[PR]何かを探す前に無料占い:当たる!無料占い『スピリチュアルの館』


     
○0485 『半島を出よ』 村上龍
△0484 『オシムの言葉』 木村元彦
△0483 『ここが変だよ日本の管理職』 宋文洲
△0482 『バッテリーIII』 あさのあつこ
△0481 『バッテリーII』 あさのあつこ


○0485 『半島を出よ』 >村上龍/幻冬舎

 村上龍が主催するメールマガジン・JMMを読んでいる。本書『半島を出よ』については、メルマガ上のエッセイで何度か触れられていた。経済や金融を勉強し、作品に厚みを増してきた村上龍の久しぶりの本格的な小説ということで、期待して購読。単行本を発売と同時に購入するのも久しぶり。早速読み始めたものの、北朝鮮の登場人物の名前が覚えられず、また展開も読み始めた当時は今ひとつのような感じがして、上巻を半分ほど読み進めたところで挫折してしまった。その後、仕事や勉強の方が忙しくなり、積読のままとなっていた。

 そんな本書を再度読もうと思ったのは、「Papyrus」という雑誌で、村上龍の特集をしていたから。幻冬舎が出版している月刊誌で、正直これまで存在を知らなかった。たまたま立ち寄ったコンビニで目にしてパラパラと立ち読みしたのだが、その時は他に買うものがあったので購入せず。後から気になって本屋を探したのだが、マイナーな雑誌なのか、なかなか見つからない。漸く大型書店で発見し、村上龍特集を読み始めた。

 「秘蔵メモ初公開!村上龍はいかにして小説を書くのか」というタイトルの通り、『半島を出よ』を執筆した際のメモが公開されているとともに、村上龍の小説への取り組み方なども書かれており、非常に興味深い内容であった。中でも強く感じたのは、非常に綿密に取材をしているなぁというもの。北朝鮮には事情があって行けなかったようだが、何人もの脱北者の話を聞くなど徹底した取材ぶり。また、ホテルの爆破シーンを書くために、福岡へ取材に行くたびにシーホークホテルに実際に宿泊し、崩壊させるのに必要な柱の数を数えていたというのにも驚いた。(筆者自身がインタビューに応えている内容なのでネタバレに近いですがそのまま記載しました。小説自体の面白さを損ねるものではないと思います)

 さて、肝心の小説の方だが、四分の一を既に読んでいたため、今回は北朝鮮の難しい名前も少しは頭に入るようになってきた。また、おぼろげながら小説の全体像が見えてきたため、一気に読みきることが出来た。というよりもむしろ、登場人物が多いので一気に読まないと誰が誰だか分からなくなり、面白さが半減するかもしれない。一応、人物表が付いているのだが、特に上巻のそれは自分の持つイメージと少し違った為、あまり役に立たなかった。

 物語自体は北朝鮮の兵士が九州の福岡を占拠するという突拍子も無いものだが、北朝鮮の兵士たちが随分と紳士的に描かれており、妙なリアリティを感じてしまった。作中で世良木という老医師が語っているのだが、同じ軍人であっても全員が残酷というわけではない。使命に忠実で倫理観の高い兵士もいれば、残酷で横暴な兵士もいる。それはかつての日本軍も同じだという意見には大きく頷けた。ミサイルを発射したり核疑惑があったりする北朝鮮を決して擁護する訳ではないが、彼らの中にはちゃんとした思想をもった人間もいるということを忘れてはならないであろう。

 また、本書は日本人の危機意識の低さに警鐘を鳴らしてくれる本でもある。危機意識の低さというと楡周平の『クーデター』を思い出すが、村上龍という影響力の強い作家が、このような物語を紡ぐことで平和ボケした日本人に警鐘を鳴らすのは大きな意義があると思う。特に怖いと思ったのは、ビルの窓ガラスに鳥がぶつかるシーン。何度もぶつかっているので、多少大きな音がしても誰も気にしなくなったというもの。最初は大騒ぎをするような事件でも、それが繰り返されると「当たり前」だと思ってしまう怖さを痛切に感じた。もしかしたら昨今繰り返されているミサイル発射実験も、本番へ向け日本人の油断を誘う為の偽装かもしれないと思うと、背筋が冷たくなってくる。

 イシハラという詩人のもとに集まるドロップアウトした少年達の描写には力がこもっている。この少年達の間には無駄な気配りが一切存在しない。元気?とかどうしてる?といった意味の無い問いかけというのは無いのである。確かに、知人にあったとき、取り立てて話すことがない場合、元気?などとついつい聞いてしまうが、無駄といえば無駄なコミュニケーションである。(と書きつつ、明日も誰かに元気?と聞いていそうだが) このような日本人独特の気配り的で無意味なコミュニケーションにメスを入れているあたりも村上龍らしい部分である。

 書き出すときりが無いのだが、日本のマスコミの無能さに対する批判も忘れてはいない。日本人記者が北朝鮮の兵士に「日本から独立するとはどういうことか」と聞くシーンや、東京のマスコミが九州のアナウンサーに「そちらはどうですか」と聞くシーンなどである。とにかく「間を持たせる」為の無意味なコミュニケーションが非常に多いと気付かせてくれる作品である。

 もう一点、村上龍の日本に対する痛烈な皮肉を感じたのがティッシュペーパーの描写のシーン。ティッシュのような高度な技術が必要な紙が無料で配られていることに対する違和感と、これほどの工業技術を持っている国がどうしてこれほど政治的に愚かなのかと北朝鮮の兵士をして言わしめている。

 せっかくなので村上龍の批判精神に気づいた箇所を全て書き出しておきたい。上記の他に、爬虫類などの生物を飼うという行為に対して、それは生物をゆっくりと殺していると批判する。これは日本人という壁を越えて、人間全人類に対する批判である。また、テレビ放送で子供たちに北朝鮮の童話が紹介されるシーンでのこと。童話の教訓を話すべきだという日本人スタッフに対し、北朝鮮兵士が童話の教訓などというものは子供たちが自分で考えるべきものだと切り捨てる。これは日本の詰め込み教育に対する批判であり、考えるという人間最大の特権を放棄した日本人への痛烈な批判だと感じた。

 物語自体は、前述のドロップアウトした少年達が、ホテルを爆破し、北朝鮮兵士をほぼ全滅状態にするというものである。2011年という近未来であり、ありそうでなさそうな絶妙なシチュエーション。名作『コインロッカー・ベイビーズ』でも感じたことだが、村上龍はこういった、「場」というかシチュエーション作りが上手いと思う。また、人物描写も兵士と少年達を交互に描いており、読み進むうちにどちらへの思いいれも生じてくる為、ラストは何とも言えない気分になってしまった。特に思いいれの強かった北朝鮮兵士2人が生き残っていることを知ったときは、恥ずかしながらほっとしてしまった。少年達の方にも多数の死傷者が出、決してハッピーエンドとは言えないのだが、さほど悪い読後感ではなかった。

 しかしながら、こうして感想を書きながら、改めて振り返ると、日本人であることが恥ずかしくなってくるような批判の嵐である。やはり日本に生まれてきたからには、我が国に誇りを持ちたいし、自分にも誇りを持ちたい。その為には、まずは自分の頭で考えるという、基本的なところからやり直さなければならないのであろう。

>2006.09.01.FRI


△0425 『オシムの言葉−フィールドの向こうに人生が見える』 >木村元彦/集英社

 もともとサッカーにはあまり興味がなく、ワールドカップが終わって、私のサッカー熱も一気に冷めてしまった。(サッカーファンの方、ごめんなさい) もともとボート部に所属するなど自分自身がプレーヤーだったこともあり、他人が行なうスポーツを観戦することに、あまり興味が持てない。小さい頃からの阪神ファンだが、野球中継を見るよりもスポーツニュースで結果だけ知ればよいと思ってしまうし、そもそもテレビ自体をあまり見ない。そんな中で、やはりオリンピックだのワールドカップだの国を挙げての参戦については、興味深く観戦してしまうのは典型的な日本人ということだろうか。

 もっと言うと、スポーツそのものよりも、スポーツに取り組む選手の心理の方に興味がある。新聞や雑誌の記事などでスポーツ選手がプレイに対する姿勢などを語っていると、興味深く読んでしまうし、ニュース番組などでも試合そのものよりも、選手へのインタビューの方が気になってしまう。というのも、プレイに対する姿勢やモティベーションが、ビジネスにも応用でき役立つと思っているからである。

 ボート部に所属していた頃から、やる気、モティベーションについてはこだわりがあった。体力や技術では負けてもモティベーションだけは誰にも負けないと思っていた。社会人になって大きく変わったと思うのは「カネ」が努力の対価として支払われるという点。学生が所属するクラブでは、「レギュラーになって試合に出る」ことや「試合で勝ち進む」ことくらいしかモティベーションにならない。もちろん「身体を鍛える」だの「精神を鍛える」といった動機付けもできるだろうが、最大のポイントは「試合」であろう。しかし、試合というのは年に何回もあるものではなく、普段の練習からいかにモティベーションを高く保つかというのは重要な課題であった。

 これに比べると社会人というのは、なんだかんだいっても「カネ」が対価として支払われるので分かりやすい。もちろん「やりがいのある仕事」だの「自己実現」も重要であり必要なのだが、最低限の「カネ」がなくては生活していけないし、自分の努力に対して正当な報酬が支払われていると感じれば、人は努力するものだと思う。

 誤解の無いように言っておくが「カネ」が全てだと考えているわけではない。「やりがい」「成長」「自己実現」「出世」といったモティベーションにプラスして「カネ」という分かりやすい指標が加わるという点を強調したかったのである。更には「自分の手がけた製品を世に送り出したい」「海外で仕事をしてみたい」といった仕事を通じて実現可能な目標もかかげられるであろう。論点がごちゃごちゃしてしまったが、要はビジネスの世界というのはスポーツよりもモティベーションの種類が豊富であるということ。逆に言えば、モティベーションの種類が限られているスポーツ選手が自分を奮い立たせている術(すべ)を学べば、ビジネスの世界でモティベーションを得ることは容易なのではと考えるのである。

 スポーツ選手といえども、「プロ」の選手になれば「カネ」がモティベーションの一つに加わる。この他に「記録」「名声」といったものも追加されるかもしれない。しかし(やっと本題に入るが)本書のオシム氏はスポーツ本来のモティベーション、つまり「試合に勝ちたい」という欲求を最大限に引き出すことに長けた監督ではなかろうか。

 自分で考えてプレイをし、そのことにより成長し、さらには試合に勝つ。簡単なサイクルのようでいてなかなか難しいのが現実であろう。しかし、一流と呼ばれる選手は必ず、他の選手よりも「考える」時間が長いように思う。イチローしかり、松井しかり、中田しかり。「考える」というのは、個人的には身体の使い方などを強く意識することであり、チームとしてはひとつひとつのプレイの意味を考えることである。身体能力だけが高くてプロスポーツ選手になった人は「考え」の足りなさから、どうしても伸び悩む時期が来るであろう。

 もう一つ、オシム監督の特徴的な姿勢として、献身的に走るということが挙げられるのではなかろうか。有名な言葉として「走れ・走れ・走れ」というものがあるが、これは闇雲に走るのではなく「考えて走れ」というもの。もっと言うと「チームの為に考えて走れ」という意味なのである。つまりは、自分が走ることにより敵のマークをひきつけ、直接的ではないがゴールに貢献する。このような自己犠牲的な「走り」が要求されているのである。ビジネスの世界でも、ついつい目立つ仕事やカッコ良さそうな仕事をやりたいと思いがちであるが、結局、このような献身的な姿勢で仕事が出来るかどうかが非常に重要だと思う。目立つ仕事しかやりたがらない人は、表面的な努力しかできず、結果として底の浅い人格になってしまうように思う。そんな、思いあがったビジネスパーソンにも警鐘を鳴らしてくれる本でもあると思う。

 この「献身的に走る」サッカーというのは中田英寿氏が目指していたものと非常に似通っているように感じる。惜しくも中田氏は引退してしまったが、オシム監督の下で「走る」サッカーを体現していたら、日本チームはもっと強く、もっと面白くなっただろうにと残念。

 本屋で平積みしてあったものを最初の数ページを読んで購入。タイトルから、サッカーに関するオシム監督の名言集のようなものだと思っていた。特に導入部分はジェフユナイテッド市原が、どのようにして意識改革されたかを語っていたので、モティベーション・アップの参考になると思っていたのだが、実際はオシム監督の半生が描かれた伝記的な本である。オシム監督がなぜ「言葉」を大事にするかが丁寧に書き込まれている。言葉一つが命取りになりかねない世界というのは、平和ボケした日本人(もちろん自分を含む)にはピンとこない。思ったより重い内容であり、読んでよかったと思うのだが、購入目的と微妙にずれてしまったのが残念。いい意味での期待はずれではあったのだが。

>2006.08.30.WED


△0483 『ここが変だよ日本の管理職』 >宋文洲/東洋経済新報社

 「工場は一流なのに、なぜ本社は三流なのか? 最後の聖域”本社の管理職”を改革せよ」という帯の言葉にドキリとし購入。私も経理部員という管理部門に所属しており、他人事ではないと感じた次第。

 本書を読む前から、自分の評価が何に基づいてなされているのかがよく分からなかった。例えば営業部門であれば成約額や件数で、製造部門であれば製造の効率や原価低減で、デジタルに評価することが出来る。勿論、部下の育成など数値で図れない部分もあるだろうが、デジタルな要素が全くないというのも不安である。

 では、気になった部分を要約して抜粋。

  • 日本の管理職の変な点の一つは、部下になにをやってほしいかということを明確にしていないこと。明確な指示を出していないのに「お前は自己中心的だ」「自分勝手なことをするな」と、部下の行動に文句をつけるのです。今の社員たちは、自立している分、頼りになると思います。なぜなら、上司の言いなりになる人間というのは、会社の荷物になりやすいんです。つまり、その人たちは、上司が言わなければ何もしない人たちなのですから。
  • 「日本は社会主義が最も成功した資本主義国。中国は資本主義が最も成功した社会主義国」というジョークがある。
  • 日本のいろいろな会社を訪問して共通しているのは、本社がまとまらないために、重要なことがなかなか決まらないことです。それに比べて日本の向上は、何でも決断が早い。すぐ決まって、すぐ実行する。だからこそ、世界に誇れるよい製品が生まれてくるのです。

  • 本来、管理職というのは、マネジメントを専門とする人のことです。プレーヤーの上に位置するというより、営業、経理、開発なんていうのと同じように、マネジメントという職種と考えるべきなのです。
  • 管理職が部下に指示する時は、企業間の取引と同様に、”発注する”という感覚が必要だと思います。この仕事をこれだけしてくれた場合は、これだけの給料を払うという形です。何をすると評価されるのか、何をしたらマイナス評価なのかを明確にします。そのことがわかれば、人間のモチベーションが上がります。
  • 私だって、白か黒かに分ける必要のないものを、無理矢理分けたいわけではありません。でも白か黒に決めないと、動き出さないのです。「ここはグレーだ」と言っている人に、そう言っていて何かが変わるのかと逆に訊きたい。
 以上が、個人的に気になった部分。なるほどなぁと思う部分も多いのだが、問題提起が中心で、解決となる部分が少なかった様に思う。これは、著書自身がコンサルティング会社を経営している以上、解答まで用意してしまうことに抵抗を感じたせいかもしれない。あるいは、解答は会社会社によって異なるものであり、一般論を語っても仕方がないと思ったのかもしれない。しかし、ここまで鋭い切口で問題提起するのであれば、解答に対する考え方も明記してよかったのではないかと思う。たとえ本書で述べられなくとも、方向性が見えるだけで読者は納得すると思うのだが。

>2006.08.29.TUE


△0482 『バッテリーIII』 >あさのあつこ/角川文庫

 背表紙あらすじ:「巧。おまえにだけは、絶対負けん。おれが、おまえにとってたったひとりの最高のキャッチャーだって心底わからせてやる」三年部員が引き起こした事件によって活動停止になっていた野球部。その処分明け、レギュラー対一年二年の紅白戦が行われ、巧たちは野球が出来る喜びを実感する。だが未だ残る校長の部に対する不信感を拭うため、監督の戸村は強豪校、横手との試合を組もうとする…。一方、巧と豪の堅かった絆に亀裂が入って!?青波の視点から描かれた文庫だけの書き下ろし短編「樹下の少年」収録。

 IIの不祥事で活動停止となった野球部。練習再開を機に紅白戦が行われる。今まではキャッチボールが中心であり、やっと試合が始まった、という感じ。巧と豪の内面を描くのもよいが、やはり野球のシーンが盛り上がる。とはいうものの、まだ紅白戦の段階であり、本格的な試合はIVに持ち越されている。たまたま私は物語が完結している状態で読み始めたため、待つ必要がなかったが、小説で次回作を待つというのはあまり好きではない。やはり一気に読みきりたいものである。

 さて、自分が中学生だった頃を振り返って見ると、一番先輩に気を使っていたのが中学時代のような気がする。高校・大学と体育会系であったが、先輩への礼儀は当然のこととして、変な気の使い方はなかったように思う。純粋にチームメイトとして接することが出来ていた。たまたま私の境遇がそうであり、人によっては高校の先輩の方が怖かったという場合もあるだろう。私の場合は、小学生までは「ちゃん付け」で呼び合っていた先輩を、急に「さん付け」で呼ぶようになるなど、変化が大きかったせいもあるかもしれない。

 普段は感想を書く際の妨げになると思い、未読作品の他人の書評はあまり読まないのだが、今回はたまたまamazonのレビューが目に入ってしまった。巷では絶賛されている本作だが、意外に評価が低いのに驚いた。特にいじめのシーンが鮮烈だったIIへの評価の低さが際立っていた。確かに巧の性格は、同じ世代の子供が読むには強烈かもしれないし、純粋な野球小説を読みたい人には少々回りくどいかもしれない。

>2006.08.28.MON


△0481 『バッテリーII』 >あさのあつこ/角川文庫

 背表紙あらすじ:「育ててもらわなくてもいい。誰の力を借りなくても、おれは最高のピッチャーになる。信じているのは自分の力だ―」中学生になり野球部に入部した巧と豪。二人を待っていたのは監督の徹底管理の下、流れ作業のように部活をこなす先輩部員達だった。監督に歯向かい絶対の自信を見せる巧に対し、豪はとまどい周囲は不満を募らせていく。そしてついに、ある事件が起きて…!各メディアが絶賛!大人も子どもも夢中になる大人気作品。

 シリーズ2作目。漸く中学校に入学する巧と豪。巧は、その性格のおかげで先輩部員から目をつけられてしまう。当然といえば当然であり、予想できる展開ではあるのだが、中学時代の暴力と言うのはなかなか恐ろしい。小学生ではそこまで頭が回らず、高校生になれば少しは人の痛みが分かり…。中学生というのが多少知恵がついてきて、とはいっても相手の気持ちを慮るところまではいかず、一番陰湿ないじめになる時期ではなかろうか。

 本書には野球のシーンがほとんど出てこないのが残念であった。そういえばスポーツ小説というのは、非常に少ない様に感じるがなぜだろうか。様々な動きを文章で書き表すのが難しいからか? 一方で漫画の世界ではスポーツものが非常に多い。『ドカベン』『タッチ』などの野球マンガにはじまり、バスケットボールの『スラムダンク』、サッカーの『シュート』、ボクシングの『はじめの一歩』など名作ぞろいである。私自身、学生時代はスポーツに熱中していたくちなので、もっと面白いスポーツ小説が出てきてもよいと思うのだが。

>2006.08.27.SUN

苗村屋読書日記 [97]

     



































[PR]横浜で超魅力価格の記念写真を:記念写真が大人気、結婚写真、成人式写真