◎0415 『疾走』 重松清
○0414 『30歳からの成長戦略』 山本真司
△0413 『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』 江國香織
△0412 『幻の女』 香納諒一
△0411 『サウダージ』 盛田隆二


◎0415 『疾走』 >重松清/角川文庫

 背表紙あらすじ:【上巻】広大な干拓地と水平線が広がる町に暮す中学生のシュウジは、寡黙な父と気弱な母、地元有数の進学校に通う兄の四人家族だった。教会に顔を出しながら陸上に励むシュウジ。が、町に一大リゾートの開発計画が持ち上がり、優秀だったはずの兄が犯したある犯罪をきっかけに、シュウジ一家はたちまち苦難の道へと追い込まれる…。十五歳の少年が背負った苛烈な運命を描いて、各誌紙で絶賛された、奇跡の衝撃作、堂々の文庫化!  【下巻】誰か一緒に生きてください―。犯罪者の弟としてクラスで孤立を深め、やがて一家離散の憂き目に遭ったシュウジは、故郷を出て、ひとり東京へ向かうことを決意。途中に立ち寄った大阪で地獄のようなときを過ごす。孤独、祈り、暴力、セックス、聖書、殺人―。人とつながりたい…。ただそれだけを胸に煉獄の道のりを懸命に走りつづけた少年の軌跡。比類なき感動のクライマックスが待ち受ける、現代の黙示録、ついに完結!

 小説の種類というのは、作品自体には関係なく、小説そのものが面白ければそれで十分である。とは思うのだが、ついついジャンル分けしたくなるのが私の悪い癖かもしれない。この『疾走』という小説、いや重松清の作品群はどんなジャンルに区分されるのだろうか。ミステリーやビジネス小説の類は比較的区別が簡単であるが、例えば佐藤正午とか、白石一文とか、日常の延長を描いた作家の作品群は、私小説というのか純文学というのか。ろくろく定義も知らないくせに、ジャンルを語ろうというのが無理な話なのだが。

 青春小説、という言葉が一番あうかなと思い読み始めたのだが、単なる少年の成長譚と思いきや、下巻に入った辺りから随分と重たい話に転換してくる。長い物語だが、事件の連続で飽きさせない。事件といっても決して非現実的ではなく、実際に起こりうる話であるから、余計にリアルで、余計に悲しくなるのである。このようなジャンルの大家である、宮本輝の作品に匹敵する壮大な構成と、深く突き詰めた内面描写が素晴らしい。

 読み始めた瞬間、「おまえ」という主語にひっかかる。少なくとも私が読んだ小説の中で、「おまえ」を主語にしたものは本書のみである。なかなか強烈なインパクトであるが、やはり二人称が主語というのは相当違和感があった。「おまえ」というのは私、つまり読者である苗村屋のことか、さては読者を主人公に見立てることにより擬似的体験をさせようというつもりか、などと深読みしてしまったほどである。

 この「おまえ」という主語も、読み進めると慣れてくるもので、次第に気にならなくなる。作者としては難しいであろう「おまえ」という主語をあえて、使用しているあたりに、重松清の意気込みを感じる。作家というものは、言葉に対するこだわりが強いのは当然のことだが、本書ではとくに「ひらがな」が重要視されているように感じた。例えば神父の弟の台詞。ひらがなを多用することにより、漢字では表せない心の叫びのようなものを聞いたような気になってしまった。

 ストーリーには直接関係ないが、読み始めた頃の第一印象は筆者が少年時代の頃の物語ではないかというもの。リゾート開発というのが当時あったのかどうか分からないが、昭和30年とか40年代あたりの物語のように感じたのである。しかし読み進めるにつれ、バブル崩壊の頃だと知る。携帯電話なども出てくるし、実はつい最近のとある地方が舞台なのである。それにもかかわらず、昔懐かしい印象を受けるのは、筆者が大事にしているであろう田舎の描写を柔らかい筆致で克明に行なっているからであろうか。それとも自分自身の少年時代を思い返しながら読み進めたからであろうか。

 後半のストーリー展開は圧巻である。あまりにも暗く、あまりにもやりきれなくて、何度も本を置きかけたのだが結局止めることはできなかった。最後はハッピーエンドになるのではという少しの期待を胸に抱きながら、それでもなんとなく、ハッピーエンドはありえないだろうという予想が頭から離れず、どんよりとした気持ちのまま読み続けた。結果は…。しかし、全ての苦しみから解放されたその結末はハッピーエンドと言えるのかもしれない。「誰か一緒に生きてください」というシュウジの呼びかけに応えてくれる人がいたのだから。

 さて、作品の中で「大人というのは自由だ」という文章があったのだが、これは子供の視点で見た大人のことである。夜更かしをしても怒られないし、好きなときに好きなことができる大人が子供心には随分と自由に見えたものである。しかし、自分自身が大人になって分かることだが、それほど大人だって自由ではない。むしろ、年齢を重ねれば重ねるほど、責任という足枷が増えていくわけであり、どんどん自由を奪われていく気がする。もちろん、その気になれば本当の自由を手に入れることも可能なのだろうか、結局自由というのは手枷足枷があって、憧れているときの方が魅力的なのであろう。「自由になりたくないかい。熱くなりたくはないかい」と尾崎豊の歌を歌っていた頃の自分が懐かしい。「自由って一体何だい?」

>2005.07.28.THU


○0414 『30歳からの成長戦略−「ほんとうの仕事術」を学ぼう』 >山本真司/PHP

 「眼から鱗が落ちる」とはこのことを言うのであろう。巷ではいわゆる「資格ブーム」が加熱しており、猫も杓子もMBAという状況である。こんな現状において「誰もが持っているMBAをいまさら取得しても仕方がない」というのが山本氏の持論。MBAよりも誰もが未だ手をつけていない分野にこそ第一人者になれるチャンスがあるというものである。しかし、MBAが不要といっている訳ではなく、MBAを取得する為にわざわざ留学したり、会社を辞めたりする必要はないと言っているに過ぎない。むしろMBA的思考術は今後ビジネスに携わっていく上で必要不可欠であり、だからこそわざわざ学校に行かずに独学で一気に学んでしまうべきというのである。(そういえば転職の名人・山崎元氏も30歳を超えたらMBAは不要と言っていた)

 確かにMBAを持っているからといって就職や転職に絶対的な優位性はなくなりつつあるかもしれない。むしろMBA取得者のことを頭でっかちとみなす企業も少なくない。知識やノウハウは重要だが、結局は人間関係が上手く保てるかどうかが必要だと謳っているのだが、この手の本にしては珍しい主張である。

 さて、かく言う私もご多分に漏れず、30歳を過ぎた辺りから現状維持でいいのかと焦りを感じ始め、USCPAなる資格取得に勤しんでいる。資格取得に向けて勉強することで「何かをやっている自分」を演じ、安心感を得ているだけではないかと自問することもたびたび。確かに、日本企業に勤めているのになぜアメリカの公認会計士資格を取るのかと聞かれると答えに窮する部分もある。

 一応、USCPAの取得を目指そうと思った時の動機を列記してみると、(1)これからビジネスの世界で生きていく上で会計の知識、特にグローバルスタンダードになりつつある米国の会計知識が必要だと思った為、(2)英語に対する苦手意識を持っており、いっそのこと英語を勉強するというやり方から「英語で勉強する」という方法に切り替えて見たら面白いのではないかと考えた為、(3)学校に通うことにより、同じ目的意識を持った志の高い仲間に出会えるのではないかと思った為、(4)会計知識に留まらず、監査・法律・税務・経済学・ファイナンス理論など幅広い知識を学べると思った為、(5)簡単に取れる資格ではなく、自分にとってちょっと難しいレベルのものに挑戦することにより、自分自身の成長を図ると共に、一年以上の長期スパンで物事を計画する力を養いたかった為。

 筆者にいわせると、USCPAも今となってはありきたりの資格なのかもしれないが、これは筆者自身がMBAをきちんと取得しているからこそ言えることなのではないだろうか。会社でも上司に対して自分のキャリアに関する不安(不満ではない)を相談したりすると、きまって返ってくる答えが「あまり焦るな」というもの。自分ではそんなに焦っているとは思わないが、そういう上司は若くして海外駐在を経験していたりと、恵まれたキャリアを積んできているのである。しかも、今やビジネスの世界はドッグイヤーといわれて目まぐるしく変化していく時代。焦るなといわれても少しは危機感を抱かないといけないとも思うのである。筆者も私と同じような若手を見て本書を書くに至ったのであろうが、どんな資格でもいいので、一本、自分の柱になるものが欲しいと思うのは仕方のないことではなかろうか。

 確かにUSCPAにしても、会計や監査の知識はグローバルに通用するが、米国の税務や法律を細かく勉強してなにになるのだろうという疑問を抱かないわけではない。そんな時間があるのなら、資格取得にこだわらず、独学で会計や監査論だけを学び、不要な部分を勉強する時間を他の有用なことに充てるべきなのかもしれない。そうは思いつつも「無いよりはあった方がいい」のが資格だと思う。資格取得そのものが目的になってはいけないと、常に自戒しているのだが、一方でひとつのミニゴールという位置付けにもしている。やはり試験の日程が決まっていれば、それに向かって集中的に勉強できるし、普段の生活では味わえない緊張感もよい刺激になるであろう。

 いずれにせよ、取得した資格を仕事に生かしてこそ本来の目的が達成できるのであり、またひとつ資格を取得したからといって安心できるものではない。第二、第三の武器を磨いていかなければならないのであろう。そう思うと「前向きな焦り」というのも悪いものではないと思う。この前向きな焦りをうまく原動力にして、自分の存在価値を高めることの出きる分野に注力すべきなのであろう。

 最後に、筆者が紹介するMBAに関するお薦めの本を紹介して終わりたい。

  • ロジカルシンキング分野:『考える技術・書く技術−問題解決力を伸ばすピラミッド原則』 バーバラ・ミント著 ダイヤモンド社
  • ファイナンス分野:『コーポレート・ファイナンス 第六版』 リチャード・ブリーリー他著 日経BP社
  • マーケティング分野:『マーケティング原理−戦略的行動の基本と実践』 フィリップ・コトラー他著 ダイヤモンド社
  • コーポレート・ストラテジー分野:『競争の戦略』 M・E・ポーター著 ダイヤモンド社
>2005.07.23.SAT


△0413 『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』 >江國香織/集英社文庫

 背表紙あらすじ:安全でも適切でもない人生のなかで、愛にだけは躊躇わない−あるいは躊躇わなかった女たち。愛することと幸福とは同義では決してなく、彼女たちの潔さは、泣きたくなるほどせつない。恋愛の高揚感、男が去った後の寂寥、愛と生活との断層、嫉妬の苦しみ・・・・・・。愛することをとおして人生を切りとった、心にしみとおる傑作短篇集。第15回山本周五郎賞受賞作。

 副題というか、タイトルの横に英文が添えられている。「It's not safe or suitable to swim」 あとがきにあるように、これは筆者自身がアメリカを旅行したときに実際に見た立て札の言葉だそうである。文法的には「nor」を使うべきかも知れないが、その立て札には「or」とあったそうである。一見、どうでもいいような立て札を見て、文法的なひっかかりを感じたことから、本書のような物語に発展するというのはすごいことだと感心。作家のアンテナというのは色んなものをキャッチするものである。

 さて、山本周五郎賞の作品ということで、期待して読み始めたのだが、あまりにもさらっと読めすぎた為、拍子抜けしてしまった。文庫本なのに、大きな文字、広い行間で読みやすいのは良いのだが、あっという間に読めてしまって少々物足りない。本当は一編一編味わって読むべき作品なのだろうが、ついついいつものペースで読んでしまう。速読もいいけど、本にはそれなりの適正速度があるのかもしれない。

 とはいうものの、小一時間で一冊読めてしまうというのは気持ちがいい。さらさらと流れる小川の様に、小気味よい短編が頭の中を流れていくような。さらっと読めてしまっただけに、印象も少し薄いのだが、たまにはこんな読書も素敵だと思った。一番印象的だったのは『犬小屋』だろうか。女性が中心の物語の中で、ストレスを抱える男性の描写がイキイキとしていて面白かった。『サマーブランケット』とか、『動物園』も好きな作品である。

 いつも書いていることだが短編の評価というのは難しい。どれか1つが飛びぬけて素晴らしくてもダメだし、一編でも駄作が入るとダメだし…。ところで、文学賞というのは短編に与えられるものなのだろうか、短編集に与えられるものなのだろうか。ちょっとこんがらがってきた。

>2005.07.17.SUN


△0412 『幻の女』 >香納諒一/角川文庫

 背表紙あらすじ:五年前に愛を交わしながらも突然姿を消した女、瞭子と偶然の再会を果たした弁護士の栖本誠次は、翌朝、彼女の死を知った。事務所の留守電には、相談したいことがあるとの短い伝言が残されていた。手がかりを求めて彼女の故郷を訪ねると、そこには別の人間の少女時代が…。愛した女は誰だったのか。時を遡る執拗な調査は、やがて二十年前の産業誘致をめぐる巨大な陰謀と、政財界をも巻き込んで蠢く裏社会の不気味な構図に行き当たる。謎とサスペンスの中に孤独で真摯な愛の行方を描き切った第52回日本推理作家協会賞受賞の傑作、待望の文庫化!

 1999年のこのミス6位の作品である。会社近くの本屋で平積みにしてあり、大々的に宣伝していたのでつい手を伸ばしてしまった。本の感想というのは、本の値段に左右されてはいけないと思うのだが、やはり高い買い物をしたときには、面白さを期待してしまうわけであり、本書など文庫本にもかかわらず税込940円と少々お高め。本屋の宣伝もあり、期待は高まっていたわけである。

 その期待値からすると、申し訳ないが「期待外れ」 こういったハードボイルド・テイストの作品が好みの方もいらっしゃるのだろうが、個人的には日本を舞台にしたハードボイルドは、よほど設定をうまくしないと非現実的になり、よい作品に仕上がりにくいと感じている。そういった意味では離婚が原因でなげやりになっている弁護士という主人公の設定はなかなかおもしろかったのだが…。

 ストーリー自体に魅力を感じなかったのはその複雑さ故であろう。あとがきで筆者自身が書いている通り、この作品は3回書き直したそうである。改稿ではなく、世に出す前に3回の大幅推敲をしたとのことだが、推敲の過程でプロットが複雑になりすぎたように感じる。瞭子という女性の過去やそこから判明してくるとある地方自治体に隠された事実。謎が謎を呼びという発送は悪くはないのだが、新事実を突き詰めるというよりも、新たな真相が全く別の事実の発見につながり、物語が拡散していくように感じた。「瞭子」の正体は、という謎解きにうまく収斂していかないように感じたのである。ラストでは瞭子の正体も、なぜ別人に成り代わったかもきちんと説明されていくのだが、瞭子の正体以外の事実が沢山湧き出てくる為、軸がふらついているように感じたのである。

 また、その事実を解明するシーンも今ひとつ。とある女性が謎解きをしてくれるのだが、事実を知っている第三者が全てを語るというのは、時間が限られた2時間ドラマのミステリーでは許されても、これだけのページを割いた作品ではどうなのだろう。台詞の端々や、主人公の行動の積み重ねで少しずつ事実が判明していくべきではないだろうか。前半部分はそのような、台詞や行動の積み重ねを感じられたが、ラストの真実暴露シーンには裏切られた気がしてしまった。恐らく筆者もこのような形を望んだわけではないのだろうが、やはりプロットが複雑すぎる為、誰かに一気通貫に話をさせなければならなかったのであろう。

 もう少し物語を整理し、あれこれ詰め込まずに構築しなおせば、素晴らしい作品になるのではないだろうか。設定自体は非常に面白いのだから。

>2005.07.10.SUN


△0411 『サウダージ』 >盛田隆二/角川文庫

 背表紙あらすじ:「サウダージ」、それは、失われたものを懐かしむ、さみしい、やるせない想い―。日本人の父とインド人の母の血をひく裕一。若いパキスタン人労働者シカンデル。日系四世のルイーズ。裕一の行きつけのバーの雇われママ、フィリピン人女性ミルナ。それぞれが癒しがたい喪失感を抱きながら、東京に流れ着き、出会い、そして別れていく。人々の胸に去来する、やるせない想いを描く傑作長編。

 ついに10万ヒット達成である。足掛け2年半。達成にかかる時間が長いのか短いのかよく分からないが、とにかく嬉しい。これも偏に皆さんのおかげです。最近更新のペースが鈍りがちだが、少しずつペースアップを図りたい。やはり月に10冊は読みたいところ。

 さて、『サウダージ』 どこかで聞いたことのある単語だと思っていたら、ポルノグラフティというバンドが歌っていた歌の名前だった。日本では「孤愁」とか「思慕感覚」と訳されているが、ちょっとニュアンスが違うそうである。「失ったものを懐かしむ感情」というのがしっくりくるらしい。失ったものというのは主に故郷のことだろうか、本書には祖国を出て日本で働く人たちがいきいきと描写されている。

 主人公は、あらすじにもある通り、父親が日本人、母親がインド人のハーフの青年・裕一である。しかし、この裕一が全面に出る小説ではなく、主人公不在と言うのだろうか、彼の父親や友人たち脇役が、まるで主人公のように前へ前へと出てくる小説である。普通であれば、主人公がはっきりしないと焦点がボケてしまうものだが、本書はむしろそのボヤケ具合を楽しむべき小説と言えそうである。

 裕一は派遣社員の登録会社に勤めており、不況時で仕事を得ることの出来ない女性から誘惑されたりとなかなか大変。そんな女性の1人であるワープロオペレーターに誘惑され、無理矢理関係を迫られる。これとは別にキッチンドランカーになってしまった梶井多恵子という女性。中学2年生の娘が家出をしてしまい、裕一に電話をかけてくる。さらにはあずさという中学2年生の家出少女。ひょんなことから家に連れて帰ってしまうのだが…。

 ワープロオペレーターにも中学生の子供がいるため、多恵子という女性と混同してしまい、さらには多恵子の娘=あずさという図式も自然と頭に浮かんでしまう。これは作者が意図的に読者を混乱させようとしているのだろうが、多恵子の娘があずさだという決定的な描写は見当たらない(と思う。読み落としていなければ)混乱した状態で読み進めたため、母親と娘の両者と関係を持つのかと、陳腐さを感じかけたところで、筆者の意図に気付いて、やられたと思ったのだが、このような小説ならではの人物の描き方がなかなか面白かった。

 さて、主人公がハーフというと、2つの国籍の狭間でアイデンティティに思い悩むという構図を思い浮かべて、その使い古されたテーマにうんざりしてしまうのだが、本書は少し指向が違うように感じた。主人公はほとんど日本人として生活しており、アイデンティティというよりも母親の愛に飢えているという構図である。これだけ世界が狭くなるとハーフというのも珍しくないわけであり、微妙にテーマをずらしたところがよかったのではないだろうか。

 タイトルに立ち返ると「サウダージ」というのは、まさに失くしてしまった母親に対する思慕であり、深いところでは主人公自信のアイデンティティに繋がるのであろう。ミステリーやビジネス書を好む私だが、たまにはこういった小説も面白い。佐藤正午や白石一文と同じにおいを感じるのだが、果たしてこういった小説は何というジャンルに属するのであろうか。まぁ無理にジャンル分けする必要はないのだが。

P.S.100,000 hits over! >2005.07.05.TUE

苗村屋読書日記 [83]

     



































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