○0450 『チーム・バチスタの栄光』 海堂尊
△0449 『国家の品格』 藤原正彦
△0448 『将棋の子』 大崎善生
△0447 『扉は閉ざされたまま』 石持浅海
△0446 『熱球』 重松清


○0450 『チーム・バチスタの栄光』 >海堂尊/宝島社

 色々なところで評判になっているようだが、確かに新人離れした力作。評判につられて、久しぶりに単行本で購入したミステリーである。黄色い背景に手術道具という表紙も鮮やかで本屋でも目に付きやすい。売れ行きも好調のようである。物語の方は、とある大学病院が舞台。アメリカ帰りの医師がバチスタと呼ばれる心臓の難手術に成功する話・・・と思いきや、突然、手術の成功率が下がってしまう。不定愁訴外来、別名グチ外来の万年講師がその原因究明に乗り出すのだが…。医療ミスの原因を突き止めるという新しいタイプのミステリー。そういえば『症例A』という小説が、病名を突き止めるミステリーということで少し似てるかもなと思いつつ読み進めた。

 現役の医師が書いただけあって、豊富な医療知識に裏打ちされた描写は圧巻。手術室の様子など、素人が克明に書くのは難しいのではないだろうか。現場を経験しているのだから、描写できて当然といえば当然だが、手術室の緊迫した雰囲気がきちんと伝わってくる。

 謎解き自体は、ミステリーとしては平凡なもの。しかし、そこに至るまでの過程が面白い。桐生助教授とその義弟である鳴海。この二人の秘密に迫ったときは、これで解決かと確信したのだが、筆者はさらなるどんでん返しを用意してくれている。各人のキャラクターも良い。主人公の田口講師はもちろんのこと、厚生労働省の白鳥、前述の桐生、鳴海など、それぞれの性格を丁寧に練り上げた結果であろう。

 選考委員の一人が指摘していた、田口によるインタビューと白鳥によるインタビューが前後半で二回繰り返されている点は確かに気にはなるが、物語全体のリズムを崩すほどではない。むしろテンポが加速していく様が、面白い反面、「軽さ」として現れてくるのが残念な部分だろうか。最近、白い巨塔の連続ドラマをDVDで観ていた為、大学病院における医局というものの位置づけがある程度理解出来ており、何の予備知識も持たない上体よりもはるかに楽しめたように思う。しかし、先ほど指摘した「軽さ」というのは、まさしく『白い巨塔』と比べての軽さ。こちらはミステリーなのだから、あれほど重厚な作品と比べては申し訳ないのだが、この作者であれば、ミステリーという範疇を超えた重厚な病院ドラマが書けるのではないかと期待して、このような感想を抱いた次第。

 最後に、筆者が有能な実務者であることを垣間見させてくれる文章を抜粋して終わりたい。「今、私にできることは、運任せになる部分をできるだけ少なくする努力をすることです」(By桐生) 「どんな時も冷静で、取り乱した姿は見たことがない。器の大きさを感じます。特に、素早く広い視野からのチェックがありがたい」(By羽場) 「(手術の成功率が高いことに対して)数字で人は救えません。失われた命を前にしたら、数字なんて何の意味も持ちません」(By桐生)

>2006.03.17.FRI


△0449 『国家の品格』 >藤原正彦/新潮新書

 最近、何かと話題の本である。なんと現在のところamazonの売れ筋ランキング堂々1位。これは凄いことだと思う。というのも、本の性格からして結構年輩の方、少なくとも30代以上の方が読むのではないかと勝手に考えているのだが、そうすると30代以上、もっと言うならば40代、50代にもamazonで本を買うという行為が浸透しつつあるということではないだろうか。逆に、この本をネット世代の10代、20代の方が読んでいたとしても、それはそれで凄いことのように思う。本書が1位になるという部分に、まだ日本人の品格が残っていたように感じて、何だか嬉しくなってしまった。

 筆者・藤原氏は数学者である。妻はテレビに出ているのを見知っているそうで、何かの相談コーナーのような番組でウイットに富んだ受け答えをみてファンになっていたらしい。たまに「マサヒコちゃんが…」とちゃん付けで呼んでいたので、てっきり西村雅彦のことだと思っていたのだが、マサヒコ違いであったようだ。

 さて、内容のほうだが、まず、最近のライブドア事件をはじめとする、ITバブルに警鐘を鳴らし、米国のビジネスモデルを理想とする風潮に釘を刺している。「合理化」「論理的」だけでは、物事はうまく行かないと警告しているのである。中でも興味深かったのは、日本人の英語に対するコンプレックスについて論じている部分。最近、小学生から英語を勉強させようという風潮が高まっているそうだが、それに真っ向から反対意見を述べているのがマサヒコちゃんである。

 彼が言いたいのはズバリ、言語は手段であり、話すべき内容・中味を持っていないと真の国際人にはなれない、というもの。日本人として、小学生という大切な時期に他国の言語を覚えるよりも、日本人として大切な感性を磨くべきと主張しているのである。これには大いに賛同。「こんな勉強を続けていると、英語の実力がアメリカ人の5割、日本語の実力が日本人の5割という人間になります」という指摘には、大笑いしてしまった。ちなみに私は普段無口なのだが、一生懸命英語を勉強している私に向かって、妻曰く「いくら勉強しても無口な人はあんまりしゃべられへんのとちがう?」…参りました。

 もうひとつの論点は「真のエリート」について。エリートには2つの条件があるそうで、1つ目は文学、哲学、歴史、芸術、科学といった、何の役にも立たないような教養をたっぷり身に付けていること。(何の役にも立たないというのは言い過ぎな気がするが…) もう1つは「いざ」となれば国家・国民のために喜んで命を捨てる気概があること。俗世に拘泥しているようでは真のエリートと言えないそうである。

 確かに明治維新の頃の日本人にはこのような気概をもった人物が多かったように思う。平和な現代で命を捨てる必要に迫られることは稀であろうが、ようは「その覚悟」があるかないかと言うことであろう。影響されやすい私は、早速、新渡戸稲造の『武士道』を購入してしまった。積読にならぬよう、読まなければ…。

>2005.03.13.MON


△0448 『将棋の子』 >大崎善生/講談社文庫

 背表紙あらすじ:奨励会……。そこは将棋の天才少年たちがプロ棋士を目指して、しのぎを削る”トラの穴”だ。しかし大多数はわずか一手の差で、青春のすべてをかけた夢が叶わず退会していく。途方もない挫折の先に待ちかまえている厳しく非情な生活を、優しく温かく見守る感動の1冊。第23回講談社ノンフィクション賞受賞作。

 『聖の青春』以上に泣けるという前評判に期待していたのだが、結果は今ひとつ。名作には違いないし、ところところでホロリとさせられたが、「泣き」という点では『聖の青春』の方が上。これは、作品そのものの出来栄えよりも、好みの問題であろう。

 将棋の世界、とりわけプロ棋士の世界というのは非常に厳しく、一定期間の間に四段になれないと将棋会を去ることを余儀なくされてしまう。そんな厳しい世界に身を投じ、挫折を味わった若者達をオムニバス形式で綴った物語。かといって短編集でもない。成田という筆者と同郷の若者にスポットを当て、彼の物語の中に「挿話」という形で、他の若者の人生を描き出すという手法を取っている。

 一見するとよいアイデア、面白い構成のようだが、話があちこちに飛んでいるように感じてしまった。話が散漫していると感じたがために、成田という青年に感情移入しきれず、今ひとつという感想を抱いてしまったように思う。いっそのこと、完全な短編集にして、一人一人の若者達の青春を書き込んでいった方が良かったのではなかろうか。

 とは言うものの、主人公格である成田のキャラクターは興味深い。自分のことを「こっち」と呼び、純粋で将棋のことしか頭にない青年。将棋会を去ってからはつらい毎日を送っているようだが、そこに暗さはない。しかし、将棋会を去るシーンや母親が死期を迎えるシーンではさすがに目頭が熱くなってしまった。

 ラストへ向かう筆の運び方も秀逸。筆者に厳しい現実を突きつける奨励会の規則だが、それでも筆者は将棋は「やさしい」という。将棋会にどっぷりと浸かった者にしか分からないやさしさなのであろう。

 最近はアマがプロを倒すという話をよく耳にする。かつて神童と恐れられた羽生ももうベテランの領域。その羽生と同じ年代のアマチュアが活躍中とか。インターネットの発達が、情報の共有化を促し、将棋界に新しい風を送り込もうとしているようである。こんなところにも技術革新の影響が出てきているのかと少し驚いた。

>2006.03.06.MON


△0447 『扉は閉ざされたまま』 >石持浅海/ノン・ノベル

 背表紙あらすじ:久しぶりに開かれる大学の同窓会。成城の高級ペンションに七人の旧友が集まった。(あそこなら完璧な密室をつくることができる―)当日、伏見亮輔は客室で事故を装って後輩の新山を殺害、外部からは入室できないよう現場を閉ざした。何かの事故か?部屋の外で安否を気遣う友人たち。自殺説さえ浮上し、犯行は計画通り成功したかにみえた。しかし、参加者のひとり碓氷優佳だけは疑問を抱く。緻密な偽装工作の齟齬をひとつひとつ解いていく優佳。開かない扉を前に、ふたりの息詰まる頭脳戦が始まった…。

 このミス2位ということで、期待して読み始めた。単行本はなかなか高くて手が出しづらいのだが、本書は新書サイズで880円。値段も手頃である。

 舞台は成城の高級ペンション。最初から都内であることは分かっているのだが、読み進めていくうちに山奥のペンションのように感じてくる。本格ミステリーの館モノを連想させると思っていたら、まさしく「本格」のミステリー。よく見ると表紙にきちんと「長編本格推理書下ろし」と書いてあった。本書が面白かったのは、犯人探しをするのではなく、犯人が犯した犯罪がどのように暴かれていくかの過程を克明に綴ったところであろうか。あまり本格は読んでいないので何ともいえないが、どちらかというと犯人探しが多いのではないかと感じる本格において、刑事コロンボや古畑任三郎的な構成というのは珍しいのではないかと思う。

 細かな伏線が後々に効いてくるし、碓氷優佳という少女の抜群の観察力も説得性があり面白い。ラストでの主人公であり犯人である伏見亮輔の選択も苦笑いをさせるもの。本格といいつつ、作者自身が意識しているように扉を斧で叩き壊すといった非現実的な世界を遠ざけ、都心であるという制約をうまく利用して丁寧な作品に仕上がっている。しかし、このミス2位に相応しいといえるかどうか。個人的にはもう一頑張りしてほしいと思った作品であった。

>2006.03.03.FRI


△0446 『熱球』 >重松清/徳間書店

 背表紙あらすじ:20年前、町中が甲子園の夢に燃えていた。夢が壊れたとき捨てたはずの故郷に戻った悲運のエースは38歳、目下失業中。父と、小学5年の娘と3人の同居生活がはじまった。留学中の妻はメール家族。とまどう日々で見つけたあふれる思いとは?

 以前にも書いたかもしれないが、読書にはタイミングというか、読むべき時期というものがあると思う。本書はまさにそんな作品であり、これを大学生の頃に読んでもあまり感慨は大きくなかったであろう。自分自身が結婚し、親が引退し、といった30代から40代の方が読むと、大きな共感とともに自分の人生を振り返ってみたくなるような感慨にふけることが出来るように思う。

 主人公は20年前のとある事件により甲子園に行くことができなくなったしまった元エース。その事件をきっかけに地元が嫌になり上京するのだが、仕事面でうまくいかず20年ぶりに帰省してくる。重松氏自身が田舎育ちであるせいだろう、田舎の排他的で陰湿な部分が象徴的に描かれている。もちろん、田舎というのは嫌な面ばかりではないのだが、多感な高校生から大学生にかけての若者にとっては、ありがた迷惑的なおせっかいに溢れていると感じてしまう面があるのは否めない。

 私自身も、そんな田舎特有の空気が嫌で、大学生のときから田舎を離れて、もう15年以上。都会は都会で人間関係が難しかったりするので、結局隣の芝生が青く見えるということだということに、漸く気付きつつある。国内を旅行するときなど、わざわざ自然に溢れる地域を選んだりするのだが、ふと、こんなところへ来なくても帰省すれば十分に自然を堪能できるのにと、おかしくなったりもする。

 本書は、今も変わらない地元で暮らす友人と、都会で変わってしまった主人公。その妻と娘と父親との葛藤を描いた作品。現実にありそうなシチュエーションで、読者の心に切り込んでくるあたりは、さすが重松清である。

 本書のもう一つのテーマは、行けなかった甲子園。なぜ行けなかったかについえは、なかなか重たい理由があるのだが、その理由は本書を読み進めるうちに明らかにされる。ネタバレになるのでここでは控えさせて頂くが、ちょっとした謎解きが入ると小説というのは俄然面白くなる。少しだけ種明かしをすると、甲子園には試合に負けて行けなかったのではなく、試合すら出来ず、つまり負けることすら出来ずに行けなかったのである。

 「高校野球の真髄とは負けることにある」という。確かに、トーナメント戦というのは優勝する一校以外、全てのチームが負けを経験する。そんな過酷な戦いだが、全力を出し切って負けるというところには、ある種のすがすがしさも存在する。しかし、不戦敗というのは…。この問題に対する解答も、筆者はきちんと用意してくれている。40近くになった主人公に、負ける場面を用意してくれているのである。

 2つのテーマをうまく融合させて、ラストもほんのりと温かみのあるものに仕上がっている。都会暮らしに疲れたときに、仕事に忙殺されて疲れたときに手にとって見ると、少し癒されるであろう作品。

P.S.150,000 hits over! >2006.02.26.SUN

苗村屋読書日記 [90]

     



































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