夛良木氏まで退陣とは吃驚してしまった。日本企業のトップに自ら外国人をあてるというのは、ソニーでなければ出来ない大英断ではなかろうか。ソニーはもはや日本企業ではなく、真のグローバル企業という証しであろう。 しかし、他の日本企業が社外取締役の圧力で、こうもあっさりと経営者を変えることが出来るであろうか? 委員会等設置会社へ移行した大企業が多いが、本当の意味で、透明性のある経営が出来ているのは、一握りの企業であろう。 …と思っていたのだが、その後、新聞や雑誌の記事などを読んでいると、少しクエスチョンマークが頭をよぎってしまう。出井氏は完全な退任だと思っていたのだが、最高顧問として残るようだし、現社長の安藤国威氏も顧問となる。また、様々な雑誌で出井氏が「自分は解任されたのではない」という発言をしているのだ。企業の透明性を高める為には、社外取締役の発言による解任という方が、抑止力が働いており評価が高いように思うのだがどうだろうか。10年近く経営者として君臨してしまうと、引き際というのは難しくなってしまうのかもしれない。 いずれにせよ、業績が低迷してしまうと、あることないことを騒ぎ立てられてしまうという好例。そのお手本のような本が本書である。ソニーが好業績であれば絶対に出版されなかったであろう、一種の暴露本。タイトルが洒落ており、装丁もシルバーを貴重としたおしゃれなものだったので、ろくろく中味を見ずに買ってしまったのだが、ちょっと期待していた内容とは異なるものであった。 ソニー本社六階とは「経営企画部」を指す隠語である。そういえば我が社にも経営企画室なるものが11階にあり、隠語的・揶揄的に「11階」などと呼ばれているが、ここまで陰湿な響きは持っていない。大企業になればなるほど、官僚的な部署が力を持つという好例なのかもしれない。その「六階」だが、経営企画部とは名ばかりで、投資案件など幹部の意向に沿うか沿わないかという視点だけで様々な判断していたというのである。ソニーともなれば最先端のファイナンス理論を駆使して投資案件などを選別しているようなイメージがあったのだが、実体は違うという…。 本当のところがどうであったかは当事者でないので分からないが、もう10年以上も前の話であり、なぜ今というタイミングで発行されたのだろうか。また、本書では元社長の大賀氏のことをワンマンで経営判断のできない人だったと痛烈に批判をしているが、なぜか「O氏」と匿名である。出版社がきいたこともない会社だからリスクヘッジに走ったのか、圧力を受けない会社だから書けたのかは分からないが、真実ならば実名表記でもよかったのではないだろうか。そもそもソニーの歴代社長にOが付く人は1人しかいないのだし。 筆者自信、非常に苦労されたようなのであまり本書に関する批判はしたくないのだが、話半分に考えておけばちょうどいいくらいではなかろうか。大賀氏には大賀氏なりの判断があったであろうし、その中には間違った判断もあれば、素晴らしい判断もあったはずである。富士通の成果主義を描いた『内側から見た富士通−「成果主義」の崩壊』でも感じたことだが、このような本が出てしまうのは企業にとっては哀しい限りであろう 最後に筆者が外資系企業に転職した後の感想が印象的だったので抜粋して終わりたい。「経営陣のスタッフの質は、その会社の大きさやブランド力とはおおよそ関係がない。そして優秀なスタッフが活躍している会社は、納得性が高い戦略を迅速に実行できている。事業の集中と選択を着実に実行し、収益を確保しているのはソニーよりもかなり規模が小さい会社が多い。経営陣のスタッフに求められるべきは、経営陣の判断を助け、一度決定が下ればそれを着実に実行に移すことだろう」
苗村屋読書日記 [80]
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