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![]() ○0430 『毎日が日曜日』 城山三郎 △0429 『時生』 東野圭吾 △0428 『ゲームの名は誘拐』 東野圭吾 △0427 『買収者(アクワイアラー)』 牛島信 ×0426 『電通「鬼十則」』 植田正也 ○0430 『毎日が日曜日』 >城山三郎/新潮文庫 背表紙あらすじ:日本経済の牽引車か、諸悪の根源≠ゥ。毀誉褒貶の著しい日本の総合商社の巨大な組織とダイナミックな機能、日本的体質と活動のすべてを商社マンとその家族の日常生活とともに圧倒的な現実感で描く。世界に類のない機動力を持った日本の総合商社の企業活動の裏側で展開されるなまなましい人間ドラマを通して、ビジネスマンにとっての幸福な人生≠ニは何かを興味深く追求した話題作。 再読である…。前回読んだのは、1996.10.28と記録しているのだが、全く記憶にない。読んだつもりになって、実は読んでいないのではないかと疑うほど。数年前に読んだ本であれば、ラストや途中の詳細を忘れることはあっても、断片的なシーンは覚えているものなのだが…。後半部分の、息子の足の事故のシーンなど、印象的なので覚えていても良さそうなものなのだが、なぜか記憶にない。こんなことは始めてである。 やはり読んだつもりで、間違えて記録したのであろうと思い、漸く最後まで読み終えたとき、最後の最後で、金丸相談役から虎の敷物を贈られるシーンだけが、記憶の底から蘇ってきた。やはり読んだのであろうか。物語の本筋よりも、自分の記憶の曖昧さが、怖くも面白く、妙な体験をした気分である。 さて、前置きが長くなったが、作品の方は、さすがに城山三郎のベストセラーだけあって、面白い。昭和51年、1976年に書かれた小説だから、若干の古さは否めないが、少し設定を変えてやれば、十分現在でも通用する作品である。同じ商社を描いた『不毛地帯』と好対照に、こちらはむしろエリートコースから外れたサラリーマンを描いている。両作品とも、高度経済成長を支えた商社の物語。一方は表舞台で、もう一方は縁の下の力持ちとして。 真面目に真面目に真面目に。主人公・沖は真面目を絵に描いたような人物。京都支店長を命じられ、社長や相談役の接待を行なう立場になるのだが、なかなかうまくゴマを摺れない。そんな真面目な彼に、金丸相談役は、優秀な人材も必要だが、真面目な人材も同じように必要だと言う。大切にされているようであり、一方で真面目なだけで優秀ではないと突き放されている要でもあり、沖にとっては複雑な言葉であったが、日本の経済成長を支えたのは、これらの真面目な人たちであったと思う。 商社についての描写が面白い。「各国で日本のまねをして、総合商社をつくろうという動きが出ている。現に扶桑商事でも、二つの国からたのまれて、その国の総合商社づくりを手伝ったが、いまは、いずれもうまく動いていない。それというのも、日本の総合商社には、長い伝統と信用、蓄積された技術と情報、広大な通信網・支店網、関連する多種多様の企業集団、といった裏づけがある。商社の組織だけつくればすむ、といったものではない。それに、1億2千万という大きな人口を基礎購買力として持つという強みがある。さらにまた、日本人の特性である創意と勤勉、組織力、教育水準の高さといったものがフルに生かされてこそ、初めて総合商社は完全な機能を発揮できる」 商社不要論が叫ばれて久しいが、総合商社はまだまだ生き残っている。一部の商社が生き残りに失敗したとはいえ、大手は健在。商社はそのビジネススタイルを微妙に変えながらも、まだまだ生き延びていくのだと思う。 また本書は、仕事と家族のどちらが大切か。そんな素朴な疑問をビシビシと投げかけてくる作品でもある。ある程度までは仕事が大事、しかし、究極的には家族が大事というのが、今の私の回答だろうか。仕事を投げてしまっては、生活に張りがなくなるであろうし、今の世の中リストラだってありうる。ある程度までは努力を重ね、また家庭を犠牲にせざるを得ないときもあるだろう。しかし、最後の最後に自分の傍にいてくれるのは会社ではなく家族なのだから、おろそかに出来るものではない。改めてそんな気持ちにさせてくれた作品である。
△0429 『時生』 >東野圭吾/講談社文庫 背表紙あらすじ:不治の病を患う息子に最期のときが訪れつつあるとき、宮本拓実は妻に、20年以上前に出会った少年との想い出を語りはじめる。どうしようもない若者だった拓実は、「トキオ」と名乗る少年と共に、謎を残して消えた恋人・千鶴の行方を追った——。過去、現在、未来が交錯するベストセラー作家の集大成作品。 講談社から刊行された『トキオ』を漢字に改題したもの。個人的には『トキオ』の方が好きなのだが。それはさておき、東野圭吾については今ひとつの作品であった。例えるなら、パンはおいしいのに中味の具がイマイチのサンドイッチ。序章と終章は秀逸なのだが、途中の冒険譚は何なのだろうか。息子が親父を成長させるというコンセプトは面白いと思うのだが、ヤクザを相手に大立ち回りをさせる必要がどこにあったのだろうか。 ミステリー調かと思いきや、謎解きの方もそれほど面白いわけではない。なんとなく勢いで読んでしまったが、やはり前述のサンドイッチ的印象は拭えない。さすがに、ラストではジーンときて、目が潤んでしまったが、ラストが良いだけに、中盤が…。やめよう。堂々巡りになってしまう。 堂々巡りといえば「トキオ」という名前。拓実が付けた訳ではなく、トキオが自ら自己紹介している。過去に出会った息子が語っていた名前を、実の息子に付けるのだが、そうなると一体誰が…。作中では特に触れられていなかったが、いわゆるタイムパラドックスである。恐らく、作者は意識してのことであろう。となると、今回の「トキオ」→「時生」への改題もなんらかの意図があるのだろうか。 タイムパラドックスについて詳しく知りたい方は、広瀬正の名著『マイナス・ゼロ』をご参照いただきたい。
△0428 『ゲームの名は誘拐』 >東野圭吾/光文社文庫 背表紙あらすじ:敏腕広告プランナー・佐久間は、クライアントの重役・葛城にプロジェクトを潰された。葛城邸に出向いた彼は、家出してきた葛城の娘と出会う“ゲームの達人”を自称する葛城に、二人はプライドをかけた勝負を挑む。娘を人質にした狂言誘拐。携帯電話、インターネットを駆使し、身代金三億円の奪取を狙う。犯人側の視点のみで描く、鮮烈なノンストップ・ミステリー。 誘拐をテーマにしたミステリーは色々あるが、一番毛色が変わっていると感じた作品。普通であれば、身代金の受渡しをどうするかが、誘拐ミステリーの醍醐味なのだが、本書は狂言誘拐ということで、むしろ別の部分に力点が置かれている。 ラストまで一気に読ませるストーリー展開は流石だと思うし、根底に流れるアイデアも秀逸。しかし、なぜか小説の世界に入り込むことが出来なかった。書評を書いていて気づいたのだが、背表紙のあらすじを見ると「犯人側の視点のみで描く」とある。なるほど、確かに犯人側の視点しか取り入れていない。その悪影響が出た部分かもしれないが、被害者の葛城副社長のイメージが膨らまないのである。主人公の好敵手として活躍するのだが、冷酷無比という印象を抱くならまだしも、ガラスの人形を見ているかのごとく無感情に感じてしまうのである。 もしかしたら、それが作者の狙いなのかもしれないが、まるでテレビゲームを相手にするように、淡々と誘拐というゲームを展開するだけの物語になってしまったように感じるのである。本書が東野圭吾以外の作家の手で書かれていたものであれば、もう少し評価は甘かったかもしれないが、期待値が大きいだけにどうしても辛口になってしまう。 いずれにせよ、ラストの1行は秀逸。伏線たっぷりのこの1行は東野にしか書けないのではないだろうか。
△0427 『買収者(アクワイアラー)』 >牛島信/幻冬舎文庫 背表紙あらすじ:「先生、あの男をビジネスマンとして二度と立ち上がれないようにしたいんだ」―大木弁護士は驚いた。依頼者は六五歳の功成り名を遂げた男。かつての先輩で今は犬猿の仲の大物財界人の六二歳の妻を奪うため、彼の会社を乗っ取るという。株主代表訴訟、公開買付、第三者割当などを駆使した合法的復讐=敵対的買収を描く企業法律小説の新機軸。 この著者の本は、常に時代を一歩先取りしているように感じる。本書が書かれたのが2000年の1月。前後して、昭栄に対する敵対的買収や東京スタイルへの委任状合戦が勃発している。これらの敵対的買収に関する事件は、一部のビジネスパーソンの間では、かなり話題になったのではなかろうか。そして、今年に入ってからのフジテレビvsライブドア事件。公開買付、ホワイトナイトなどのM&A用語が、お茶の間でも飛び交うようになったのは、結果として日本人の意識をひっくり返すのに貢献したのではないだろうか。 このように、著者が描いてきたことが、事実として起こりつつあるのだが、一方で少し視点を転じてみると、これは米国で起こってきたことなのである。著者のような国際的な弁護士であれば、米国事情には精通しているはずであり、米国の10年あとを歩むといわれている日本経済にも、やがてM&Aの風が吹くというのは大いに予想できたことであろう。 さて、著者の作品は『株主総会』『MBO』と2冊を読了しているが、どの小説にもクライマックスが2回あるように感じる。最初に、あっけない終わり方をしたと思った買収が、2回目で成功するが…。小説の構成としてはなかなか面白く、盛り上がるのだが、実際弁護士の仕事というのは、こういった逆転、また逆転の世界なのかもしれない。 ラストはなんとも悲しい結末。敵対的買収の果ては、厳しい現実が待っているということを象徴的に描写したかったのだろうか。米国でも敵対的買収ではうまくいかないという意見が増えてきていると聞く。ホリエモンによる買収騒動や、中央青山の粉飾幇助など、どこかで聞いたようなニュースばかりが紙面をにぎわせている。日本は、良い面悪い面を問わず、米国に追随しているようだが、米国の悪い面は先行指標として学習し、回避出来ないのだろうか。そのためには、強烈なリーダーシップが必要なのだろうなぁ。
×0426 『電通「鬼十則」−広告の鬼・吉田秀雄からのメッセージ』 >植田正也/日新報道 かの有名な「電通・鬼十則」を解説した本である。このような教訓というのは、シンプルであるからよいのであって、だらだらと解説すべきものではないと思う。また、シンプルな中に、自分なりの解釈を盛り込んでいくのが面白いのであり、そこに「考える」という行動が生まれるのである。このように解説付きで教訓を出されてしまうと、思考が飛躍しないとおもうのだが、どうだろうか。 決して「鬼十則」そのものを非難しているわけではない。目次だけを読めば十分な本である。
苗村屋読書日記 [86]
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