○0460 『クラインの壷』 岡嶋二人
○0459 『楽園』 鈴木光司
△0458 『光射す海』 鈴木光司
△0457 『MOMENT』 本多孝好
△0456 『すべては一杯のコーヒーから』 松田公太


○0460 『クラインの壷』 >岡嶋二人/新潮文庫

 背表紙あらすじ:ゲームブックの原作募集に応募したことがきっかけでヴァーチャルリアリティ・システム『クライン2』の制作に関わることになった青年、上杉。アルバイト雑誌を見てやって来た少女、高石梨紗とともに、謎につつまれた研究所でゲーマーとなって仮想現実の世界へ入り込むことになった。ところが、二人がゲームだと信じていたそのシステムの実態は…。現実が歪み虚構が交錯する恐怖。

 本書も再読。初読は1995.10.11。最初に読んだときは、岡嶋二人の最高傑作ではないかと思っていたのだが、改めて読み返すと個人的には『99%の誘拐』の方が好きだろうか。作者の意図なのだろうが、基本となるネタが非常に重厚なものにもかかわらず、主人公が若者であるがために軽い印象を受けてしまう。若者といっても25歳なので、もう少し大人の行動を取らせても良かったのではなかろうか。

 それにしても、バーチャル・リアリティを体現できるマシンという発想は素晴らしい。これをゲーム機として登場させるところが岡嶋二人らしくてよい。果たして本当にゲーム機なのか、それとも軍事用に開発された最新鋭の洗脳マシンなのか。

 「クラインの壷」とは、有名な「メビウスの輪」を三次元的にしたもので、表と裏の区別がない壷のことをいう。メビウスの輪というのは、細長い紙テープを、半分ねじって輪にしたもので、誰でも小学生の頃に一度は作ったことがあるのではなかろうか。輪の上を鉛筆でなぞると、裏表の両面を辿り、結局最初の起点に戻ってくる。当然といえば当然なのだが、小学生の頃は妙な興奮を覚えたものである。ちなみに私は、メビウスの輪をドラえもんから学んだ。

 メビウスの輪がきっかけかどうかわ分からないが、小中学生にかけては、SF的なものに興味を持った時期であり、ピラミッドの謎、オーパーツなどに関する本を何冊か読んだ記憶がある。クラインの壷のことも知っており、捻じ曲がった妙な形の壷のことを鮮明に覚えている。しかし、そこからこのような壮大な物語を紡ぎ出すというのは、やはり岡嶋二人ならではの力量であろう。

 『クラインの壷』というタイトルに相応しく、裏と表、つまりは現実とバーチャル・リアリティの世界が入り乱れる物語。どこまでが現実でどこまでがゲームの世界なのかが、あやふやになって行くあたりの描写は、背筋が冷たくなっていく。良質のミステリーだが、一種のホラー小説といっても良いであろう。最終的な結論が出ないまま、読者までをも表裏一体の世界に巻き込んだまま終わるのもいい。一読をお薦めしたい作品である。

 話は変わるが、こういった本を読んでいて時々疑問に思うのが、世の中に本当の「直線」は存在するのだろうか、ということ。直線とは、いうまでもなく「真っ直ぐな線」のことだが、我々が住んでいる地球は球形であり、また我々の眼(眼球)も球形である。そう考えると、どんな直線も実は微妙に丸みを帯びているのではないかと疑ってしまうのである。本当の直線が存在しないとなると、我々の目に映る風景などは、どこまでが実体を表わしているのだろうか?

>2006.05.12.FRI


○0459 『楽園』 >鈴木光司/新潮文庫

 背表紙あらすじ:いつかきっとめぐり逢える。この想いがつづく限り―。太古のモンゴル砂漠で暮らしていた男女が、他部族の襲撃により離れ離れになってしまった。伝説の赤い鹿の精霊に導かれた男は、最愛の妻を追う。そして18世紀の南太平洋の小島で、現代のアリゾナノ地底湖で…。一万年の時と空間を超え、愛を探しつづける壮大なファンタジー。第二回日本フアンタジーノベル大賞優秀賞受賞作。

 『光射す海』に続いて、こちらの初読も1996.07.27になっている。文庫本を2冊購入して、引き続き読んだのであろう。こちらの方は、素直に楽しめる作品で、なかなか面白かった。今回も『光射す海』と本書とを立て続けに読んだのだが、前回は気付かなかった類似点に注目してみたい。

 少々ネタバレになってしまうのだが☆まずは、自分の夫以外の子供を身ごもるという点。『光射す海』では、この為に1人の女性が救われるし、本書では、殺戮を受けた部族の希望となる。本来あってはならないことであろうが、両作品とも夫以外の子供を身ごもることが前向きに書かれている。もう一つは「舟」の存在。『光射す海』ではマグロ漁船、本書では『神話』の章で勇者ボグドが舟に乗り込み、また『楽園』の章でも舟が大きな意味を持つことになる。

 3つの時代に渡り、壮大なロマンを語りかけてくる大作。主人公まで入れ替わってしまうので、下手な作家が書くとブツ切れの印象になってしまうところであるが、さすがは鈴木光司である。大きなテーマを根底に匂わせ、「赤い鹿」というキーワードを配すことにより、物語に一貫性を持たせている。

 考えてみると、鈴木光司には、筆者自身が海好きなこともあり、「海」をテーマにした作品が多い。また、子煩悩なことでも有名だが、それだけに「生命」に対する関心も一際高いのであろう。既読の『シーズ・ザ・デイ』も似たようなテーマである。一つのテーマを深く掘り下げ、様々な物語を紡ぎ出すのは、面白そうな反面、難しそうでもある。下手をすればワン・パターンに陥ってしまう。最近、話題となる本を出していない筆者だが、良いテーマだと思うので、ぜひもっと掘り下げてもらいたいと思う。

 本書の最終章『砂漠』の中で、印象的なセリフがあったので抜粋しておきたい。ギルバートが作曲家のレスリーに語りかけるセリフである。「天才には二つのタイプがあると思っていた。つまり、発見と創造だ。科学的な天才は、インスピレーションで宇宙の法則を発見する。そして、芸術家は、やはり同じ力で、創造を行う。私はそう考えていた。だが、創造とはようするに新しく生み出すことなのだが、これは人間には手の届かないことかもしれないと、そんなふうに考え始めたんだ。宇宙には、完全な美が浮遊している。君のようなすぐれた音楽家は、それを発見して再生する力を持っている」

 要するに、音楽というのは創造ではなく、予め用意されたものの発見だという説である。面白いと思ったのは、2006.03.27付けの日経新聞で『博士の愛した数式』の著者である小川洋子氏が「物語は作家が作り出すものではなくて、世界のどこかにあらかじめ存在しているのだと思う」と発言を思い出したから。優れた作家というのは、似たような発想を持つのだと感心した次第。話はそれるが『博士の愛した数式』を執筆するきっかけとなったのは数学者であり『国家の品格』の著者でもある藤原正彦氏の『天才の栄光と挫折−数学者列伝』だそうである。こちらも機会があれば読んで見たい。

>2006.05.07.SUN


△0458 『光射す海』 >鈴木光司/新潮文庫

 背表紙あらすじ:入水自殺を図った若い女性は、記憶を失っていた。恋人だった青年は遠洋マグロ漁船の上にいる。二人の間に一体何があったのか――。運命をあらかじめ知っている人間はいない。しかし、はっきりとした確率があるとしたら? 偶発的に誕生した遺伝子が特別の意味を持った時、恋人達はある宿命を背負い、日常の裂け目には一つの危うい人間関係が生じた。気鋭の作家が描く新しいミステリー。

 初読は1996.07.28。当時ヒットした『らせん』を読んで、他の作品も読んでみたいと購入。そのうち再読しようと思っていたのだが、ふと手にとって見たくなった。物語の方は記憶を失った女性の過去を探す話と、マグロ漁船に乗った若者の話しがうまくミックスアップされ、なかなか凝ったつくりになっている。しかし、個人的には今ひとつという感想。これは初読の時と変わらないかもしれない。

 一つのキーワードとして「遺伝子」が出てくる。具体的には「ハンティントン舞踏病」という病が、遺伝子から発生するというもの。この遺伝子や、海をテーマにしているあたり、鈴木光司らしいのだが、なんとなく勢いで書いたような感じが拭えない。

 決して駄作という訳ではないのだが、『らせん』のインパクトが強かっただけに、どうしても比較論で評価は厳しくなってしまう。主人公が誰なのかが曖昧だったのも、感情移入を妨げた要因かもしれない。次は『楽園』を再読しようと思っているのだが、こちらはもう少し面白かったような記憶が…。

>2006.05.04.THU


△0457 『MOMENT』 >本多孝好/集英社文庫

 背表紙あらすじ:死ぬ前にひとつ願いが叶うとしたら…。病院でバイトをする大学生の「僕」。ある末期患者の願いを叶えた事から、彼の元には患者たちの最後の願いが寄せられるようになる。恋心、家族への愛、死に対する恐怖、そして癒えることのない深い悲しみ。願いに込められた命の真実に彼の心は揺れ動く。ひとは人生の終わりに誰を想い、何を願うのか。そこにある小さいけれど確かな希望―。静かに胸を打つ物語。

 あらすじによると「静かに胸を打つ物語」だそうだが、私には「哀しい悪意」に満ち溢れた作品だと感じられた。それぞれの短編が、なかなか凝った構成になっていて、ちょっとした謎解きを含んでおり面白いのだが、その謎解きの部分が、人間の悲しい性(さが)を表わしているように感じたのである。死ぬ直前に何か望みを叶えたい。その望みが「哀しい悪意」だとすると、なんだか寂しくなるではないか。

 病院。平和な日本で唯一、人の「死」が身近にある場所。病院をテーマにした作品というと最近ドラマを楽しんだ『白い巨塔』やなかなかの力作であった『チームバチスタの栄光』を思い浮かべるが、本書は少し毛色の違う作品。医者でもなく、患者でもなく、清掃員という一歩引いた視点で描くことによって、病院の冷たさをうまく表現している。

 そうそう、本書に登場するテネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』は、先日妻が教えてくれたばかりの作品。デジャヴではないが、妙な偶然が心に引っかかったので、一応記録にとどめておきたい。

P.S.160,000 hits over! >2006.04.25.WED


△0456 『すべては一杯のコーヒーから』 >松田公太/新潮文庫

 背表紙あらすじ:27歳で起業を志し大手銀行を退職した青年は、体当たりの交渉でスペシャルティコーヒーの日本での販売権を得た。銀座に待望の1号店を開業した後は店内に寝袋を持ち込み、泊まり込みで大奮闘。ビジネスにかける夢と情熱は、コーヒーチェーンを全国規模にまで大成長させた。金なし、コネなし、普通のサラリーマンだった男になぜできたのか? 感動のタリーズコーヒージャパン起業物語。

 単行本が発刊されたときからずっと気になっていたのだが、なかなか手に取る機会がなかった本。文庫化されたのをきっかけに、すぐさま購入。最初の1ページ目から耳の痛い言葉が。「あなたは、あの人は生まれつき恵まれている。自分は平凡だから仕方ない、などと諦めていないだろうか? 確かに、スタートラインでの差はあるかもしれない。しかし、得別な境遇にある人たちよりも強く情熱を持って取り組めば、何事にも負けないはずだと私は信じている。また、情熱は不思議と『運』をを引き寄せ、不可能だと思っていたことを可能にしてしまう力も持っている」

 若手経営者・起業家ということで、最近何かと噂の多いIT企業の社長と同類かと思いきや、信念を持った熱い人物である。少年時代を海外で過ごし、英語が自由に操れるというほかは、他の同年代の若者(自分を含む)となんら変わりの無い人物ともいえる。大きく違いのは「情熱」だけ。情熱と、少しの計画性と少しの勇気が私と異なる部分であろうか。

 高校時代を米国で暮らした筆者は、日本の大学に入学する。しかも、単に日本の大学に入るだけでなく、日本人的な文化を肌で感じようと体育会系のアメフト部に入部してしまうのである。単に体を鍛えたいだとか、面白そうだといった理由ではなく、日本独特の人間関係を知る為、という発想に驚いてしまった。また、就職先は大手銀行。こちらも将来の起業に役立てる為とのこと。私のように、何気なく体育会系のボート部に入部し、何気なく現在の会社に入社したのとは、根本的に違うなぁと感嘆。

 このような計画性に加えて、5年近く勤めた会社をスパッと辞めてしまえる勇気も素晴らしい。また、辞める覚悟を持っていたからかもしれないが、会社の上司にもズバズバと意見を言っていたようである。見習いたいが、なかなか見習えない。大成する人というのは、ちょっとしたところが、大きく凡人とは違うということか。

 ここでタリーズコーヒージャパンの経営理念を抜粋。
 一杯のコーヒーを通じて、「お客様」、「フェロー(従業員)」、「社会」、そして「株主」に新しい価値を創造し、共に成長する。
 1.その一杯に心を込める。 1.お客様の期待を超越する。 1.最高の仕事が経験できて、一人一人の可能性が広がる職場を作る。 1.子供達や青少年の成長を促すために、地域社会に貢献する。 1.株主との信頼関係を築きあげる。
 従業員のことを「フェロー」と呼び、非常に大切にしているのが伝わってくる。ヒトの大切さを十分理解している証左であろう。

 最後にもう一つ、印象に残った言葉を抜粋して終わりたい。「人は成長するための努力を止めてはならない。成長するのを止めたとき、つまり現状に甘んじた瞬間から、衰退がはじまってしまうからだ」

>2006.04.19.WED

苗村屋読書日記 [92]

     



































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